第211話 山湫哀華

 人知れず出立したアイカたち一行を見送ったのは、主要5公と、王配にして摂政のクリストフ、それにエルの7人だけであった。


 ナーシャなど女性陣は、代わるがわるにエルを抱きしめて別れを惜しむ。


 カリュから仕事を教わったエルは、王城のメイドに正式に取り立てられた。故郷ザノクリフ復興のため力を尽くしてくれると、アイカも期待している。


 みなが別れの挨拶を交わす中、クリストフがそっとアイカの耳元に口を寄せた。



 ――な、なんスか……? だ、旦那様……? 人前ですよ?



 と、赤面したアイカに、クリストフが囁く。



「いつか、アイカの義姉ねえ様にも、あらためて紹介してくれよな」


「は、はい……、それは、ぜひ……」


「アイカのリティア義姉ねえ様が……、いつか、王都ヴィアナのリーヤボルク兵に立ち向かうとき、ザノクリフから4万は兵を出せる」


「えっ……?」


「主要5公にも相談して、弾き出した数字だ。アイカの……、イエリナ=アイカ陛下の私兵として使ってくれてかまわない」


「……ありがとうございます」


「いますぐ、アイカのお友だちがいる《草原の民》のために兵を出せなくて申し訳ないが、必要なときには、いつでも呼んでくれ」



 アイカは、クリストフの黄金色の瞳を見つめる。


 精一杯に考えて、いまのアイカが喜ぶ、いちばんの贈物を選んでくれたんだと理解できた。



 ――大好きな義姉あねリティアのために、援軍を出してくれる。



 なによりの餞別に、アイカは鼻にツンとくるものを覚えた。


 それを茶化すように、クリストフが飄々とした笑みを浮かべる。



「次に会うときは、俺たちの《初夜》も楽しみにしてるから」


「えっ! ……って、もう。……そういうところですよ?」



 アイカは、はにかんだ笑顔で、クリストフの胸のあたりを、困ったように小突いた。



「待っててくださいね……、旦那様」


「ああ……、ずっと待ってるぜ」



 昇ったばかりの朝陽が、さあっと音をたてるかのように、ザノヴァル湖畔の草原を照らしてゆく。


 黄色い花々の、ひとつひとつに命が宿ってゆくような光景。


 山湫さんしゅう――、山々にかこまれて佇む湖に、身を寄せ合って咲く小さな花たち。地下では吸い上げる栄養を奪い合っているのかもしれない。日光をより多く浴びようと、互いにひろく葉をのばそうと争っているのかもしれない。


 生きるさがの哀しみをたたえながらも、美しく咲き乱れる。


 それでも、知恵をどうにか絞り、力をあわせ、いつまでも精霊の宿る湖のそばを彩りつづけていてほしい。


 アイカは、そう祈りながら、ザノクリフ王国をあとにした。


 昇ってゆく朝陽を背に、西に向けて急ぐ――。



  *



 朝もやのかかる草原――。


 無数にたち並ぶ天幕の間をぬって、あるじの朝食をはこぶ小麦色の肌をした娘がいる。


 ひときわ瀟洒な刺繍のほどこされた天幕に入り、すでに起きていた主の座るテーブルに置く。



「ご苦労」



 とだけ言った主は、娘の方を見もしない。


 しかし、娘は知っている。踵を返し退出していく自分の後ろ姿を、主が舐めるようにしてじっくりと眺めていることを。


 想像するだけで怖気がするが、知らぬふりをして天幕を出る。


 主の視線から逃れ、ほっと一息つき、ふたりの友を想って空を見上げたのは、踊り巫女のニーナである。


 もやが晴れはじめ、繊細に織り込まれたカーテンが開かれていくように朝陽の光がつよく草原にひろがってゆく。



 ――ラウラとイエヴァは、無事に逃げおおせたかしら?



 すでに奴隷のような扱いを受けている自分では、それを知る術はない。


 天高く、祖霊に祈りを捧げるほかない。


 一緒に囚われた多くの《草原の民》は、どこか遠くに送られてしまった。自分がひとり残されたのはあるじに目をつけられたからなのだろうと察しはついている。


 だけども、主は自分の身体に触れてくることさえない。


 ただ、じっとりとした視線で眺めてくる。


 薄気味わるいが、これもニーナにはどうすることも出来なかった。



 ――さっき、あの男の前に座っていた男には見覚えがある。



 歩きながら記憶をたどって思い当たったのは、王都ヴィアナでのブローサ候の宴席だ。ラウラとイエヴァと舞いを披露し、けっこうな額の対価を得た。



 ――たしか……、西域の大隊商……、マエ……、そうだ、マエル。



 ラウラを呼び出し、それを断ると、許可証をうばう嫌がらせをしてきた老隊商のはずだ。


 自分には気付かれなかったと思うが、どうにも気持ち悪い。


 奴隷狩りに囚われた以上、いずれ嬲りものにされるのだと覚悟はしている。口惜しいが、抗う術もない。ラウラとイエヴァを逃がすことができたと、祖霊に報告することだけが慰めになっていた。


 そのニーナが置いていった朝食を摂りながらマエルと談笑しているのは、リーヤボルクの新王、アンドレアスであった。


 マエルが後援し王座に就けたと言ってよい、30年に渡る内乱の覇者である。



「ずいぶん、ゆっくりと進軍なさいますな」



 孫にかけるような穏やかな声音でマエルが言った。


 アンドレアスは、その面長で端正な顔立ちに、じわっと笑みを広げた。



「なぜだか分かるか? マエル」


「さて……? しがない隊商の身では、なんとも……」


「白々しいことを」


「ほんとうでございますよ。兵の押し引きなど、まったく領分の外。さっぱり存じ上げませぬ」


「そうか……。ふふっ。マエルであれば、なんでも知っておるのかと錯覚しておったわ」


「買い被りでございますよ」


「また、兵を選別しておるのよ。やはり、多すぎる」


「左様にございますか」


「テノリアにというマエルの策には驚いたが、お陰で下手に解雇すれば治安を乱してしまうような悪辣な輩は、すべて処分できた」


「恐れ入ります」


「だが、まだ多い。内乱を制するために必要だったとはいえ、他国からも広く兵をあつめた。平時になれば、無駄飯喰らいでしかない。……それなのに働き手は足りぬ。兵を減らして、奴隷を増やさねばならぬ。かといって、兵を奴隷になどすれば、二度と兵をあつめることは叶わなくなる。あたまの痛いことよ」


「左様でございますな」


「そこでだ、奴隷狩りの兵を起こし、ゆったりと進軍させる」


「ほう……」


「ゆったりと進軍させれば獲物は逃げるし、なかなか捕えられぬ。すると、能力の高い部隊しか成果を上げられなくなる。潤沢に獲物がいたら、どこも同じような成果になるからな」


「なるほど、それで査定して使えぬ兵の首を切ろうというお考えでしたか」


「そうだ! やっと、分かったか? 本国には精鋭5万しか残さず、査定が必要な15万を率いてきた。みなに余の意図が伝わりはじめ、目の色変えておるわ」


「さすが、アンドレアス陛下にございます。神慮に頭をたれるほかございません」


「うむ、そうであるか……」



 アンドレアスは、マエルに褒められたときにだけ、教師に褒められた子どものように誇らしげな表情をみせる。


 はにかんだ笑みで、ほほを紅くして視線を落とした。



「ま、それもサミュエルからののお陰だ。棄てたはずの兵が、仕送りをしてくれる。お陰で復興にも余裕がでて、長期の遠征も可能になった」



 その後も、アンドレアスの自慢話を存分に聞いてやったマエルは、昼過ぎに天幕を出た。



 ――やれやれ。ちっとも変らぬアンドレアス坊やであることよ。



 苦笑いして鼻の頭をかいたマエルの視界に、ニーナの姿が入った。


 おけで洗濯をしながら小麦色の肌にうかぶ汗を、陽の光にかがやかせている――。

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