第2話 自慢の妹の話
その日の夜は、マチアスの歓迎会が開かれる予定だったが、急に班長ら上の人間たちの会議が入ってしまったため、延期となってしまった。
仕方なく一人で寮に戻ろうとすると、ギルベールに食事に行かないかと誘われたのだ。陽気な彼と二人きりになるのに、若干引き腰になりかける。だが、美味しい食事処に連れて行くと言われたため、好奇心と不安が入り乱れながらも、二人で食堂に向かった。
連れてこられた場所は、ギルベールが行き付けにしている大衆食堂。まだ周囲は暗くなってきたばかりだが、既に多くの人たちで賑わっている。都市内ではあまり見かけない褐色の肌の人間や、訛のある言葉を喋っている人たちもいた。
中に入ると、カウンター席の奥に案内された。席に座るなり、後ろから少女がメニューを差し出してくれる。彼女はマチアスのことをちらっと見て、ギルベールに話しかけた。
「こんばんは、ミュルゲさん。新しい人ですか?」
髪を高い位置から結っている給仕の少女が、にこにこしながら話しかけてくる。ギルベールはマチアスの頭を掴むと、ぐいっと彼女の方に顔を向けさせた。目がくりっとした、可愛らしい女の子だ。
「こんばんは、クルミちゃん! こいつ、今日から俺の班に配属になった新人。俺が一応教育係なんだぜ。一応、な。まったく、俺みたいな適当な男に教育係を押し付ける班長が、何を考えているのかわからないぜ」
「そうですか? 班長さんも適任者にお願いしたと思いますよ」
「どういう意味だい?」
ギルベールが首を傾げると、彼女はくすくすと笑った。
「ミュルゲさんは自分で思っている以上に、面倒見がいい、優しい人ですよ。妹さんがいるからですからね、私にもとても気を使ってくれます」
ギルベールが唖然としている間に、クルミの顔がこちらに向いた。
「ミュルゲさんと一緒に、これからこの町を守ってくださいね」
「は、はい……」
笑顔で言われて、マチアスは内心ドキドキしていた。年齢はマチアスよりは下だろうが、彼女の微笑みを見ると、疲れなどあっという間に吹き飛んでしまいそうである。
彼女は他の人に注文を頼まれると、明るく返事をして、二人の前から去っていった。
ぼんやりとメニューを眺めていると、ギルベールに頬を軽く拳でぐりぐりと押される。
「お前、わかりやすい奴だなぁ。俺とたいして年齢は変わんないっていうのに。……さては、女に対しての免疫がないんだな!?」
図星をつかれて、言葉が詰まる。肯定するのも悔しく、かといって否定するのも虚しい感じがしたため、一息いれてから、質問をさりげなく逸らした。
「……ギルベールさんって何歳ですか? 自分は十八歳です」
「俺は二十歳さ。警備団に入って二年たった。つまりお前と同じ歳で入団だな。二年もやれば、おおよその仕事の流れはわかってくるからな、頑張ってくれよ」
「なるほど、二年もいれば、ギルベールさんのような素敵な男性になれるのですか。さぞ魅力的な女性と出会ったことがあるんでしょうね。今日も彼女さんがどこかで待っているんじゃないですか?」
若干嫌みをこめて言うが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「彼女はいねぇぞ。俺にはもっと大切な人がいるからな!」
彼は満面の笑みで、胸ポケットから一枚の紙を取り出した。それは綺麗に写生されている絵だった。二人の少年少女が笑顔でこちらに顔を向けている。男はギルベールだろうか、もう一人の栗色の髪の少女は――
「妹だ。なあ、可愛いだろう! 世界で一番、可愛いだろう!!」
絵を顔に押し付けられるのではないかという勢いで、近づけさせられた。慌ててマチアスは絵を押し戻す。咳払いをし、絵と距離をとってから再び見る。
栗色の髪を肩あたりまで下ろしている。クルミよりも、少しきつそうな目をしているが、顔立ちは可愛いといえるものだった。
「どうだ、どうだ!?」
「か、可愛いですね……」
「だろう! 自慢の妹だ! 頭もいいし、俺と一緒によく遊んでいたからか、運動神経もいいし、ときどき『お兄ちゃん、うるさい、鬱陶しい』とか言われるけど、それも含めて可愛いんだ!」
はっきりと言い切ると、絵を大事そうに抱きしめた。
マチアスは呆気にとられて、彼の演説を聞いていた。カウンターの中に戻っていたクルミは苦笑いをしている。彼女もこの話は聞いたことがあるのだろう。このお兄さんは妹のことが、たいそう好きのようだ。
「何でもできるなんて、素敵な妹さんですね」
兄の溺愛はさておいて、聞いた限り思った言葉がそれだった。勉強も運動もできるとは、羨ましい。
ニコニコしていたギルベールだが、唐突に低い声でぼそっと言った。
「……半端な気持ちで手を出したら、許さねぇぞ」
背筋に悪寒が走る。すぐに彼の表情は戻ったが、垣間見たおぞましい表情はいつまでも記憶に残りそうだった。
ほどなくして、クルミが料理と飲み物を持ってきたため、会話は一区切りとなった。乾杯し、肉料理などを次々と平らげていった。
からっと揚げられた鳥の唐揚げは、口に入れると肉汁がじゅわっと出てきて、美味しい。さっと焼いただけの野菜も肉とよくあい、ついつい口の中に運んでしまう。注文する料理はどれも美味しく、全般的に値段も高くないため、こんな店があるのかと感動するほどだった。
ギルベールは程良く酔いが回ってきたところで、マチアスのことをぐいぐい聞いてくる。
「マチアスはどうして警備団に? 親御さんが心配したんじゃねぇか?」
「親とは色々あって疎遠状態です。警備団に入ったのは、昔、団の人に助けられて、自分も誰かを助けたいと思うようになったのと、外に出られる機会もあるって聞きまして」
警備団の仕事の一つに、市街から出る人間たちを護衛するものがある。まだ件数は少ないが、これから徐々に増えていく仕事だと言われていた。
小さい頃から外に強い憧れがあった。壁で囲まれた閉鎖的な空間の外から来た人間に話を聞いたときは、心が躍るようであった。
厳しい両親の元で育ったマチアスには、魔物がうろついている外に出るなと散々言われていた。だが、仮に仕事で出るようなことがあれば、うるさいことは言われないはずだ。
ギルベールは塩気がきいたフライドポテトを摘まんで、口の中に入れる。
「外に出たいなんて、面白いことを言うんだな。外は考えている以上に安全じゃねぇぞ? 自分の命を守るので精一杯だ。のんびり森の中を歩いていたら、魔物が草むらの中から現れて、全力で逃げるっていうのが普通だぜ。いつも気を引き締めていないといけねぇ」
「ギルベールさんは都市の外に出たことがあるんですか?」
「あー、さん付けはやめてくれないか? なんか背中が痒くなる」
そう言われたが、目上の人間を呼び捨てにするのは躊躇われた。少し考えた後に、マチアスはもう一度問いかけた。
「――先輩は外に行ったことがあるんですか?」
「行ったことがあるって言うか、俺は都市外の人間だ。ここから馬車で走らせて七日くらい離れた町から来た」
マチアスが目を丸くしているのをよそに、ギルベールは氷が入ったグラスに蒸留酒をちまちま注いだ。
「俺はお前みたく、家が嫌で出てきたんじゃねぇ。むしろ妹とは離れたくはなかった。いつも一緒にいたお兄ちゃんがいなくなったら、寂しがるだろう?」
妹が大好きだというのは、絵を嬉しそうに見せてきた時にわかっていた。
「だけど妹が大切だからこそ、ここに来たんだ。テレーズの未来を守るために、俺はここで――目的を果たす」
覚悟を決めた表情で語るギルベール。その横顔を見ながら、ごくりとつばを飲み込んだ。
彼のグラスの中に入っていた氷が、からんと音をたてて動いた。ギルベールはそれを一気に飲み干す。グラスを机の上に置いた瞬間、彼の体はぐらっと傾き、机の上に突っ伏してしまった。やがて小さな寝息が聞こえてくる。
一瞬の出来事に、マチアスは唖然としつつも、ふっと表情を緩めた。
彼は言葉はぶっきらぼうで、不真面目そうに振舞っていて、時として周りに迷惑をかけるが、根は優しく、面倒見のいい人間なのだろう。あっという間の楽しい食事会であった。
「ミュルゲさん、まさか寝ちゃったんですか?」
クルミが机の上に残っていた空いた皿を下げていく。
「そうみたいです。いつもこんな感じなんですか?」
「酔い潰れたのは、これが初めてですよ。嬉しかったんじゃないですか、後輩ができて」
彼女はギルベールの傍にあった皿も、静かに下げていった。
マチアスは壁にかけてある時計を見た。夜も更けてきている。
寝てしまった先輩を見て、肩をすくめてから、軽くゆすり動かした。
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