第222話 取り戻しましょう!
アーロンが重い鉄製の扉を開けると、むっとすえた臭気が鼻をついた。
なかに入ると、換気が悪いのか、顔面を押してくるような湿気がまとわりつく。
穴が穿たれただけの小さな窓からさし込む夕陽が、対角の壁に紅色の丸を描いている。
剣を構え慎重に目をこらすアーロン。
陰影に慣れた網膜が像を結ぶ。ボロ布を被せられた老木が、石室の一隅に転がっている。
「ご主君!!」
と、駆け寄り、抱き起こした老木。
長きに渡る幽閉で衰弱した西南伯ヴール候ベスニクであった。
「おお……、アーロンか?」
「左様にございます! 遅くなり申し訳ございません」
「……よい。大儀である」
「なんと、おいたわしいお姿に……」
「……オリーブのピクルス」
「はっ」
「届いておったぞ……」
あまりに軽くなった主君の体躯。
にもかかわらず、まず家臣の労苦をねぎらうベスニクにしずくが一滴、落ちた。
蛮兵たちから救出したバシリオスと侍女長サラナ。
リーヤボルク兵を討ち払った後、ヨハンの死に疲弊していたサラナが、ロザリーに寄りかかりながらも冷静な声を絞った。
「詳しい話は後ほど。……我らはサグアに築いたという砦に移送されるところでした。おそらくベスニク公もそちらに」
「なんと」
色めきたつアーロンとリアンドラに、言葉を重ねる。
「先ほど逃散したリーヤボルク兵が逃げ込めば、公のお命が危うい。ただちに後を追い、砦を制圧すべきです」
「かしこまりました」
「ただ、砦を守る兵の数までは分かりません。まずは、ここに散らばる兵士から鎧を剥ぎ、逃げて来たリーヤボルク兵になりすまして門を開かせるべきかと」
「そのお役目は俺がやらせてもらいましょう」
と、北の元締シモンの若頭ピュリサスが声をあげた。
「凛々しい《聖山の騎士》の皆さまでは、顔付きがまとも過ぎというもの。リーヤボルクの蛮兵に化けるなら《聖山の無頼》の出番です」
「おおっ。ピュリサス殿、やってくださるか」
「リーヤボルク兵どもの裏をかけるとなれば、なかなか愉快な役目でございます」
口の端をゆがめたピュリサスは、すでに斬り捨てにされた兵士から剥ぐ鎧を物色し始めている。
王太后カタリナが放さない廃太子アレクセイを旧都に残し、姉ガラを恋しがるレオンを連れて出発していたピュリサスとロザリー。
きな臭い西方会盟の領域を避け、王国の西端ブローサから大回りしてヴールに向かう旅の途中、偶然にも蛮兵どもがバシリオスを斬ろうとする騒ぎに遭遇した。
ロザリーが、傍らに立つレオンの頭を撫でる。
「寄り道ばかりで、すまないね」
「……ううん。……大切なご用事なんでしょう?」
「お姉さんのガラを召し抱えてくださった、ロマナ様」
「うん。覚えてるよ」
「そのお姫様のお祖父様を救けに行くの」
「じゃあ、お姉ちゃんも喜んでくれる?」
「ええ、きっと喜ぶわね。悪い奴らにつかまって、ずっと離ればなれにされてるの。お姉さんもお姫様も、大喜びしてくれるよ」
「じゃあ、寄り道じゃないよロザリー! 遊びに行くんじゃないんだから!」
「ふふ。ほんとだ。レオンは賢いね」
「え~っ?」
ほほえむロザリーに、レオンがはにかむように笑った。
――最強……、最強のおねショタですわっ! 絵になり過ぎです!
その光景に目を奪われつつ、アイカもベスニク救出に協力するためにジロウの背に乗る。
散りぢりになった蛮兵が連れていた馬を呼び戻し、たたちにサグアに向けて出立する。
「……あの言い訳のような砦に、ベスニク公を幽閉するとは」
馬上でカリトンが唸った。
レオンを前に乗せて馬を駆るロザリーが、のこった独眼をほそめた。
「蛮兵に蛮将の知恵ではない。……おおかた、西域の古狸が差配したのであろう」
「古狸……」
「……大隊商のマエル。いいように振り回すだけ振り回されて、いまはリーヤボルクに帰ったと聞くが……。しかし、そのお陰でボロを出してくれた」
空が茜色に染まりはじめる頃にサグアに到着し、近くの森に馬をつなぐ。
ナーシャやアリダ、ロザリーたちは馬が鳴き声を出さないよう番をしてその場にのこる。
辺りを窺いながら、リーヤボルクの鎧を着こんだピュリサスが近付き、その後ろをアーロンたちがついて行く。
ピュリサスが門を開けさせるやいなや、アーロン、リアンドラ、カリトン、アメル、さらにはオレグも実践経験を積む絶好の機会とばかりに突入してゆく。つづいてピュリサスも砦の中へと侵入する。
さきほど討ち漏らした蛮兵が逃げのびて来ないとも限らないので、アイカとバシリオス、それにタロウとジロウが後詰めとして門のまえを守る。
夕陽にそまる草原を、アイカは注意深く見つめた。
砦の中からは守兵の騒ぎ声がする。声音から狼狽したままであることが察せられ、制圧が順調に進んでいることが分かる。
「アイカ……」
「あっ、はいっ!」
唐突にバシリオスに名を呼ばれ、ビクッと振り向くアイカ。
格闘家のようであったバシリオスの体躯はやや細身になったものの、目の輝きはかつて王宮で接していた頃と変わらない。
呼び捨てにする声には
「リティアは、どうしておる?」
「
「そうか……」
「笑ってました!」
「ん?」
「父上はホントにヒドイ人だなぁ! そりゃ、兄上に討たれますよ! って、笑ってました!」
リティアの口真似をするアイカに、バシリオスは顔をほころばせた。
「……リティアは変わらぬな」
「はいっ!
「すべては、父上から預かったヴィアナ騎士団を束ねきれなかった私の責だ」
「取り戻しましょう!」
敵を警戒し、草原を見たままであったバシリオスが、アイカに目を向けた。
その瞳を、アイカの黄金色の瞳がまっすぐに見つめ返す。
「私は、あの王宮が大好きです!
バシリオスの視線に満面の笑みを返したアイカは、どこまでも続く草原に落ちてゆく夕陽を見つめた。
「……取り戻しましょう!」
「そうだな……。過去を悔いるのは、その後にしよう」
「はいっ! そのときは、みんなで、いっぱい泣いて、いっぱい笑いましょう!」
あたらしくできた
リーヤボルクに囚われ世間と隔絶される前には、もっとオドオドとした内気な少女の印象であった。
その《無頼姫の狼少女》が底抜けの笑顔で自分を励ましてくれている。おそらくは
――私には、人を変えられるような器はなかった。
チリッと胸に焼けるものを感じたバシリオスも、地平線に消えようとする赤くおおきな太陽に目をやった。
その夕陽とおなじ色をした瞳を輝かせるリティアの、自分を慕う笑顔を思い浮かべながら。
やがて、砦の制圧が完了しベスニクを救出したと、アメルが報せに来た。
バシリオス、ベスニク――。
リーヤボルクの奸計で虜囚の憂き目をみていたふたりが、夕陽に染まる燎原に解き放たれた。
ただちにカリトンが、援軍を求めてハラエラに走る――。
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