第210話 どんな風になってることやら

 円卓をかこむ太守たちを、ミハイがぐるりと見渡す。



「いいんじゃねぇか? 内戦が収まったら、一旦、旅に出る。イエリナ陛下と交わした、最初からの約束だ」



 そう言ったミハイは、椅子の背もたれに身体をあずけ、手を組んだ。



「……みっともねぇ内戦からイエリナ陛下を護ってくれたのは、精霊の結界だけじゃねぇ。テノリアの第3王女リティアもだ。どっちにしても、俺たちじゃねぇ。しかも、こんな立派な国王に育ててくれた。陛下の義理は、俺たちの義理でもある……」



 プレシュコ太守ニコラエが、深くうなずき口をひらいた。



「イエリナ陛下は、ほんとうに我らのために私心なく尽くしてくださった」



 職人肌でふだんは無口なニコラエ。アイカと太守たちの視線があつまる。



「先日、わずかな時間であったが所用により、我が所領プレシュコに戻った。するとだ……、領民たちが駆け寄ってきて、口々に感謝を述べてくる。食にこまらなくなった、住まいにこまらなくなった……、みなが笑顔で私に言うてくるのだ」



 ニコラエは、アイカに顔をむけ、まっすぐに見詰めた。



「陛下の仰られる『みんなの国』という言葉が、すこしばかり腑に落ちましてございます。微力ながら、イエリナ陛下の国づくりを途絶えさせるようなことにはいたしません。どうぞ、ご存念のとおり、志を果たしてくださいませ」



 円卓をかこむ太守たちは、みな同様に感謝をのべては、頭をさげてゆく。


 最後はうつむいて涙をこらえていたアイカであったが、意を決したように顔をあげ、みなの顔をひとりひとり見渡した。


 そして、口をひらく。



「……みなさんには、折りをみてお話しさせてもらおうと思っていたことがあります。……まだ少しはやいかもしれませんけど、しばらくのお別れになります。……私がほんとうに考えていたことを、お話しさせてください」



 真剣な面持ちをしたアイカの言葉に、なごやかだった場に緊張感がはしる。


 アイカは、口をヘの字に結んで、鼻から大きく息を吸い込んだ。



 ――ほんとうに考えていたことを話す。



 その言葉で、円卓をかこむ歴戦の勇将でもある27人の太守たちは、緊張につつまれている。


 覚悟を決めたアイカが、つよい視線で、太守のひとりを見据えた。



「ディミノプラトの太守さん」


「はっ……、ははっ」


「先日は新築なった王都屋敷でのお茶会にお招きいただいて、ありがとうございました」


「えっ? あ……、はあ……、たいしたもてなしもできず……」


「とっても、素敵なティーカップでした! あれはディミノプラトでつくられているんですよね?」


「……はあ、さようですが」


「つややかな白地に、ぬけるようなあおで描かれた、精密な紋様。そして、持ちやすくて疲れない。テノリアの王宮でも、なかなか見かけることのなかった、すばらしい逸品でした!」


「お、お褒めにあずかり……。我が所領には代々陶器づくりを受け継いできた一族がおりまして……」


「大隊商のメルヴェさんに買い取ってもらうべきです!」


「え?」


「次、プリニミの太守さん」


「あ……、はっ」


「そのお召し物……、織物の柄が独特で素敵です!」


「それは、どうも……」


「ロフタの太守さん! いつも持たれている剣の柄にほどこされた細工が精巧で独特です! ロフタには木工が得意な職人さんがいるのでは?」



 と、これまで関わりの薄かった太守たちの領土について、次々に特産品があるのではないか? と、問いかけていく。


 最初は面食らっていた太守たちであったが、次第に、



 ――女王陛下は……、そんな細かいところまで、見てくださっていたのか……。



 と、感激してゆく。



「この話は、まだ少し早かったかもしれません。《山々の民》の皆さんは、外界との接触を好まないとも聞いていました。……けど、いまは売れるものは売って、それも出来るだけ高く売って、国の復興に役立てるべきだと……、ずっと思っていました」



 大量の食糧を、山にあふれる獣を狩って、その毛皮と引き換えた。


 それによって復興がどれだけ加速したか、領民たちをどれだけ笑顔にしたか。流民や孤児たちが生活を取り戻し、畑仕事に精をだせるようになったか。


 まざまざと見せつけられていた太守たちの胸に、アイカの言葉はふかく刺さった。


 しかも、自分たちの《文化》を尊重して、恐る恐る丁寧に進めてくれていたことまで明らかになった。


 アイカのふかい配慮、愛情――、


 太守たちの胸は、はげしく打ち鳴らされた。


 アイカは眉間にしわを寄せたまま話をつづける。



「メルヴェさんは大隊商を率いていますが、実は義姉あねリティアの義理の叔母でもあります。ひいては、私の義理の叔母とお呼びしてもいいかもしれません」



 リティアの母エメーウの妹ヨルダナは、メルヴェの弟オズグンに嫁いでいる。



「決して、ズルいことをするような人ではありません。……みなさんの領土で自慢の特産品を持ち寄って、ぜひ、一度、相談してみてください」



 アイカは円卓に額が着きそうなほどに、頭をふかく下げた。



「……ほんとうは、私が責任をもってお取次ぎするべきところなのですが……」


「いや」



 と、ヴィツェ太守のミハイが立ち上がった。



「イエリナ陛下の想いは、必ず、俺たちだけで実現してみせる。……一日もはやい復興。その想いは、俺も、俺たちも同じです」


「ミハイさん……」


「ふっ。どうせ頭のかたいじゃ、なかなか事が前には運ばねえだろ? 俺たち、わかい太守が率先してやらせてもらう。もちろん、利益を独り占めするようなマネはしねえ」


「……ありがとうございます」


「陛下がザノクリフにお戻りになったとき、目一杯、驚いてもらえるような、国民、領民がみんな笑ってる、ピカピカの国にしようじゃねぇか!」



 アイカは、前が見えなくなるほどに、涙をこぼした。


 自分の考えを受け入れてもらえる。民の笑顔を大切にしてもらえる。そのことが、嬉しくてたまらなかった。


 何度もなんども、あたまを下げて、この先のことをお願いした。



  *



 ザノクリフの国家運営は、太守たちの合議ですすめられていたが、ときには議論が紛糾し、アイカに裁定を求めてくることがあった。


 そのとき、アイカは裁決をくだすというよりは、みなの意見をよく聞いて、問題を紐解き、論点を明確化して差し戻すようにしていた。あくまでも決定は、太守の合議によって行われる形を維持していた。


 そのアイカは旅立つ。


 だが、表向き、女王イエリナが旅立つわけではない。


 代理として王配クリストフを立てるかどうかが、みなに諮られた。



「それが良いと思う」



 と言ったのは、ボディビルダーのような巨体をほこるグラヴ太守フロリンであった。



「王室の財政をまもる者も必要だ。王配であるクリストフが摂政の座に就き、イエリナ陛下の権限を代行するのが良い」


「……分かった。みながいいなら、俺がやろう」



 と、クリストフが応えた。


 キッとした表情になったアイカが、クリストフにゆっくりと語りかける。



「クリストフさん……」


「なんだ?」


「国や王室のおカネが足りなくなっても、クリストフさんの領地ホヴィスカの財産で穴埋めしたらダメですよ? しわ寄せはホヴィスカの領民にいくんですから」


「……お、おう」


「みなさんもご存知のことですが、メルヴェさんに食糧と毛皮を交換してもらうとき、王室が若干の利ザヤを受け取っています。今、ザノクリフ王家の収入は、それだけ! です」


「う、うん…………」


「いずれ立て直すにしても、今はそれだけでして、足りなくなったら、ちゃんと皆さんに相談してくださいね。必要だと認めてくれたら、きっと、助けてくれますから!」



 日本で、家事を放棄した母親に代わって、家計の管理までしていたアイカは、実はおカネの管理にうるさい。潤沢な富にあふれていたテノリア王家時代とはちがい、困窮するザノクリフ王家にあって、その本質があらわになっている。


 みなが『ちょっと引く』くらい、こまごましたことまでクリストフに引き継いでいく。


 桃色髪の小柄な少女の、また違った一面に触れ、ミハイは呆れたように片眉をあげた。



 ――オドオドしてるかと思えば、思い切りがよくて、民を愛し、精霊に愛され、テノリアの王女にも愛され、狼2頭からも愛され、かと思えば、恨んで当然の西候セルジュの死に涙し、家老パイドルの行く末を案じ、実は弓矢の達人で、獣は平気でさばくし、ドレスを着せたら絶世の美人。有無をいわせぬ女王としての振る舞いもできるくせに、ふだんは家臣の意見を尊重し、自分たちでは気づかないような細かいところまで、よく見てくれている。その上、今度はときたもんだ。



「……帰ってきたときには、どんな風になってることやら」


「え? なんですか?」



 クリストフに、おカネの管理について熱く語っていたアイカが、ミハイの方に振り向いた。



「なんでもねぇよ。……無事に帰ってくるんだぜ?」


「はいっ!」



 満面の笑みをみせたアイカに、ミハイも微笑みを返した。



  *



 翌早朝。アイカたち一行は、ラウラとイエヴァも伴い、目立たぬように出立する。


 つぎは、戦を好まない優しい気性をした《草原の民》を侵す、無法な侵略者たちが相手になる。


 昇ってゆく朝陽のまぶしさに、アイカは眉をよせ険しく目をほそめた――。

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