第17話
ここはどこだろう。
ボクは右も左も分からない不思議な空間にいた。辺りは真っ暗で、何も見えない。何か壁はないかと探るが、そんなものはどこにもなかった。ボクは足をずって慎重に進んでいく。突然何かにぶつからないように手を前に出す。
どのくらい歩いたかは分からない。ずいぶんと歩いたような気がする。しかし、身体に疲れた気配は感じなかった。
ボクはどこにいるんだろう。何故ここにいるのだろうか。そういった疑問が頭にくっついて離れない。
そう疑問を持ちながら歩いていた時だった。なにやらうめき声が聞こえた。ボクはそれに向かって歩いた。段々と声が近くなっていく。ボクは足元に何かがあたったような気がした。ボクはしゃがみ、それを調べる。
温かくて、人のような感触だった。ボクは揺さぶってみる。「大丈夫ですか?」と声をかけながら。しかし、ただうめき声をあげるだけで、ボクの声に反応していない。
ボクは、どうするべきか迷った。とりあえず、揺らし続ける。そうすると、背後から肩を叩かれた。振り返るが誰もいない。
肩に人の手の感触がある。ボクは「どなたですか?」と尋ねる。しかし、反応がない。肩に手は乗っているのに、人の気配がしない。やがて、声が聴こえた。どのような言葉で話しているかは分からない。ぼそぼそと低い声が延々と聴こえる。
ボクは恐ろしくなった。ぞっとした。この手は何だろうか。ボクを抑えるこの手は何だろうか。ボクは恐怖で一種の錯乱状態に陥る。
ボクは、必死に目の前にいる人を起こそうとする。するとボクの前にいた人に腕をつかまれた。それは強い力だった。ボクは「痛い!」と叫ぶ。しかし、その手は力を緩めない。ボクは顔をゆがめる。このままでは骨を折られてしまいそうだった。ボクはその手を振りほどこうとするが、不可能だった。
声が聴こえる。背後から。声が聴こえるのだ。しかし、その声は何を言っているのか分からない。上手く聞き取れない。
前の方からも声がする。ボクの手を掴んでいる人だろう。その人はボクにすがるように言っていた。でも、なんといっているか聞き取れなかった。
やがて視界が鮮明になっていく。ボクは目の前の人の姿形をくっきりととらえることができた。
ボクは悲鳴をあげる。背筋がゾッとし、悪寒が走る。狂気を感じた。ボクは一刻でも早くこの場から立ち去りたかった。
立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。踵を返し走り出した。だが、ボクの後ろにいた人にぶつかった。ボクはしりもちをつく。
「大丈夫?」と、今まで何も聞こえなかった声がはっきりと聞こえた。ボクは手を差し伸べられた。その手を取ろうとし、さらに手を差し伸べてくれた人物はどんな人か、上目づかいで見た。
そこにいたのは、彼女・・だった。だが、普段の彼女とは違った。ボクは恐怖した。彼女は頭から血を流していた。ブシュー! と血を頭から吹きだす。よく見ると、差し伸べだされた手にも血糊がべったりと塗られていた。肉は裂け、中の白い骨がむき出しになっていた。鼻をつまみたくなるような腐臭が漂う。
彼女の口の中から蛆虫が湧きだしていた。吐き出すように飛び出してきたそれらは彼女の体をはい回り、肉を食い散らかし始めた。
彼女の首がねじれていく。一周したかと思えば、首がボトリと地面に落ちる。頭を失った体はミチミチと音を立てて崩れていく。
首だけとなった彼女は静かにこういった『助けて』と。悲壮感が漂う声でそう懇願した。ボクは腰を抜かして、動くことすらできないでいた。
崩れた肉塊が動き出し、這ってボクに近づき、体をよじ登っていった。ボクは倒れた。蠢くそれに身をゆだねていた。
「助けてあげないんだ」
誰かがボクを見下ろしていた。首元がパックリと割れ、頭を胸元にぶら下げていた。
ボクには返事をする気力すら残っていなかった。ただボクは早くこの一刻が終わることを望むだけだった。
「あの日あの時あの場所で君があの手を取っていたのなら君はいつまでも見知らぬままでいられた」
誰かはナイフを持ち、その刃先をボクに突き立てようとしていた。ボクは逃げたい一心だった。
「君が空嘯く態度をとっているから、運命が揺らぎ、天地が逆転した。そのせいで地に足をつけなくなった者が空に堕ちていくこととなった。それを理解しているの?」
ボクは『助けて』とか細い声で言った。
「君の灯はここで掻き消え、陽は沈んだままになる。君に月は永遠に昇らない」
ナイフを構える。そして、振りかざす。ボクは目を強くつぶった。その時、微かに声がした。だが、その声はボクの意識とともに激しく噴出する血の音にかき消された。
ボクはバッと起き上がった。チュンチョンと鳥のさえずりが聞こえる。カーテンの隙間から漏れる朝日がボクを照らす。ボクは額にあふれ出た汗をぬぐう。体中に汗がたまり、パジャマがびしょ濡れだった。
ボクは嫌な夢を見ていた。ただ、その認識しかできなかった。どんな内容を見ていたか、目覚めた途端に綺麗に忘れてしまった。
「「おはよう!」」
妹たちが毎朝の日課をこなした。妹たちは起きているボクを不思議そうな目で見る」。ボクはゆっくりとベッドからおり、カーテンを全開にした。朝日が部屋に流れ込むかのように入ってきた。すると、薄暗かった空間が嘘のように明るくなった。
まぶしく窓の外に映る陽を見たボクは目を細める。
「おはよう」
ボクは振り返り、妹たちにそういった。
妹たちは釈然としない表情で「「うん」」と小さく言うのだった。
あれから三日が経った。ボクはまだあの日のことを引きずっていた。まだあの時の悪夢が抜けないでいたから。弥月はどうなのだろうか。あの日からボクたちは連絡を一切取っていない。
病院では弥月と再会することはなかった。江藤さんに言われ、先に返された。迎えには母親と妹たちが来てくれた。家族はボクのケガのことを心配してくれていた。ただの切り傷だけだったのに、大げさな態度でボクに心配の声をだす。
傷はかさぶた程度にはなり、生活には何ら支障もない。
なんで、そうなったのかは、江藤さんが説明してくれたそうだ。友達の喧嘩に仲裁して入ろうとしたら、巻き添えを食らったという感じに。やはり、連続殺人犯に襲われたなど口が裂けても説明できぬことだろう。ボクも家族には余計な心配はかけたくないので、江藤さんには感謝している。
「はあ……」
ボクは携帯を眺めながらため息を漏らした。動かない携帯を見てがっかりしている。
弥月には会いたいけど、ボクから会おうという気にはなれなかった。彼女がどのような気持ちかは知らないが、連絡する気はないのであろう。いやむしろ、清々しているのではないか? ボクという厄介者の呪縛から解かれたのだから。
しかし。気になるのは、彼女が自殺していないか、だった。ひょっとすると、そういった理由で連絡が取れていない状態なのかもしれない。
心配でしょうがないのに……やはり、動こうという気にはなれなかった。
今日は珍しく妹たちが先に登校してしまった。ボクは一人で通学路を歩くことに。一人でいることはボクにとってはむしろ喜ばしいことだったのだが、なぜか物足りない気分に浸る。
ボクの足は気づかぬうちに商店街へ向かっていた。久井の葬式の後に弥月と再会して立ち寄った、あの場所だった。
ボクは加藤博一の事故現場に来ていた。薄暗く、気分を害するような場所だった。ボクはいくらかの時間をそこで使っていた。ただ立ち尽くしジッとしているだけ。
弥月は何を思ってここへ花束を置いたのだろうか。ボクは、考える。あの連続殺人事件で弥月と事故現場を回ったことも含めて思考する。
「ただの気まぐれよ」「報われたかしら」「贖いよ」「死者は眠らせてあげなくては」「人殺しには何らかの罰を与えなければいけないの」……。
キミとボクとが初めて出会った時、ボクはキミの事をどう思っていたか……。
「まだ……。足りない、か」
ボクは呟いた。暗闇の中でひとりごちた。ボクの声は、闇の中へ溶けていった。
「おう。ハル、どうした? そんな所で何してんの?」
ボクはハッとする。驚いて後ろを振り向いた。
「なんだ、藤原か」
「なんだとはなんだ。ハルよ、変わっているな。こんなところで立ち尽くしているなんてさ。ここって、アレだろ? 殺人事件があった……」
「あ、うん。なんとなく、様子を見たくなって。まあ、アレだよ。野次馬根性。どんなものか見に確かめたくなるでしょ?」
「うむうむ。よかったな。俺が同調できるやつで。普通は、行きたいと思ってても、行かないものだぜ?」
「そ、そうかな? 藤原はどうしてここに?」
「ん? 通学路だからな。たまたまハルを見つけてな。それで、今に至るわけだ」
藤原はヤレヤレといったポーズをした。ボクははにかむ。
「しかし、どこも変わらないよな。事故現場と普通の場所って。まあ、アレかもな。気持ちの問題、ってやつかな?」
藤原はボクの肩に腕を乗せた。顔が近かった。
「気持ちの問題?」
「そう。子供が心霊番組を見て、幽霊がいるんじゃないか、と思って恐がり、夜にトイレへ行けなくなるような感じだ。本当は何もないのに、ひょっとすると幽霊がいるんじゃないか、と不安にさいなまれ、怯えるようなものさ」
「藤原って心霊系を肯定していたよね?」
「お前に合わせてあげてんの。ま、要するに、何もないと思えば何もないんだよ。知らぬが仏ってね」
「なるほど。確かに」
ボクは愛想笑いを浮かべた。頭の片隅に、弥月と事故現場を巡った時に至ったボクの発想とよく似ていた。
「そういえば、この被害者って家族がいたでしょ? どうなったのかな?」
「ん? 噂だと、自殺したとかなんとか」
「えっ……?」
ボクはサァーッと血の気が引いていくような感じがした。頭が真っ白になる。体の震えが始まり、それが止まらなくなる。運がよく藤原はボクの様子の変化に気づいていないようで、普通の調子で話し続ける。
「やっぱり、貴重なATMがなくなったら、困るだろ? 現金が引き出せなくなったら、生活が出来なくなるしな。なんつって。ハハハ!」
ボクは何も言えなかった。身体の震えを懸命に抑え、笑う藤原を見つめる事だけしか出来なかった。藤原はそんなボクを見て「すまんな。笑えねぇな」と頭を下げて謝ってた。ボクはぼうっとした頭で藤原の先を歩いた。
「おいおい。悪かったって」
藤原はボクのあとを追う。ボクが怒っていると感じたのだろう。
それからボクがどうしたのか、記憶に全然なかった。気がついたら、学校にいて、授業を受けていた。それまでの間、ボクは一体何をして、何を考えていたのだろうか……。知りたくもなかった。
「ハル、お前、さっきから調子でも悪いのか? というか、朝の事怒ってる?」
藤原が、声をかけてきた。ボクはようやく気がつくことが出来た。藤原は眉を下げて心配した表情でボクを見ていた。
「あ、ごめん。ううん。怒ってないけどさ。ただ、考え事をしていて……」
「考え事って?」
「くだらないことだよ」
「ハルはくだらない事に真剣に悩むんだな」
痛い所をつかれた。
ボクは頬杖をついて、「なんでもないさ」と笑う。
「まったく。いや、俺も悪い所があったが、アレか? 悩み事でもあるのか? それだったら……相談しろよ?」
ボクは断ろうとした。だが、久井とシチュエーションが重なった。そういえば、久井にも似たようなことを言われた。ボクは断り、そして久井とはそのまま会えなくなった。
ボクは悩む。藤原に限ってはそんなことはないだろうが、でも、本当にここで断ってもいいのだろうか。そうだ……久井は、友達だから頼ってほしいな、と言っていた。
『しっかりと成長する為には誰かの助けが必要』
ボクは、天井を見上げた。そういえば、そうだったな。最近のボクはなにかと一人でいようとしていた。だが、結局それは無理なのかもしれない。連続殺人の事件だって、弥月と一緒だったから、解けたわけだし、久井の言葉があったから、こうして悩めるボクがいる。
「なるほどな……」
「どうかしたか?」
「少し、聞くけど、藤原には助けてあげたい人とかっている? もしいるなら、それは自分にとってどんな存在だ?」
「ん? 変な質問だな。まあ、いるさ。俺の場合は好きな奴、だよな」少し恥ずかしそうにして笑った。「それが誰かって言ったら幾人もいるわけだが、とにかく失いたくない奴だな」
「その失いたくない奴ってのが、好きな奴、ってことかい?」
「まあ、イコールになるわな」
ボクはまず家族を思い浮かべた。父親、母親、秋葉、冬雪。彼らがいなくなったことを考える。そうすると、嫌な気持ちになった。この気持ちは、久井を失った時と同じものだった。心がポッカリとあくような、酷く空しい喪失感。心が締め付けられるような痛み。ボクはその痛みを知る。
次に。弥月を思い浮かべた。やはり、同じだった。死んでほしくない。それは、ボクが強く願う事。しかし、以前にも同じ事を想っていた。だが、これは以前とは全く違う想いで、願いだった。
前の彼女は、生きているようで、死んでいる。そんな感じがした。ボクは、彼女のその所に惹かれたんだ。ヒトとは異なったあの独特なオーラに。だけど、ボクは彼女と会い、彼女の人間らしさに、また別の魅力を感じた。いや、自分とは変わらぬただの人間であると、その事に気がつけたんだ。だからボクは……弥月は……。
うん。そう。ボクと彼女は何となく、似ていた。だからこそ無意識のうちにお互いを求めていたのかもしれない。
だが、まだ分からない。ボクは本当の意味で弥月を理解してない。そもそも、自分自身すら理解できていない。
そのカギは、きっと、弥月にある。
「そうだね。うん。なんか、すっきりした。ありがとう。藤原」
ボクは席を立った。
「え、どうしたんだよ……」
藤原は照れていた。
「すっきりしたから早退するよ」
「意味が不明だよ。だが、よくわからんがよかったよ」
「うん」
「だが、帰るんだったら、保健室にでも行って、病気のハンコ押してもらった方がいいんじゃないか? そうしないと、早退は認められないだろう? あ、でも今、保健室には神谷弥月がいるんか」
「そうか。あいつかいるんだ。じゃあ、黙ってそのまま早退するよ」
「お前……なんか、雰囲気変わった?」
「そうかい?」
ボクは久しぶりに、演技をしない自分を他人に見せた。
「……まあ、適当にごまかしとくよ」
「OK。ありがとう。じゃあ、また明日」
「おう。なんか、お土産よろしく」
「断る」
ボクは颯爽と教室から出ていった。
そして、ボクはある場所へ向かうのだった。
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