第280話 時を刻んでもらうがため

 ペトラは北離宮の奥の部屋へと、リティアたちを招き入れた。


 近侍の者たちにも部屋に近付くことを禁じて人払いをし、扉を堅く閉めた。


 かつて部屋にはルーファ産の豪華な調度品がならんでいたが、リーヤボルクの蛮兵たちに盗み出されてしまったのであろう、


 簡素な丸テーブルと椅子だけが無造作に置かれていた。


 リティアにとっては母エメーウとの思い出ぶかい一室でもあったが、いまは忘れることにしてペトラを見詰める。


 そして、ペトラの勧めるまま、踊り巫女姿の三姫とファイナが椅子に腰をおろし、ともにテーブルを囲んだ。


 静けさが5人の女性王族に、ぬらりと絡みつくような重たさを感じさせる。


 しかし、ペトラは内心の動揺を押さえ込んだ微笑をたたえ、妹ファイナに声をかけた。



「……久しいの、ファイナ。今はどうしておるのじゃ?」


「ロマナ様に保護していただいております」



 ファイナは、今にも叫びながら姉ペトラにしがみ付き「一緒に王都を出ましょう!」と訴えたいのをグッとこらえた。


 まずは、ペトラとゆっくり話をしようと、三姫から言い含められている。



 ――ペトラの覚悟は、情理を超えたところに置かれている。



 と言われては、その通りだとしか、ファイナにも思えなかった。


 ペトラはぎこちない笑みを、ロマナに向けた。


 大軍を率いるとはいえ、いまだペトラにとってロマナは〈列候の娘〉である。



「……公女殿。ファイナが世話になっておるようで、私からも礼を申したい」


「いえ……、ペトラ殿下のご苦難を思えば、この程度のこと誇れるようなことではございません」



 と、踊り巫女姿のロマナが恭しく頭を下げると、ペトラの眉がピクリと動いた。


 その表情を見て、ロマナは静かに話を続けた。



「リーヤボルクめに祖父ベスニクを囚われ、王都に偵人を潜ませておりました」


「……当然のことにございましょう」


「偵人から届く断片的な報告からだけでも、ペトラ殿下の気高きお振る舞いに、ふかい感銘を受けておりました」


「……それは、過分なお言葉。痛み入ります」


「ペトラ殿下のご苦難、身を挺して王国を守られた誇り高き行いは、遠くヴールの地まで鳴り響いております」


「そのような、ではございません……」



 と、ペトラの声に自嘲が帯びようとしたとき、アイカが口をひらいた。



「旧都のカタリナ陛下もっ! ……ペトラ殿下のお祖母さまであるアナスタシア陛下も……、ずっと、ずぅ――っと、ペトラ殿下のことを案じていらっしゃいます」



 内親王たる妹ファイナが、公女ロマナの庇護下にあって恥じるところを見せないこと以上に、


 アイカの存在は理解に苦しむ。


 報告は受けている。



 ――リティアが義姉妹しまいの契りを与えた。


 ――ザノクリフの新女王イエリナ=アイカと同一人物であった。


 ――バシリオスが草原に建国したコノクリア王国を援けた。



 しかし、ペトラの記憶の中では、まだまだリティアの可愛がる内気な少女、《無頼姫の狼少女》としての印象の方が強い。


 審神みわけを受けたカタリナはともかく、祖母アナスタシアの名にも親しみがこもる理由が理解できない。


 ただ、



 ――王都の外で、時を刻んでもらうがための、わが苦難の道であった。



 と思えば、状況に取り残されているように感じることには、むしろ心が満たされた。


 自分が実感することは出来ないが、この桃色髪の少女は、王国の要人となり、みなから愛されているのであろう。


 きっと、自分とはまったく違う苦難の道を歩んだ末に、ひかり輝く御座に就いたのだ。



「いや……、玉座か」



 と、ペトラはクスリと笑った。



「アイカ殿どの……、いえ、アイカ陛下。ザノクリフ女王におなりあそばされたとか。まことに、おめでとうございます」


「あ、いえ、そんな……、ありがとうございます」


「カタリナ陛下を通じ、われらとも血縁があったとは、不思議なご縁です」


「……そうですね」


「ザノクリフ王国は、わがテノリア王国の建国に賛意を与えてくださった要国。どうぞ末永い友好関係を、わたしからもお願い申し上げます」



 アイカに対してふかく頭をさげたペトラに、



「お姉様! いますぐ、このまま北に走り王都を出ましょう!」



 と、ファイナが悲鳴を上げるように訴えた。


 穏やかに語るペトラの、アイカへの申し様に「自分のいなくなったテノリア王国を託す」という響きを感じとり、耐えることが出来なくなったのだ。


 瞳にいっぱいの涙をためたファイナに、ペトラは優しく微笑みかけた。



「わたしは行かぬ。……行ってはならんのだ」



 穏やかな響きのする声、やわらかな拒絶。


 ファイナはそれ以上に言葉を継ぐことが出来なかった――。

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