13 【ルカ】憧れる



『は? 穢れてる?』


『僕……僕は、犯罪者の、子どもだ、って……だから……』




 言いながら、また泣きそうになった。自分は穢らわしい存在なのだと、口にしてしまうのは辛かった。


 途端、フレアは可笑しそうに噴き出した。




『何それ。くっだらないわね』




『え……?』


『くっだらない。そんなのどうだっていいことでしょ! あんただって一応、末端は末端でもイグニス家の一員じゃない。そんじょそこらの平民とは訳が違う。誇り高いイグニスの血が入ってるの。そんな大切なこと忘れちゃったの? いい? イグニスの名を名乗るならね、どんな時でも胸を張りなさい。弱っちいところなんて見せちゃだめ。いつだって誇り高い存在でなければだめなの!』




 彼女らしい強い言葉だった。いつもなら怯えてしまうのに、今日は不思議と、胸が高鳴った。


 くだらないと笑い飛ばされ、誇り高くあるべしと断じられたことが、心地よかった。




 温かいものが胸に広がる。月明かりと火の玉に照らされた彼女の金の髪が、眩しく輝いていた。フレアは「フン」と鼻を鳴らすと、ぐいっと顔を近づけた。




『で、いつまでそんなところで膝抱えてるわけ?』


『え?』


『ほら、さっさと戻るわよ! 喧嘩を売りに行くの。あんたが起爆能力使ってるところ見てみたいし』


『いや、えと、えっ、僕は、その、喧嘩は……』


『やるんでしょ、やるわよ。やるって言いなさい。あんたそれでも聖騎士なわけ? 今夜だけはあんたと徒党を組んであげるわ。あいつらが好き勝手言えるのも今日でおしまい。ほら、さっさと立って!! 立ちなさいってば!!』


『あわわ……』




 まさか今から喧嘩に駆り立てられることになるとは思わなかった。相当腹の立つことがあったらしい。


 彼女の火が大きく膨れ上がり、ゆらゆらと揺らめく。


 その火は何度かルカの顔や手を掠めたが、不思議と熱さはなかった。これまでもそうだった。こんな風に火が当たったことは何度かあったのに、ルカは一度だって火傷をしたことはなかった。


 むしろ温かくて、優しい。


 きっとフレアが加減してくれているということだろうと、ルカは結論づけていて、だから、彼はこの揺らめきが好きだった。






『――――何をしているフレア!!』






 その時公爵が二人を発見して、怒鳴り声が響いた。ルカは説明しようとしたが、公爵は聞く耳を持たず、フレアがルカを虐めているのだと勘違いしたまま、彼女をむりやり連れて行ってしまった。
















「――――ルカ?」






 ベッドに横たわる母が、不安そうにルカの顔を覗きこんだ。


 ルカはふるふると首を横に振った。涙を必死で拭っていると、ソフィアは「可哀想に。大丈夫? どうしたの?」優しい言葉を掛けてくれて、それが心地よくルカの耳を擽った。




「僕、も……」


「ん?」


「大好きだよ。お母様の事。お母様の子どもに産まれて、僕は、幸せだよ」




 生気のなかったソフィアの頬に、赤みがさす。涙が流れ、ソフィアは泣き笑いのような表情を浮かべた。それからルカの頬を両手で挟み、ゆっくりと引き寄せ、額にキスを。


 初めて、ちゃんと気持ちが通じ合ったような気がした。


 ずっと一緒にいたのに、たくさんいろんな話をしてきたはずだったのに、この時ほど幸せなことはなかった。




「そうだルカ。フレア様は……?」


「あ……えっと、フレア様は……」


「こうしてルカに会えたのもフレア様のおかげよ。あの御方が私を助けてくださったの。フレア様は…………ルカ? どうしたの? まさか、フレア様に何かあったの!?」




 フレアは公爵によって牢屋に入れられてしまった。




 その事実を伝えるとソフィアは取り乱し、ばあやが慌てて部屋に入ってきてソフィアを宥めた。


 ルカは騎士と一緒にその事実を伝えに公爵の元に向かったが、公爵はやはり取り合ってくれなかった。




「あいつが犯人だ! あいつが……。そうに決まってる」




 その表情には、どこか迷いがあるように見えた。「そんなことより、ソフィアは休んでいるか? ああ、早く会いに行きたいのに」案じているのはソフィアの事だけ。ルカの言葉も一切届かない。


 本当は飛んで会いに行きたいのだろう、なんならずっと傍にいたかったに違いないが、公爵の仕事の所為でそれができない。――もしかしたらあの強盗二人組の件で、何か進展があったのかもしれない。公爵はどこか取り乱しているようにも見えた。




 ルカは静かに絶望していた。公爵に、自分の声は届かない。


 きっとソフィア本人の言葉だったなら、もう少し耳を傾けたに違いない。




(この人は、僕自身じゃなくて……この人が大切なのは、お母様だけなんだ)




 それが嫌という程伝わった。






 結局どうすることもできないまま、ルカはフレアの牢屋へ向かった。


 パンやお菓子をたくさん鞄に詰め込んで。自分にできることは、せめてこうして何か持っていく事だけだった。




 牢屋の前には、怖そうな顔の看守がいる。あの看守に話しかけるなんて、想像しただけで体が震えた。それに勇気を振り絞って会いに行ったところで、フレアはどう思うだろうか?




 彼女はルカを嫌っている。


 何しに来たのだと罵倒されるかもしれない。




 なかなか覚悟が決まらず、看守の見えない場所でうろうろしていると――……




「――あれ? ルカ?」


「え? カ、カノン!? それにルベルも!?」




 ぽけんと目を丸くしたカノンに、ぶすくれた表情のルベルが、暗闇からぬっと顔を出した。




「どうしてここに……」


「家抜け出してきた! いや~すっげえ怒られてさ。父上も母上も、もうフレア様には関わるなって言うけど――」


「俺もそう思う」とルベル。


 カノンはルベルをムッと睨み付けると、「俺はそうは思わないね!」と唇を尖らせた。




「フレア様は絶対違う。あんなに格好良い人が、あんなことする訳ないだろ」


「どうだか。彼女はイグニスの問題児だぞ。ルカだって今まで散々酷い扱いを受けてきたじゃないか」


「いや、僕は……」


「それにカノン、お前はフレア様に惚れてるだけじゃないのか」




 その言葉に、ルカはぎょっとなってカノンを見た。カノンは「それだけじゃねえよ!」と惚れている点については否定しないまま、「俺はあの人を尊敬してんだ」と胸を張った。




「炎の聖騎士なんて震える程カッコイイだろ! 俺は、フレア様が卑怯な真似するなんて思わない。ルカがこうして来てんのも、フレア様を信じてるからだろ?」


「う、うん」




 ルカはしどろもどろになりながら、母から聞いたことを二人に話した。ルベルはそれでも半信半疑だったが、カノンは「ほれみたことか!」と目を輝かせる。


 一方ルカはルカで、『カノンがフレアに惚れている』という一点が気になって気になって仕方がない。


 ただ、どうしてそれがこんなに気になるのかは、よくわからなかった。




 カノンは、容姿も性格も抜群でイグニス家の女の子皆が夢中だ。


 そんなカノンと、イグニス公爵の娘であり聖騎士であり、誰よりも美しくて勇敢な、フレア。




(ぴったりの二人だ。なのに……)




「よし、早速フレア様のところ行こうぜ! こんなところで一人なんて、さすがのフレア様も心細いと思うからさ」




 カノンに手を引かれ、ルカは戸惑いながらも頷いた。






 カノンが説得した結果、看守は三人を中に招き入れた。こんな遅い時間の面会は普通認められていないが、相手がルカとカノンだから特別に、ということだった。




 最初に見た時、フレアは簡素なベッドの上で眠っていた。


 あの強烈な落雷の音を思い出して、ルカはぶるっと震えた。胸がきゅっと締め付けられるように痛んで、泣きそうになった。


 こんな場所は、彼女には相応しくない。早く彼女を、こんな場所から出してあげたい。


 そう思えば思う程、何もできなかった自分が情けなくて仕方ない。母ならばそれができた。なのに、自分にはその力がなかった。




 三人はひそひそと話し合い、その結果、フレアが起きるまで待つことにした。


 看守の控え室に身を寄せ、フレアの為にと持ってきたお菓子を時々囓りながら。ルベルだけは「待っていても仕方ない。帰ろう」と何度か言ったが、ルカはたとえ二人がいなくなっても、ここで待つつもりだった。




 申し訳ない気持ちが強かった。


 フレアが冷たい牢に入れられたのに、自分だけぬくぬくといつものベッドで眠るなんて、許されない気がした。






 やがて随分経って、うとうとし始めた時のことだった。




「看守! いるでしょ! 返事しなさい! 早く!!」




 張りのあるフレアの声が、牢に響いた。




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