第6話

「この花束は?」

「確か二か月前にこの商店街で人が亡くなったそうね。その人に手向けようと思って」

「……。なぜ、そんなことを? キミの大切な人だったのか?」

「いいえ。全く知らない人よ。そうね、無意味なことよ。気まぐれにしか過ぎない。たまにそういうことをしたくならない?」

「ちょっとわからないや。今からそれを?」

「ええ。貴方もついてくる? いいえ、ついてきてくれるとうれしいかな」

「それも、気まぐれかい?」

「もちろんよ」

 彼女は歩き出す。ボクは横に並び彼女についていく。

 彼女が言うようにこの商店街で人が死んだ。男性が胸を刺されて倒れているところを女性が通報した。その男性は搬送中に静かに息を引き取ったそうだ。通報がもう少し早ければ助かっていたかもしれない。そんな事件。犯人は未だに捕まっていない。

「ここのようね」

 ボクたちは現場につく。ここは光が当たらない場所である。暗くうす気味悪い。その場の雰囲気と、黒い服装を身にまとう彼女が妙にマッチして、その場の空気に違和感なく溶け込んでいた。町では普通の格好であるボクが、異端者のような扱いを受け、のけ者にされているようだった。

 彼女はしゃがみ込み、昔はそこに血だまりが浮かんであろう場所に、花束を静かに置く。黒を纏う人間がそこへ純白な花を添える。彼女は手を合わせる。ここで死んだ見知らぬ男性に対して黙とうをささげていた。ボクはその様子を見守るように立つ。彼女はしばらくそのままでいた。

 まるで水を打ったような静かだった。

「報われたかしら?」

 彼女は静かに言う。

「誰にだい?」

 ボクは意味のないことを尋ねた。

「この人よ」

「……そうか」

「行きましょう」

 彼女はもう満足したようだった。死人には決して伝わらない言葉をただ一方的に渡して、去ろうというのだった。彼女はボクの横を通り過ぎる。ボクは男性の居たであろう場所を見下ろしていた。

 動かないボクを不思議に思ったのか、彼女は「行かないの?」と透き通るような声で質問した。ボクはその状態のまま、背中で彼女に話しかける。

「キミはここで殺された人のことを知っているのかい?」

「いいえ。全然。貴方はしっているの?」

「……加藤博一かとうひろかず。四十代後半で、妻子持ち。商店街の近くのアパートに住む奴だ」

「そうなのね。詳しいわね。どうしてそんなことを知っているの? この人は、貴方にとって誰だったの? 大切な人? それとも……」

「DVだ。それで近所で有名な奴だった。奥さんと娘に暴力をふるい、生き地獄を味あわせた畜生だ。言ってはいけないけど、殺されて当然な奴だった。だから、天罰が下ったんだろうね。ねえ、神谷弥月。キミは、そんな人に対しても同じ気持ちで弔うのかい?」

「……」彼女は押し黙る。ボクは彼女の顔が嫌悪に満ちた表情で埋まるものかと思っていた。だが、相も変わらず無表情だった。

「どうなんだい?」

「知らなかったわ。そう……そんな人だったのね。ちゃんと、調べておくべきだったわ」

 弥月は目をつぶった。そして深いため息をつく。

「……ねえ、貴方は、DVを知っていたのなら何故止めなかったの? 近所の人たちもよね? 知っていて、ずっと見て見ぬふりをしてきたの? どうして救いの手を望んでいた人に、一切手を差し伸べなかったの?」

 返す言葉などあるわけなかった。ボクが何を言っても言い訳でしかならない。


 ――じゃあ、キミがボクの立場だったら何かしてあげられたのか? そう聞きたかった。だけど、愚問というか、口だけの意味のない言い争いが続くだけだ。


「もういいわよ」何も答えないボクにしびれをきらす。「それで、今、奥さんと娘さんは元気にしているわけ?」

「たぶんね」

「そう。もし本当に大丈夫なのだとしたら安心だわ。よかったわ」

「キミは、どう思う? こいつに何を感じた?」

 私も、貴方と同じ思いのはずよ。人を無意味に傷つける奴は死ぬべきよ。私は、人は協力し合って生きていくものだと考えているわ。その輪が回り続けて、時間を動かしていくのよ。だからこそ、その輪を壊し回転を滞らせる輩は、排除すべき。そうしなければ輪が回らず、その輪に携わる人々が前へ進めなくなってしまう」

「キミは、その輪を乱すモノの犠牲に厭うことはしないのかい? 同じ命ではないのか? そこはどうなんだ?」

「違うわ。確かに、人の命は平等よ。でも、同族である人間の命を殺めるものは、同じではないのよ。種というものはその種をつなげるために躍起になる。それが種の生きる理由。だから、その種を殺そうとする者はその種にとって害悪でしかない。種の命令にそぐわないものは生かしておけないのよ。世の中は損得でできているの。損しかない人間は淘汰されるべきなのよ」

「キミのことがよく分かった気がするよ。……もしかしてキミが自殺する理由って……」

「ねえ? 貴方の質問ばかりでずるいわ。私も貴方に聞く権利はあるはずよ。貴方は見て見ぬふりをしてしまったことに対してなんの罪悪感もないの? そこを教えて」

「ボクは……」

 ボクはなんといえばいいのだろうか。自分の思ったことを素直に打ち明けるべきだろうか。ボクは、また嘘をつけばいいのだろうか。

「そりゃあ、罪悪感はあるよ。だけど……しょうがないじゃないか。どうせボクたちは人を救うことはできないんだよ」

 嘘だといいたい。これを本当にしてはいけない。

「だけど! ……希望はあるかもしれないよ」

 自分の中で何かが沈んでいくような気がした。

「……ん、そうね。廃工場で貴方が言ったことを憶えていて? 貴方は「天秤のおもい差で傾きが変わる」といったわ。私たちは賭けをしていた。その賭けに貴方は勝った。あなたの言うおもいの差でね。なら、もう一度賭けてみないかしら? 希望はあるか、ないかを。貴方は確か満たされないのだったわね? もしかすると、そこに答えがあるのかもしれないわ。……ええ、いいわ。私が協力してあげるわ」

 信じられない言葉が出り。彼女は人とかかわるのを避けていた。ボクのことも邪険に扱い、何度も突き放そうとしていた。そんな彼女がボクに協力をするといったのだ。夢でも見ているかのようだった。

「キミはそれでいいのかい?」

「望んでいたことでしょうに。……まあ、面白いわ。これが私に与えられた最後のチャンスだと思うことにするわ。私は運命とやらをのぞいて、それに賭けてみましょう」

 彼女は歩き出す。彼女の背丈はボクと同じぐらいで、目線が同じ高さで合う。互いに黒い瞳を交わらせる。彼女はボクの胸元に手を伸ばし、それを押し当てる。小さく柔らかい手だ。彼女はボクの鼓動を手で聞く。ボクが彼女にも手を差し出そうとしたとき、彼女はボクを押し出す。

「やってみたいことはあるかしら?」

「キミは、死人も助けられると思うかい? ボクは久井を……久井今日子の無念を晴らしてあげたい。久井だけではなく、殺された人たちの分まで」

「まずは死人から始めると。救ってあげられるかしら? 結局は自己満足でしかないわよ?」

「いいんだ、それで。死人に口なしという。要するに生きているものだけがモノを言える権利を持つんだ。その人の思想も語ることができる。ボクの中の久井はボクに自分の無念を晴らしてくれと言っているような気がするんだ」

「なるほど。では、尋ねるわ。覚悟は出来ているかしら? どうなってもいい、そんな覚悟が貴方に出来て?」

 ボクは迷わずに言った。

「ああ」

「ふーん。面白いわね。……いいわ。やってみましょう」

 彼女の声は不思議とはずんでいた。だんだんと彼女が人間らしくなっていったような気がする。

「そういえば、名前を聞いていなかったわね。自己紹介でもしましょうか。私は、神谷弥月。弥月やづきと呼んで頂戴」

「ボクは吉野春。しゅんと呼んでくれ」

「ええ。そうね。よろしく頼むわ。春」彼女は手を差し出す。ボクはその手を取るのを躊躇した。「どうしたの?」

「いや……なんでもないよ。ありがとう。よろしくね。弥月やづき

 ボクは弥月の手を握りしめた。ほつれていた運命の糸が固く結ばれた。

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