第199話 真っ暗闇の向こう

 深夜、忍び込んできた髭ヅラの男に、緑髪の少女は当然ひるんだ。


 しかし、



「まことのイエリナ姫が現われた。おぬしを逃がしてやるために来たのだ」



 という言葉は、ひどく安心させられるものであった。


 もともと孤児みなしごとして悲惨な生活をしていた少女であったが、ある日、お前がイエリナ姫であると、バルドル城に連れ帰られた。


 自分はそのような者ではない。と思っていたが、年上の男性に取りかこまれて、口ごたえすることもできない。


 精霊の怒りをおそれ、水垢離で身を浄めてすごすほかに、なす術がなかった。


 モシャモシャの髭をした老貌ながら筋肉質な男は、うさん臭く、信頼できるものではなかった。だが、連れ出してくれるというのなら、身をゆだねたくなるほどに「このままでいいのか?」という疑問がつのっていた。


 男に言われるまま「さらわれた」という体裁で、抗うことなく、肩に担ぎあげられた。


 そして、彼女を担いだジョルジュの登場は、西候セルジュと家老パイドルを、ひどく狼狽させた。すでに《ヴィツェ》の太守をはじめ、ひそかに面通しさせた豪族たちもいる。


 主君の狼狽は、兵士たちに伝播する。


 その一瞬の隙を見逃すカリトンたちではない。打ち合わせ通りのルートに斬りこみ、退路を開く。


 そこを駆けたのは、白狼タロウの背に乗ったアイカであった。



「行きましょう!」



 ふたたび抱きかかえようとするクリストフをことわって、タロウの背に跨ったアイカは、黒狼ジロウも従え、自らも西南伯の紋入りの弓矢で血路を開いていく。


 その後を、皆がつづく。



「行かせるか――っ!」



 と、豪剣をもって斬りこんできた家老パイドルであったが、カリトンが苦もなく斬り捨てた。


 指揮官をうしなった城兵たちは、狼を先頭に駆け抜ける一団への抵抗をやめた。西候セルジュはまだわめいていたが、兵たちの反応が鈍い。


 ナーシャが、ふふっと笑った。



「ここぞというとき、王族が先頭に立って突撃するのは、テノリア王家の伝統。アイカもその列にならぶか」


「まったく……、妙なをつけて返しやがって……」



 と、ならんで走るクリストフがぼやいた。



「まるで、第3王女リティアじゃねぇか……」


「敬い、慕う、義姉あねのようでありたい――、アイカの王族としての出発地がそこであるのは、まこと自然なことよ」



 城門にいたる前、すでにクリストフの手の者によって馬屋から放たれた、みなの馬がつながれていた。緑髪の少女をかついだままのジョルジュも合流して駆ける。


 尖塔下での鬼神のごとき強さが伝わっていた門兵たちも抵抗はせず、アイカたち一団は、呆気なく城外に出た。


 アイカの頬に夜風が気持ちよい。



 ――か、かなりイキッたこと言っちゃいましたけど……、みなさん引いてませんかね?



 と、後続をチラッと見た。


 カリュもカリトンもネビも、いつもと変わった様子は見られない。アイラは微笑みを返してくれた。



 ――リティア義姉ねえさんのマネっこみたいだったけど……。



 違和感もある。


 あのとき、あの場で、自分が発するべき言葉は別にあったのではないかという思いは拭えない。


 ナーシャとクリストフが、アイカをはさむように馬を寄せた。



「このまま東候の居城に行ってくれるのか?」



 クリストフの問いに、アイカは即答した。



「はい! ……みなさんのを止めるために来たんですから」


「喧嘩か……」


「西候さんの……、『お考え』は分かりました。次は東候さんの、お話も聞いてみないと」



 クリストフが体験してきた、血で血を洗うような泥沼の内戦に対して《喧嘩》という言葉は軽い。


 しかし、その軽やかさでしか、止められないのではないかと考え込まされた。


 ナーシャが夜風でみだれた髪をかき上げた。



「……さまざまに、人間と交わるがよい」


「ナーシャさん……」


「世の中には、よい人間も、わるい人間もおる。しかし、皆に《わけ》がある。ひろく交わり、人の生きる《わけ》を知る……。そうすれば、おのずと自らの生きる《わけ》を紐解くことにもなろう」



 涼しげな表情のナーシャに、アイカは深くうなずいた。


 そして、狼タロウとジロウが先導する真っ暗闇の山道の向こうを、グッと見据えた。



  *



 ルーファのリティアと、ヴールのロマナが、まったく同じ言葉を口にした。リティアは侍女クレイアに、ロマナは侍女ガラに――、



「アイカ、あいつザノクリフの姫だったらしいぞ」



 リティアもロマナも口調は楽しげで、弾むような笑顔をそれぞれの侍女に向けている。


 リティアは第2王子ステファノスからの密書と同時に届いたアイカからの手紙をひらき、ロマナは交易都市タルタミアから王都ヴィアナにもどったアーロンからの報告書を手にしていた。


 ロマナには、リティアがアイカと義姉妹しまいの契りを結んだという報せも、ほぼ同時に届いている。


 その政治的な意味よりも、ロマナはまず親友リティアの心情を思い遣った。


 そして、桃色髪をした《無頼姫の狼少女》の正体が、行方不明だったイエリナ姫であったという報せには胸躍らされるものがある。



「他国の行く末を案じている場合ではないが……」



 苦笑いしたロマナに、ガラがうなずいた。



「ザノクリフがどうなるのか、気にはなりますね」


「あの……な娘には……、こう……、言い表しにくい魅力がある」


「ええ、仰る通りです」



 ガラが言外に潜ませた同意に、ロマナは満足気な表情を浮かべた。言葉以上に、おなじ風景、おなじアイカの姿を思い浮かべていることが伝わり、ロマナの心を満たす。


 また、ロマナは、ガラが弟セリムとの交流を深めていると、祖母ウラニアと大叔母ソフィアから聞かされていた。



 ――ガラとは、自然な流れで義姉妹しまいになるやもしれん。



 その想像は、ふさぎがちなロマナの心を明るくさせる。


 祖父ベスニクの所在は分からないままであり、母レスティーネには不穏な動きがある。西南伯領北方には《西方会盟》が勢力を伸ばし、南方にある密林国との武力衝突は絶えず、今も遠征から戻ったばかりである。


 いまは我慢の時と想いを定めていたが、どうしても気持ちは暗い方に引っ張られた。


 そこに、ガラと弟セリムの甘酸っぱい恋の話は、少女らしいときめきを分けてもらえたようで、ウキウキと心を弾ませられる。


 この王国の混乱がどこに帰着するか分からないが、2人が安穏と恋を楽しめるような世の中を取り戻したいと、顔を上げることができた。


 そして、アイカ――、



「リティアの義妹いもうとが、陛下の狼をしたがえ、西南伯の弓矢をもって《山々の民》の内乱を鎮める。実に痛快ではないか!」


「ほんとうですね。お伽噺みたい」



 久しぶりにみた主君の心からの笑顔に、ガラも安堵したような微笑みを返す。


 一方、遠く離れたリティアは、心配げに眉をひそめていた。



「私と義姉妹しまいになったことが、アイカの足枷にはなるまいか……?」


「まさか」



 クレイアが言下に否定した。



「アイカ殿下は、ほんとうにお喜びでした」


「しかしだな……」


「先代王スタヴロス陛下も、カタリナ陛下を娶られて、ザノクリフ王ヴァシル陛下とは義兄弟であらせられました。アイカ殿下がいかなる道をお選びになられたとしても、リティア殿下と義姉妹であることが足枷になどなりません」


「そうか……、そうかもしれんな」


「はい、それに……」



 と、クレイアが少し思案顔になった。


 リティアが焦れたように、話しの続きを促す。



「なんだ?」


「……アイカ殿下が、イエリナ姫であったということは」


「うむ」


「そもそも、リティア殿下とは、カタリナ陛下を通じて再従姉妹またいとこの関係になられるのではありませんか?」


「あっ……」


「案じられるほどのことではないかと」



 クレイアからそう言われると、リティアにも、あの土間での出会いが偶然ではなかったように思えてきた。


 不逞騎士に騙され、あやうく奴隷として西域に売り飛ばされそうだった少女。


 まさか他国の要人であり、いまは自分の義姉妹になっているとは、思いもしなかった。しかも、遠戚ながら血縁もある。


 不思議な縁に、《聖山の神々》の導きを感じずにはいられなかった。



「よし。では、私も義姉あねとして相応しくあらねばならんな」



 リティアは白い歯をみせると、兜を手に取った。


 プシャン砂漠南方の賊を平定するため、出兵する直前であったのだ。


 新リティア宮殿を出ると、すでに第六騎士団が勢揃いしてリティアを待っている。


 帰順した賊から騎士に取り立てた者を含めて、兵力は8,000にまで膨らんでいた。



「殿下。すでに準備は整っております」



 と、リティアに告げたのは、アイラの母ルクシアである。


 千騎兵長であったドーラと兵を二分し、ともに4,000名ずつを率いる万騎兵長の座に就いていた。


 《精霊の泉》でアイカに説得され、リティアのもとに向かったルクシア。


 リティアに魅了され、その配下に収まっている。


 着々と砂漠の賊たちを吸収していくリティアであったが、それに反発した南方に割拠する者たちを結束させることにもなった。


 大軍となった南方の賊たちを平定するのに、ルーファの兵は使えない。


 リティアは自ら兵をおこし、出陣する間際であった。



「新生なった第六騎士団の武威を、世に明らかにする戦いである!」


「「「おおぉぉぉぉぉぉぉ――っ!」」」



 リティアの高らかな宣言に、兵たちが歓声で応える。



「出陣――っ!!」



 プシャンの砂漠を、リティア率いる第六騎士団が進軍してゆく――。

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