幕間
むかしばなし
この土地から神がいなくなって、その代わりに眷属となった神無が残って、百年以上もの月日が流れました。その間、誰もこの土地を訪れてはいません。神無は一人、何をするでもなく、社の側に佇んでいました。
ゆっくりとした時間の流れ。とても長い時間。神無はずっと考え続けていました。かつての生まれ故郷のことを。考えて、考えて、けれどそれだけでした。思い出して、思い出して、懐かしいと感じることもなくなりました。
時の流れは神無の感情を摩耗させていきます。それはつまり、呪いそのものの風化でもあります。このままいけば、神様が戻ってくる前に神無は消滅するかもしれません。少女はあくまで、神格を与えられただけの悪霊なのです。
けれど、それでもいいと神無は思います。今更、望みも何もないのですから。
百年が過ぎて、さらに数年が過ぎて。雪が全て溶けきった春の日に、彼らは社を訪れました。
それは、小汚い格好をした一団でした。人数は三十人ほどでしょうか。全員がやせ細っており、今にも死にそうな有様です。
「おお、こんなところに社がある……」
比較的身なりの良い男がふらふらと社に近づいてきました。社に手を合わせ、祈ります。
男の祈りがかんなに聞こえてきます。自分はどうなってもいいからこの者たちを助けたい、という祈りを。人の目に見えない神無はそれを冷めた目で見つめていましたが、
「ん……。いいよ」
神無はそっとその場を離れます。彼らに見えない場所まで来ると、両手を上げました。神力を一人で使うのは初めてです。神無は意識を集中させ、目の前に近辺の森から果物を集めました。
「ん……。結構、たまってた」
百年。祈りを捧げる者はいなくても、少しずつ神力はたまっていきます。そうして貯められた百年分の神力は、まだまだ余裕がありました。これなら、もう少しは使えるかもしれません。
神無が社に戻ると、一団は出発しようとしていました。少し休憩していただけのようです。神無は社の前に立ち、言いました。
「待ちなさい」
一団全員が大きく体を震わせました。先ほどの男が油断なく、勢いよく振り返ります。そして、神無を見て、固まりました。神無は先ほど果物を集めた場所を指差して、
「あっちに、果物を集めた。食べて行きなさい」
そして手を下ろします。もう、自分の姿は見えていないでしょう。
誰もが困惑しているようでしたが、先ほどの男がまずは奥へと向かいます。すぐに戻ってきて、一団を連れて行きました。
「ん……」
神無は少しだけ満足そうに頷きました。
今もまだ、摩耗してきてはいても、神無の奥底には悪霊としての激情が残っています。残り火のような小さなものですが、それは確かにまだあるものです。それ故に、神無は大人などどうでもいいと思っています。
けれど、あの一団の中には子供もいました。小さな小さな子供もいました。
かつて村を滅ぼしたことを後悔してはいません。ですが、何も知らない子供を殺したことには罪の意識があります。自己満足とは分かっていますが、子供は助けたいと思います。
しばらくして、一団が戻ってきました。先ほどとは変わって、少し生気が戻っています。子供たちにも笑顔がありました。それを見ているだけで、嬉しくなります。
一団が社の前に跪きます。彼らのお礼の気持ちが伝わってきます。
どうでもいいものです。
ですが、ここで見捨ててしまえば、きっと彼らは遠からず死んでしまうでしょう。無論、子供たちも。それは神無の望むところではありません。
神無はもう一度姿を見せます。全員が息を呑んだのが分かります。神無は正面にいる身なりの良い男に、静かに言いました。
「あっちに、古い家がたくさんある。百年以上前の村だから、朽ちているものも多いと思うけど、雨風ぐらいはしのげると思う。休んでいくといい。一日一回だけなら、今日みたいに食べ物も用意してあげる」
そこまで言い終えて、神無はすぐに姿を消しました。誰もが困惑しているのが分かりましたが、身なりの良い男が指示された場所へと歩き始めました。
一人、また一人とそれを追っていきます。神無はそれを感情のない瞳で見送りました。
その日から、一日一回、村人数人が社を訪れるようになりました。その度に森から食べ物を集めて分け与えていきます。子供たちが来た時にちょっと多く分け与えると、それ以後子供たちが来るようになりました。神無としては子供たちにあげて笑顔を見る方が嬉しいので、これで良いです。
やがて、気が付けば村ができていました。
それに気が付いたのは、季節が十回ほど巡ってからです。子供たちも大きくなってきたなとちょっとだけ感慨深く思っていたのですが、そこでようやく気が付いたのです。いつまでいるんだろう、と。
姿を消してかつて住んでいた村へと向かうと、いつの間にか朽ちていた建物は建て直されていました。荒れ果てていた畑もしっかりと整えられています。しばらく呆然としていた神無でしたが、すこし考えて、
まあ、いいか。
と、そういうことになりました。神無としても、引き続き子供たちが来てくるなら文句はありません。
神無自身はあまり気にしていませんでしたが、いつの間にか子供たちが来るのを楽しみに待つようになっていました。無邪気に、あんなことがあった、こんなことがあった、と楽しそうに話してくれるのでとてもかわいいものです。
村のことに気が付いてから、神無はまとめ役を呼び出しました。かつて身なりの良い衣服を着ていた男は、今では他の人と同じ衣服を着ています。
「お呼びでしょうか?」
神無の前で男が跪きます。その男へと、神無は言います。
「ん。順調?」
明らかに言葉が足りなくて意味が分かりません。自分でもそう思ったのですが、男は意味を察したのか、頷いて答えます。
「はい。ご支援のおかげで、どうにか軌道に乗りつつあります」
「ん……。じゃあ、食べ物を直接与えるのは、終わり。その代わりに、加護をあげる」
「加護、でございますか?」
「ん。疫病ははやらない。嵐もこない。実りはたくさん。そんな加護」
男が驚いたように目を見開き、すぐにその頭を地面に叩きつけました。びくりと硬直する神無へと、男は涙ながらに言います。
「ありがとうございます! 神様には何とお礼を言って良いか……!」
「あう……。えっと、気にしなくて、いい……。ずっと一人だったから、最近は私も、楽しい、し……」
思えば、いつの間にかこの生活が当たり前になりつつあります。人が、側にいることが。一人でもいいと思っていたのですが、これはこれで、いいかもしれません。
「条件。一日一回でいいから、子供たちをここに連れてきて。お話、したい」
「かしこまりました!」
「あとは、村の人以外に私のことは言わないこと。いいね?」
「もちろんです! 徹底させていただきます!」
「じゃあ、もういいよ」
「はい! では失礼致します!」
男が何度も頭を下げながら、村へと戻っていきます。ふと思いついて、神無は男を呼び止めました。
「何でしょうか?」
「ん。ずっと妙な呼ばれ方してるから。神無。私の名前」
「かんな、様ですか……。おお、神様の御名を聞けるとは……」
「大げさ……」
神無はうんざりとしつつも、もう行っていいよと手を振ります。男はもう一度頭を下げると、その場を後にしました。なんだか泣いていたような気がするのは、きっと気のせいでしょう。
こうして、神無はその村で神として崇められるようになりました。奇しくもそれは、前任の神と同じ道をたどっていることに、神無は気が付いていませんでした。
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