小説なんかやめて、まともな人間になりたい

雨乃よるる

第1話

 通信制大学のパンフレットも、「タウンワーク」も、頭に入ってこなくて諦めた。

「明日からテスト期間ま?」

「大学、単位ヤバいのでさすがに明日は行きます」

 なぜかそういうつぶやきを目で拾ってしまう。

 逃げるようにスクロールを加速する。流れてきたネット小説をクリックして、そのまま読み始める。

 甘ったるい学園ラブコメに嫌気がさして、スマホを置いた。


 僕がいわゆる「ニート」になったのには理由がある。

 高3の春、塾で隣の席の子がいじめられていた。

 そのあたりから成績がガクンと落ちたので、僕はそれとそれとを結びつけた。いじめがある塾で、成績が伸びるわけがない。

 辞めて、月謝の高い個別指導に切り替えた。成績は急降下した。

 地元の公立をすすめられた。今の高校から、毎年何人も入学する。

 僕は首を振って、東京の私大のパンフレットを片っ端から取り寄せた。親に懇願して、教科を絞って猛勉強し、泊りがけで受験した。

 地元から出たかった。陰湿ないじめと、町内ネットワークのないところへ行きたかった。テレビに映る渋谷が憧れだった。あれだけ人がたくさんいれば、僕のことなんてだれも見ていないだろうから。


 行き道の新幹線で体調を崩した。ネットで次々と「不合格」が出るたび、大丈夫、と言い聞かせた。実力はあるんだから。どこかで受かるはず。一つも受からなかった。


 選択肢は、地元の定員割れ私立の後期募集しか残っていなかった。浪人を選んだ。僕よりはるかに偏差値の低かった奴は順調に進学・就職して、行った先の愚痴をこぼしながら高校時代を懐かしんでいた。僕は、高校時代の思い出と言えば、文学賞に二度、落選したことだけだった。


 作家のプロフィールにある、「早稲田大学」がやたらと目に入るようになった。ツイッターとnoteと小説投稿サイトに入り浸り、つたない文章を投稿するようになった。ひとりだけ、熱心な読者がいた。


N.W.というアカウント名で、毎回いいねを押して、たまにべた褒めのコメントを送ってきた。どうやら彼は二浪中らしい。勝った、などとひそかにほくそえんだ。一年後に彼と同じ立場になる可能性だってあるのだが。


 電車に乗るたびに、問題集を開くたびに、胃が押しつぶされるようになった。ずっとやっていると気持ち悪くなるので、途中下車が多くなった。問題集を閉じて壁を眺めることも。


 「都会の生活」は気づかないうちに霞むほど遠くに行ってしまった。


 いつだったか忘れてしまったが、ぱたんと扉が閉じた感覚があった。大学卒、学歴をひっさげた就活、ホワイトカラーでオフィスにいる自分、結婚。

 今まで一直線に繋がっていたはずのルートが、とたんに見えなくなった。


 勉強しないんだったら、働いて。あんたバイトもしたことないでしょう。

 親に手渡された「タウンワーク」は机の上に放りっぱなしだ。


「新作投稿ありがとうございます!

 ○○さんの文章はいつも繊細で、うまく言えない言葉を代弁してくれている感じがします。今回も共感の嵐で読み進めました。ラスト、救いようのない展開がせつなかったです。」


「繊細」だなんて、仕事にも勉強にも役に立たない能力だ。


 PV15、いいね2、あとどれくらいで収益化できるだろう、と考えた。N.W.のような読者が何人いれば……。

 やめよう。

 彼はたまたま同じ境遇だから共鳴しただけ。客観的な数字は「15」であり、「2」だ。インターネットにおいて、1万に満たない数字は意味をなさない。


 顔を上げると、18時、窓の外は暗闇。

 今日も、1単語も勉強していない。一円も稼いでいない。

 問題集を手に取ってみる。脳が拒否反応で思考停止をする。諦めて、戻す。

 イヤホンで音楽を聴いていると、二時間なんてあっという間に過ぎる。


 仕事終わりの母が帰ってくる。

 一日をしっかりと生きた、充実感と高揚感のある顔が、僕を見た途端に曇った。

 惣菜をあっためて食べる。昔は、唐揚げとか、脂っこいものが好きだった。今は胃が重くなるだけ。ほとんどしゃべらない。目の前に人がいるだけで、食事が喉を通りづらくなった。一人で壁やスマホと向かい合う時間があまりにも多かった。


「バイト、良さそうなの見つかった?」

 僕は目を落としながら首を振る。母が、何かをぐっとこらえたのがわかった。自分は、相手にそういうことを強いる人間になってしまったのだ。自分の食器だけ下げて、二階の自室へ向かう。


 バイト、コンビニは、大学生が多そうだな。スーパーの店員は、主婦が多そう。他の仕事は、思いつかない。肉体労働は嫌だ。


 「タウンワーク」の表紙を裏返して、目立たないところへ押しやる。


 スマホを開いて、小説投稿サイトの執筆画面に移る。


 違う。やるべきはこれじゃない。わかっているのに。

 どうしようもない。自分の行動なのに、制限ばかりだ。胃が痛くなることも、脳が停止することも、出来ない。知り合いと会いそうなバイトも無理だ。

 やりたくないのか、出来ないのか、境界線を引くことすら億劫だった。すべてが自分の責任だとわかってしまうのが怖かった。


『通信制大学のパンフレットを見ても、求人雑誌を見ても、頭に入ってこなかったので、ツイッターを開いた。

 「明日からテスト期間ま?」

 「大学、単位ヤバいのでさすがに明日は行きます」

 そういうつぶやきを目で拾ってしまう。逃げるようにスクロールすると、

 ……』

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