第200話 いいことあるかも

 ルーファの南方に集結していた賊の兵員は、約2万人を数えた。


 しかし、約8,000名の第六騎士団がひと当たりしただけで、霧散した。


 もちろん、第六騎士団が精強であったということもある。ルクシア、ドーラ、ふたりの万騎兵長の指揮も巧みであった。


 だが、それ以上に、賊たちにまとまりがなかった。


 数百の賊たちが、ただ集まっているにすぎなかったのだ。


 リティアが兜を脱ぐと、砂漠の陽光に、赤茶色の髪がキラキラと光る。



「我らの戦いは、これからが本番ぞ」



 捕えた首領たちを次々に引見していく。


 みな、若い。


 縄を解かせたリティアは、かつてジョルジュにそうしたように、彼らと膝詰めで向き合う。



「自由気ままな賊の暮らしもよかろう」


「……」


「しかし、そなたらは族長ではあるまい?」



 若い首領たちが、顔を上げる。



「年寄りどもの言うままに、他人の財貨を奪う暮らしに、心の平穏はないぞ?」


「……しかし」


「父母の恩には逆らえぬか?」



 リティアは、侍女のアイシェ、ゼルフィアからの報告で、賊の中でも世代間で意識に差があることをつかんでいた。


 すなわち、リティアによる帰順の呼びかけを、既得権をおかすものと捉える年寄りと、新たな生活を手に入れるチャンスと捉える若者との間で、意見の相違があった。


 年寄りたちは結託し、若者たちを集めて武力で抵抗させようと謀った。


 数だけは多く集まったが、全体を指揮できるような者はおらず、戦闘は各個撃破されるだけに終わった。


 それも、相手となったのは、もとは賊であった同世代の若者たちが多い。


 リティアは、彼らにニコリと微笑んだ。



たちとは私が直接、話してみるとするか」



 精巧なつくりの重装鎧が陽光を反射してキラリと光る。


 地を這うような暮らしから、文明と文化の輝く暮らしに先導してくれているように、賊の若者たちの目には映った。


 その王女が自ら出向いて、頑迷な父や祖父を説得してくれるというのであれば、彼らとしても願ったりかなったりであった。


 なにも言わず、ただ地に額をこすりつけた。


 リティアはそばに控えるアイシェに振り返った。



「さて、砂漠の旅も、そろそろ仕上げだな」



 ここからは、リティア自ら兵を率いて、数百の賊をひとつひとつ訪ねて歩くしかない。


 幼い婚約者フェティと、しばらく会えないのは残念だったが、多種多様な生きざまに直に触れられることに、胸を躍らせていた。


 大地は春を迎え、リティアが16歳となった頃のことである。



 *



 リティアがプシャン砂漠の南方を巡遊し始めた頃、《聖山の大地》の南方でも、戦いに決着がついた。


 第4王子サヴィアス率いるアルニティア騎士団が、アルナヴィス軍に敗れたのだ。


 テノリア王国で無双を誇る騎士団の一角を占めたアルニティア騎士団であったが、サヴィアスの感情まかせな采配と、アルナヴィス軍の粘り腰のまえに徐々に後退を強いられていた。


 サヴィアスに呆れて逃亡する騎士もでる中、四方からの奇襲をしかけたアルナヴィス軍に対処しきれず、ついに壊滅してしまった。


 万騎兵長キリアルが、女官を1人つけて落ち延びさせたサヴィアス。


 追っ手を振り切り、アルナヴィス南方の深い森の中で、うちひしがれていた。



「……どいつもこいつも役に立たぬ」



 サヴィアス自身は、なぜこのような事態にいたったのか、まったく理解ができない。寄り添う女官の方が、よっぽど冷静であった。



「殿下……」


「なんだ!?」


「いずれ、ここにもアルナヴィスの兵が来ましょう」


「そんなことは、分かっている!」


「……食べ物も確保せねばなりません」


「そんなこと……、お前がどうにかしろ!」


「殿下……。私も出来るかぎりのことはいたしますが、限界がございます」


「……役に立たんヤツだ」


「申し訳ございません」


「ふん」


「……殿下は、これから、どちらに向かわれますか?」


「そんなことは、知らん! お前が考えろ」


「選択肢は多くはございません」


「……」


「ここより東はプシャン砂漠。ルーファに入られたリティア殿下を頼られるにしても砂漠を渡らねばなりません」


「リティアなんぞ!」


「我が父、ミトクリア候を頼っていただこうにも、アルナヴィス軍の目をかいくぐって北に向かわねばなりません」



 敗れたばかりのアルナヴィス軍にふたたび立ち向かうことを考え、屈辱感にまみれた苦渋の表情をうかべるサヴィアス。


 それを醒めた目線で見ている女官は、リティア初陣の相手となったミトクリア候の令嬢であった。側妃サフィナの計らいで、サヴィアスのもとに人質として差し出されていた。


 名をソーニャという。


 列候の令嬢という立場上、戦場においてもサヴィアスに随行していたが愛妾という訳ではない。


 戦塵にまみれ、長くのばした藍色の髪はひとつにまとめられていたが、顔だちには気品があり、背筋をピンとのばした立ち姿も美しい。敗軍の将であるサヴィアスを前にしても、両手を前に組んで礼をはずれるような振る舞いはしないでいた。



「南に落ちれば、匿ってくれる列候もあるやもしれませんが、いずれアルナヴィスの手が伸びましょう」


「なんで、そんなことが分かる?」


「……《聖山の大地》は王都に陣取るリーヤボルク兵に対抗して、軍閥化が進んでおります。西ではペノリクウスを中心に《西方会盟》が勢力を伸ばしているとか……。そのような中、アルナヴィスが勢力を張るならば南に向かうしかありません」


「どいつもこいつも、好き勝手なことを……」


「あとは西南伯公女ロマナ様を頼って、西に落ちるか……、でございます」


「ロマナか……」



 サヴィアスは何度もふみをロマナに送っていた。


 血縁的には異腹の甥レオノラの娘、姪孫てっそんにあたるが、いずれはきさきにと考えていた。



「いずれにしましても……」


「なんだ?」


「ろくに食料も持たぬ中、追っ手の目をかわしながら、苦難の旅になるかと」


「くっ……」



 ソーニャの冷静な指摘に、サヴィアスが苦悶の表情をうかべた。


 庇護してくれていた母サフィナはすでにこの世になく、精強なアルニティア騎士団も失った。第4王子である自分が、物乞いのような旅をしなくてはならない。


 そばにいるのは、育ちはよさそうだが、役に立ちそうにない令嬢だけである。


 いつも誰かのせいにして生きてきたサヴィアスにとって、自らの力量が問われる場面は、底知れぬ恐怖として立ち塞がる。


 そんなサヴィアスを、ソーニャは内心ほくそ笑んで眺めていた。



 ――かわいい。



 敵軍から逃がしてくれる際、万騎兵長キリアルからは充分な路銀を持たされていた。


 さらに、王族として身にまとう鎧や衣服を売り払えば、どこに落ちるのにも充分な資金が得られるはずである。どちらにせよ目立つ格好は避けなくてはいけない。


 しかし、すぐにそれを告げても面白くない。


 と、ソーニャは思っていた。


 もともと尊大なサヴィアスが絶望にうちひしがれる様を、内心ニヤニヤと眺めるのは、これまでの復讐というよりは、ソーニャの性癖といったほうが正しい。



「殿下……」


「……なんだ?」



 すっかり威勢をなくしたサヴィアスの返答に、ソーニャは背筋にゾクゾクっとしたものを感じた。



 ――自信喪失した、アホ王子……。最高じゃないですか。



「このまま、ここにいても、蛇など出ましたら……」


「蛇ぃ!?」



 と、飛び上がったサヴィアスの姿にも、おもわず身震いしてしまう。



「まずは、いずこかの街をめざしましょうね」



 子どもに話しかけるように言うと、うなだれたサヴィアスが、手を伸ばした。



 ――ぷぷーっ! 手を引けってこと!?



 内心、地面をバンバン叩きながら笑い転げていたソーニャだったが、それをおくびにも出さず、にっこりと笑って、サヴィアスの手をとった。


 手のひらは、子どものように温かい。


 しかも、絶対に放さないぞと言わんばかりに、ギュウッと握りしめてくる。


 ソーニャは顔を上に向け、亡くなった愛犬のことを思い出そうとしては笑いをこらえ、サヴィアスの手を引く。それに従うサヴィアスは重い脚を引きずり、項垂うなだれて歩く。


 手をつないで歩くふたりの影は、人目を忍びながら、西へと消えた。



  *



「うわぁ……、キレイですねぇ~」



 間道をぬけたアイカたちの眼前に、一面の花畑がひろがった。山の尾根から見下ろす、くだりの斜面いっぱいに黄色い花が咲いている。


 そして、その先には東候エドゥアルドの居城、ラドラム城がかすんで見えた。


 ゆっくりと馬を歩かせながら、クリストフもリラックスした表情で口をひらいた。



「ザノクリフの、春の花だ……」


「へぇ~、キレイです!」


「……そうか」



 故郷の花を褒められたのが嬉しかったのか、口の悪いクリストフにしては珍しく、言葉少なに顔を背けた。


 雄大な山々、そこに広がる花畑、まるでスイスで散歩してるみたいだと――行ったことはないが――思ったアイカは、ジロウの背中で揺られて、鼻歌まじりに進んだ。


 美しい花々を見られて上機嫌のアイカは、いいことあるかもと考えながら、ラドラム城の城門をくぐった――。

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