第277話 返り討ちにしちゃいます?
夜半過ぎ、アイカは東の空を焦がす火の手に目をこらした。
「夜襲です」
と、救国姫軍の総指揮官であるカリトンが膝を突いた。
三姫の軍勢は〈火の手〉に敏感だ。
決戦となれば、リーヤボルク兵は王都に火を放つ。
潜伏する侍女たちからは「王都のあちこちで、火計が準備されている模様」と、報告が届いている。
しかし、いま東の空を染める紅色は、王都の外で燃え上がっているようであった。
カリトンが、アイカを見詰めた。
「いかがいたしましょう? リティア殿下に援軍を出しますか?」
「……いえ」
アイカは東の空から目をはなし、暗闇の中に沈む王宮に目を凝らした。
「あれは、陽動じゃないですかね?」
「陽動……」
「たぶんですけど、リーヤボルク兵も私たちに勝つことは諦めていると思うんですよねぇ……」
「ええ、それは……」
と、カリトンもアイカの視線を追って王宮を見詰めた。
アイカは両脇で〈おすわり〉したまま動かないタロウとジロウの背を撫でた。
「なので、討って出るとしたら王都からの脱出が狙いなんじゃないかなぁって……」
「……なるほど」
「でも、だとすると方角がおかしくありません? リーヤボルク本国があるのは西なんですよねぇ」
戦歴を重ねていたアイカの目に、リーヤボルク兵の夜襲は不可解なものに映っていた。
――リティア
そして、もしリティアが
つまり空を焦がすほどの大きな炎と、見た目の派手さの割に、本気で攻めてないのではないかと疑っている。
サラナが、カリトンの隣に膝を突く。
「わたしの見立ても、アイカ殿下と同じにございます」
「……だとすると、狙いはなんでしょう?」
「恐らく、我ら救国姫軍かと」
「ええっ!? ……ウチですか?」
「リーヤボルク兵から見て、他国の兵も混じる我らの軍が、もっとも脆弱に映っていても不思議ではありません」
「あれま」
「我らの陣を突破するための陽動と考えれば、つじつまが合います」
「なるほど、舐められてるんですね」
「そういうことになります」
「……返り討ちにしちゃいます?」
「それがよろしいかと」
アイカは念のためロマナに早馬を飛ばした後、
ステファノス率いる祭礼騎士団に、東の無頼姫軍への救援を命じた。
陽動に乗せられたフリをするためである。
「勝てますよね? ミハイさん」
「へへっ。もちろんですよ、女王陛下」
と、ミハイ率いるザノクリフ王国軍を、ゆるく展開させる。
無頼姫軍への救援の準備にもたついているフリをさせ、敵が喰い付きやすいスキをつくらせた。
ナーシャの草原兵団には後詰めを命じ、夜の闇に潜ませる。
果たして、リーヤボルク兵たちの狙いはアイカとサラナの読み通りであった。
ルカスの王都退出が知れ渡り、一部のリーヤボルク兵は本国への帰国を決意した。
いくら富にあふれるとはいえ、他国の都で全滅を待つだけなのは耐えがたい。
しかし、その声にサミュエルが首を縦に振ることはなかった。
――主将サミュエルは、女――摂政正妃ペトラに骨抜きにされている。
と見切った者たちは、すでに用をなさなくなった大神殿に集結していった。
王都にのこるリーヤボルク兵約2万のうち4000ほどが勝手にまとまり、脱出部隊となる。
大神殿の中までは、いまだ無頼も侍女たちも諜報の網を伸ばせていない。
――王都に火を放てば、総攻撃を招く。
と見た脱出部隊は、王都を北に抜け、草原を経由して本国を目指すことにした。
気の利いた者が陽動の策を考え、リティアの陣に油をまき火を放った。
すこしでも北の陣が浮足立ってくれれば儲けもの……、という考えであった。
一方、三姫の側からすれば、リーヤボルク兵が王都から討って出てくれることは望むところである。
王都の外が戦場になるならば、いくらでも戦闘に応じるつもりで警戒を緩めたことはない。
リティアは落ち着いて消火にあたらせていたし、
ロマナも、西にこぼれてくる兵があれば、確実に討つよう命を発した。
そして、アイカは小声で――、
「みなさん、できるだけモタモタしてくださ――っい……。どんくさい感じで――っ……。そう! ジョルジュさん上手! あっ、チーナさんテキパキし過ぎです。それじゃあ、警戒されちゃいますよ――っ……」
と、王都からリーヤボルク兵を誘い出す芝居の演技指導に余念がなかった。
やがて、斥候に出ていたネビが駆け戻る。
「来ました。数はおそらく4000程度」
「う~ん、全員では来てくれませんか~」
「陣形もなく、おそらくは一部の兵による暴発ではないかと」
「仕方ありませんね。確実に捕えましょう」
やがて闇の中から声もなく突撃してきたリーヤボルク兵。
驚いたフリをしたザノクリフ兵たちは、陣形を乱してゆく。
「うまいっ! うまいなぁ~っ!! 最高の負けっぷりで――っす!」
と、小声で褒める女王陛下に苦笑いするザノクリフ兵たちは、ゆるやかに陣形を「へ」の字に曲げてゆき、
潰走を擬態しつつ、リーヤボルク兵を包み込んでゆく。
とはいえ、ザノクリフ王国軍だけで4万を数える。
約10分の1でしかないリーヤボルク兵を充分に呼び込んだ後、攻勢に転じた。
「降伏してくださ――っい!! 武器を置けば悪いようにはしませ――っん!!」
と、タロウに乗ったアイカが叫んで回り、脱出部隊の約半数は投降した。
しかし、のこり半分は無謀な突撃によって命を散らす。
「……イエリナ陛下は、出来るかぎりのことをされましたよ」
と、馬を寄せて来たミハイに、
アイカもちいさく頷いた。
やがて、ナーシャも姿を見せ、悲痛な表情をうかべたアイカを気遣う。
「……相変わらず、アイカは優しいのう」
「仕方ないです……、戦争なんですから」
と、眉間にしわを寄せるアイカに、ナーシャが身にまとう煌びやかな鎧の胸当てを叩いて見せた。
「この鎧はのう、ファウロス陛下がくださったものなのじゃ」
「へぇ、そうなんですね。……キレイな鎧です」
ナーシャの鎧には精巧な装飾がほどこされているだけではなく、
全体に銀色を基調にしながら、松明の灯りを反射し、玉虫のような七色の輝きをみせる。
「……聖山戦争の折には、わたしが兵を率いざるを得ない場面もあったのじゃ。そんなとき、主将が派手な鎧を身に付けておれば、敵の戦意を挫いて降伏させられるのではないか、とのう……」
「ファウロス陛下が、そんなことを……」
「ふふっ。もちろん、そんなことはなくて、むしろ敵兵から的にされたものであったがの」
「あ、そーなんですね」
「……しかし、わたしの命を大切に想い、敵兵の命をも大切に想われた陛下の優しい心が宿った、思い出の鎧なのじゃ」
と、ナーシャは懐かしげに、鎧を撫でた。
「……アイカも立派に《ファウロスの娘》じゃ」
やがて王都の中から、カリュの密使が届き、
――これ以上の侵攻はない。
と、報せてきた。
アイカは、リティアとロマナにも早馬を飛ばし、夜の闇に静まり返った王都の方に目を向けた。
王都の中にのこるリーヤボルク兵は、およそ1万6千。
三姫率いる軍勢の、ちょうど10分の1にまで数を減らした。
しかし、いざとなれば王都を火の海にするのに充分な数だとも言える。
――正念場。
リティアの言葉を思い返し、
アイカは固く奥歯を噛みしめた――。
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