怪物

ムラサキハルカ

おいかけっこ

 岩の上で少女が釣り竿を振るう。生き餌が川面から沈んで波紋になった。その晩、電話がかかってきた。

「風を切る音がうるさい。勘付かれる」

 少女は泣きながら釣り竿を捨てて、滞在している小屋に籠もった。

 数時間後、川の鮭が皆息絶えた。雌は腹を食い破られ卵は漏れなくなくなっていた。

 小屋の中で腹が減った少女は、石油ストーブの上で保存してあった肉を焼いた。

 食べてる途中に電話がかかってきた。

「肉臭い。もう気付かれてる」

 少女は肉を置いたまま泡を食って小屋を抜け出し、山道に入った。

 一時間程後、小屋は散々たる有様になっていた。残されていたのは、ばらばらに落ちた材木とでこぼこになったストーブ、それに噛み跡のついた中身のない缶詰だった。

 山道の途中で少女は大木に登って、太い枝の上に腰かけ一息吐いた。ついでに持っていた魔法瓶から紅茶を口にした。

 梟と並んでぼんやり三日月を見上げているとまた電話。

「ぴちゃぴちゃうるさい。追ってくる」

 少女は木から降りると、魔法瓶を捨てて駆け出した。唇は結んだままもう開けないと誓った。

 それから数十分後、大木は折れ転げ、横っ腹をさらしていた。魔法瓶はいたるところがひしゃげ、梟は頭部のみを残しカッと目を見開いていた。

 麓まで降りた少女は居酒屋に入った。室内にいた地元の中高年の男たちに訝しい目で見られながら、筆談を通してミルクを頼んだ。

 注文が届いたあとも白い液体の表面をぼんやり見つめている少女の耳に着信音。通話ボタンを押す。

「足跡を辿ってきてる。もうすぐ下りてくる」

 少女は黙って代金を払って立ち去った。お気に入りの赤いスニーカーを脱ぎ捨てて裸足になった。痛い痛いと足裏が悲鳴をあげたが、かまわず走った。

 程なくして、酒屋の中はぐちゃぐちゃになった。店内の酒瓶は残さず割れ、顔のいたるところを噛み千切られ動かなくなった中高年の男たちが転がっていた。

 息を切らした少女は民宿に駆け込み、泊めてくれないかと紙に書いて伝えた。迎えてくれた若いオーナーの男とそのそれぞれの足にしがみつく幼い息子と娘は、夜遅くにやってきた少女に面食らっているようだったが、宿帳に記入すると離れに案内してくれた。

 敷かれていた布団に少女はうつ伏せに倒れこんだ。遠くから聞こえてくる家族の楽しげな団欒に混じって、規則的な電子音が耳に飛び込んできた。

「明かりを目がけてくる」

 疲れる体に鞭を打って立ち上がり、枕元に代金を置いて、離れから抜けだした。その際、少女は不安にかられながら携帯電話を捨てた。

 直後に民宿は支柱が折れ、潰れた。台所や冷蔵庫にあった食料は漏れなく食い尽くされた。天井に押しつぶされたオーナーと息子は首や胸を噛みちぎられ、もっとも血だらけになった娘は内蔵をはじめ腸がなくなっていた。

 少女は闇の中で息を殺して走って走って走った末に、実家の一軒家にたどり着いた。中庭を抜け、玄関をくぐり安堵し、迎えてくれた母と顔を合わせた。母は膨らんだ腹に手を当て、険しい顔をした。

「人の味を覚えた。もうおしまいだ」

 翌朝、少女の実家内は嵐が起こった様相を呈していた。庭には腹を中心にいたるところに食いちぎられところどころの骨が露出した中年女性と、幾度も噛まれぼろぼろになった少女の首が残されているばかりだった。

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怪物 ムラサキハルカ @harukamurasaki

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