幕間

むかしばなし

 神無が村に加護を与えて始めて、百年ほどの月日が流れました。最初期の人間はもう誰一人として残っていません。皆、寿命で死んでいきました。今は彼らの子孫が村で暮らしています。

 それでも、神無の立ち位置は変わりません。毎日訪れる子供たちの話を聞きながら、加護を与えます。村での教育が行き届いているのでしょう、皆が神無を敬います。自分が元は悪霊だと知れば、どんな反応を示すでしょうか。興味はありますが、明かす必要性もないので黙ったままです。


 村の人々は神無の熱心な信者です。それはもう、狂信的なほどに。それ故に、神無には使い切れないほどの神力がたまっています。周辺の山々にまで加護を与える余裕があるほどです。

 神無にとっても、村にとっても平和な日々でした。

 ですが、物事には必ず終わりがあるものです。


 ある日、国の役人がこの地を訪れました。ここに村があるという話をどこかから聞いたそうです。むしろ今までよく気づかれなかったものです。

 村長と役人による話し合いが行われました。最初期の人々の教育により、彼らは国の仕組みや税についての最低限の知識はありました。ですが、あくまで知識だけでした。


 役人の言う税に納得のいかなかった村長は、拒否の意志を示しました。当然ながらそんなことは許されるはずもなく、役人は脅しにかかります。新しい者を村によこし、今の者を追放するとか、そういった内容でした。それに激昂した村長は言いました。

 やってみるがいい、かんな様がお前たちを裁くだろう、と。

 かんなという言葉に疑問を抱き、役人は根掘り葉掘り聞いてきます。よせばいいのに、村長はその全てに答えました。一応の納得を示した役人は、帰っていきました。目に不穏な光を宿らせて。


 そのやり取りの一部始終を、神無は見ていました。そしてそれは、逆鱗に触れる内容でした。


 役人が帰って安心した村長の目の前に突然現れた神無は、彼の頭をわしづかみにするとそのまま外に向かいました。村長が驚きながらも謝罪の言葉を口にしますが、知ったことではありません。

 この大人は、約束を破りました。それが全てです。

 村長を村の中央まで連れて行くと、村の人々が慌てた様子で家を出てきます。皆、気づいています。目の前の神が、かつてないほどに怒り狂っていることに。


「ねえ」


 神無が声をかけます。ひどく冷たいその声音に、村長はびくりと体を震わせました。


「あの役人に、私のことを話したね?」

「も、申し訳ありません、かんな様! で、ですが……!」

「言い訳はいらない。あなたは約束を破った」


 ほとんど残り火のようになっていた神無の憎悪が、燃え上がっていきます。神無の口角が持ち上がり、凄絶な笑顔を浮かべました。異質な殺意が村長に叩き込まれ、村長は震え上がりました。

 周囲の人々は神無の変貌に驚いていましたが、それでもきっかけが村長だということは理解しているようです。村長へと責めるような視線を向けています。


「お、お許しを……」


 村長がそう嘆願しましたが、神無は笑顔のまま、足を振り上げて、村長の頭を踏み潰しました。村長の頭の中身が周囲に飛び散ります。

 普通なら、村人は悲鳴を上げて逃げ惑うことでしょう。ですが、良くも悪くも狂信的な村です。村人は次々に平伏し、神無へと許しを請いました。神無はそれらの言葉を全て聞き流し、静かに姿を消しました。




 次に神無が現れたのは、村に来た役人の屋敷でした。屋敷では役人が見聞きしたことを誰かに説明しています。それを聞いていた、なんだか偉そうにふんぞり返っている男は、兵を集めるように指示を出しました。


「それが本当なら、神が守護する土地だ。絶対に手に入れ……」


 役人の頭が、弾けました。周囲の控えていた人々が驚き、すぐに周囲を警戒します。完全に凍り付いていた男の目の前に、かんなはゆらりと姿を現しました。


「な、なん……!」


 男が声を発した直後、控えていた数人が神無を取り押さえようと、もしくは殺そうと飛びかかってきます。おもちゃの抵抗はかわいいものです。


「あは」


 かんなが小さく嗤うと、飛びかかってきた人々の頭がもれなく弾き飛びました。

 全員が、動きを止めます。理解しました。目の前のこれが、役人の言っていた神なのだと。

 神無は彼らの様子を見て、つまらなさそうにため息をつきました。


「命令。遵守」


 短い言葉。それだけで、男たちは震え上がります。


「私のことは他言するな。した瞬間、こうして、死ぬ。呪い。もうかけた」


 男たちの顔が青ざめます。ちょっとだけ愉しくなってきました。


「村への税の徴収は、最初の条件でいい。私が許す。村の人にそう言え」


 目の前の男が、少しだけ安堵の表情を浮かべました。どうやら話が通じると思ったようです。


「それだけでは足りませんな。有用な者を殺したのですから、それ相応の……」


「ん?」


 意識的に抑えていた憎悪があふれ出します。それだけで、男は口を閉ざしました。


「聞こえなかった。もう一度」

「な、何でもありません……。従いましょう……」

「よろしい」


 口封じはこれで十分でしょう。神無は満足そうに頷くと、その場を立ち去ろうとして、あ、と思い出したように言いました。


「口外禁止は遵守して。あなたたちを殺すことを、私は躊躇わない」


 そう言った瞬間、誰かの頭が弾けました。誰もが震え上がる中、かんなは嗤って立ち去ります。


「あはははは」


 小さな哄笑。けれどもよく響く声。誰もがその嗤い声が聞こえなくなるまで、物音一つ立てず、息を殺して待つことしかできませんでした。




 神無が村に戻ると、村では次の長を決めているところでした。広場に大人たちが集まり、話し合っているようです。子供たちはそれぞれの家で眠っているのでしょう。もう日が沈んでいるので当然です。

 大人たちの方へと向かう前に、子供たちの様子を見に行きます。どの子も、悪い夢を見ているのかうなされていました。間違い無く神無の影響です。少なからず神無の憎悪を受けてしまったのですから。


「ごめんね」


 子供たちの頭を順番に撫でていきます。それだけで、子供たちの表情は和らぎました。神無は満足そうに頷くと、広場の大人たちの方へと向かいました。

 なかなか次の村長は決められないでいるようです。まだまだ話し合いは終わりそうにありません。待つのも面倒なので、神無は姿を現して、手を叩きました。

 びくりと大人たちが震え、神無の方を見ます。神無を見た大人たちは、皆が一様に安堵の表情を見せました。


「ああ、おかえりなさいませ、かんな様!」


 大人たちが口々に同じようなこと言います。少し、うっとうしい。


「手短に済ませる」


 神無の言葉に、大人たちが姿勢を正しました。


「私はもう、加護を与えない」


 大人たちが一斉に青ざめさせていきます。何を今更、と思ってしまいます。本来ならこんな加護なんてなくて当たり前のものです。他の村と条件が同じになるだけです。せいぜい、がんばれ。


「でも、子供たちは守ってあげる。子供たちには加護をあげる。あとは、まあ、病気がこないようにぐらいは、してあげる」


 それが、限界です。本来なら手を引くべきだとは分かっていますが、神無が関わりを断つことをしたくありませんでした。また一人きりになるのは、少し、寂しいです。


「最後に、君たちに呪いをかける」


 神無の告げた言葉に、大人たちが絶句します。神無は鼻を鳴らして、続けます。


「心配しなくても、害にはならない。村の外の人に、私のことを話せなくするだけだから。それだけだから、安心するといい」


 それを聞いて、大人たちは少しだけ落ち着いたようです。これでもう、十分でしょう。


「もう君たちと会うことはないと思う。加護は与えられないけど、見守ることぐらいはしてあげる」


 それじゃあ、がんばってね。

 神無はそう言い捨てると、その場から姿を消して社に戻りました。




 社に戻った神無は、さて、と空を仰ぎました。星や月が綺麗です。次に村の方へと目を向けます。そして、表情を崩しました。

 出てくるのは憎悪に歪んだ笑顔。まき散らされるのは世界を呪う悪意。神無は少しだけ集中します。

 そうして、二つの呪いをかけました。


 一つは先に村の人に説明した呪い。今後、子供たちも含め、彼らは外や外の人に対して神無の話はできなくなります。

 もう一つは、この世界全てに対しての軽い呪い。今後、外で生きる人々は神無の名前が聞こえなくなります。

 呪いをかけると同時に、ごっそりと神力がなくなりました。そして継続的に神力が削られていきます。今まで貯めてきた神力ですが、今は減る勢いの方が早いでしょう。神力が尽きれば呪いも消えてしまうので、今後は子供たちへの加護も調整しなければなりません。

 子供たちへのちょっとだけの加護。それが、呪いをかけた後の神無にできる限界でした。


「ここで暮らす人ぐらい、加護をあげたいけど……。うん。無理」


 神無はため息まじりにそう言うと、社の前で座りました。たった一人、夜の闇の中、夜空を見ます。星々は変わらず綺麗に輝いています。


「ん……。これも、大人たちのせいだ。ろくでもない」


 まったく、と独りごちる神無は、いつもの無表情に戻っています。ですが、もし神無の感情の揺らぎが分かる人がいれば、こう言うことでしょう。寂しそうです、と。

 山の奥。村の奥。小さな社の前で、神無は一人、佇んでいました。


   ・・・・・


 かつてこの地に住んでいた人々は、神様の逆鱗に触れてしまいました。それでも慈悲深い神様は、せめて子供たちぐらいはと、子供たちへの加護を残してくれました。今でもこの地には子供への加護が残っています。この地にいる限り、子供たちは神様の加護を受けられます。

 今も彼女は小さな社で、子供たちにだけ姿を見せて、独り立ちまで見守ってくれます。

 子供たちにだけ加護をくれる小さな神様。その地に暮らす人々は、いつの間にか彼女のことをこう呼んでいました。


 子供の神様、かんな様、と。

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