第195話 陛下でもやらなかった

 なんども一緒に入浴したアイラである。


 が、



 ――服の中をのぞくっていうのは、また、べつの趣きが……。



 と、胸の高鳴りを感じるアイカの視線の先に、小さな包みがみえた。いわばブラのパッドのように、アイラの胸に貼り付いている。



 ――あ、上げ底っスか? そんなことしなくても、充分、立派なのに。



「非常食が入っている」


「えっ?」



 アイラの言葉に、余計なことを言わなくて良かったと、アイカは心の底から思った。



「3人ならば、3日はもつ。外の様子をうかがいながら、あとで食べよう」


「……そんな準備を」


「カリュ様にお指図いただいてたんだ」


「カリュさんが……」



 アイラが、アイカの耳に口を寄せた。



「カリュ様のには、もっと入ってる」


「へ、へぇ~」


「今度、ゆっくり語り合おう」



 と、アイラは、ナーシャをチラッとみた。


 アイカは、うなずきを何度も返しながら……、悔しい気持ちでいっぱいであった。


 自分の軽率さが招いた苦境に落ち込むアイカを、アイラは和ませようとしてくれている。口で伝えればいいものを、わざわざ近くに呼んでおっぱいを見せてくれた。そして、軽口を叩いてに誘ってくれている。


 クレイアやアイシェが、リティアにそうしているところなど、見た覚えがない。


 皆は自分のことを「殿下、殿下」と立ててくれる。しかし、その自分の至らなさに、泣きたい気持ちであった。


 アイラが、ポンポンっとアイカの肩を叩いた。



「奪おうとする者は、つねにいる。残念ながら、痛い目をみないと覚えないもんだ」


「……アイラさん」


「いい勉強になったな。アイカ殿下」



 ニマリと笑ったアイラに、アイカは情けない笑顔しか返せない。


 それを見ていたナーシャが、優しく沁みわたる声でアイカに話しかけた。



「たとえ命であろうと、奪おうとする者は、まだ可愛い」


「え……?」


「ほんとうに怖いのは、自分から奪おうとする者ではない。……自分を操ろうとする者よ」


「…………操る」


「王族は、つねに自分を操ろうとする《悪意》にさらされる」



 ナーシャは遠く王都にいるルカスのことを想っていた。あの単純な性情をした息子は、操りに操られているに違いなかった。いまごろ、自分が何者かさえ見失っていてもおかしくない。


 しかし、その悲しみを、目の前のアイカに漏らすことはなかった。


 優雅な微笑みをたたえたまま語りかける。



「アイカは自分の意を貫いた。だれにも操られなんだ。ならば、それで良い」


「……ナーシャさんは、セルジュさんが、私を閉じ込めようとしてるの、分かってたんですか?」


「まあの」


「それで、あんなに喰い下がって、一緒に閉じ込められてくれたんですか?」


「……カリュめの意図が読めておったからの」


「カリュさんの?」



 アイカには意外な応えであった。



「アイカが王族としての学びを得るというだけではない。この機会をとらえて、西候陣営を丸裸にするつもりであろう」


「……そんなこと……出来るんですか?」


「テノリアの王宮において、もっとも権謀術数に長けたサフィナ宮殿で侍女長を務めた者ぞ」



 ――側妃サフィナ。



 その名前は、正妃であるナーシャ――アナスタシアには苦々しく響く。


 華々しく美しく、夫ファウロスの寵愛を一身に受けた美貌の側妃。その背後には、つねに侍女長カリュの姿があった。


 恐らくカリュは、バシリオスとルカスの追放にも関わっている。なんなら裏工作を主導したはずだ。サフィナの閨でのささやきと一体となって、息子2人を追い落とした張本人であった。


 しかし、いまは敵ではない。


 微笑むナーシャは、アイカとアイラを側に座らせた。



「若き主従よ。これからも、ツラいこと、苦しいこと。たくさんあろう。しかし、手をとりあって乗り越えておくれ。カリュも惜しみなく、その力を捧げてくれておる。学ぶべきは学び、考えるべきは考えよ。……若者は、いつもテノリアの希望なのだから」


「…………はい」



 アイカは深くうなずいた。



「配下の救けを信じて待つことも、主君の務めであるぞ」


「はいっ! 分かりました!」


「よい返事であるな」



 ナーシャは亡き夫ファウロスが憑依したような、悪戯っぽい笑みを浮かべた。



「ファウロス陛下のつくられたテノリア王国は、若者ヤンチャが大好きだから。アイカちゃんにも、いい武勇伝ができたじゃない?」


「えっ……? へへっ……、そうでしょうか?」


「こんな怪しい塔に、無邪気に突っ込んでいくなんて、ファウロス陛下でもやらなかったわよ」


「あうっ……」


「ふふふ」



 ふと、アイラが立ち上がり、窓辺に立った。


 蝋燭と手鏡を持っている。


 アイカは監禁されてから、アイラのその姿をなんども目にしていた。が、凹みきっていたので、わけを聞いたことがなかった。



「……な、なにしてるんですか?」


「ん……。カリュ様と通信の時間だ……」



 蝋燭の灯りを鏡に反射させて信号を送っている。


 視線の先にある回廊から、チラチラと光が返ってくる。



「そんなことまで……」


「ふふっ。これは、私のだ」



 アイラが得意げに胸をはった。



「王都で《無頼の束ね》たるリティア殿下との非常時の連絡手段として私が考案したんだ。あの王宮内戦闘のときも、これで連絡を取り合っていた」


「え、うそ、すごい」


「むふん。カリュ様にも褒められた」



 ナーシャはおどけるように肩をすくめて、アイカを見詰めた。



「アイカちゃんは、臣下に恵まれてるわね」


「……はい」



 と、恐縮するアイカの頭を、ナーシャがなでた。



「臣下に感謝するのは良い。しかし、引け目に感じてはいけませんよ。あなたの価値は、あなたが決めるものではありません」


「自分の価値を……」


「そう。自分が忠誠に値する者であるか、などと考えていては身が持ちません。感謝は忘れず、しかし、自分を見失ってはなりません」



 アイカが目を向けると、アイラも大きくうなずいている。


 忠誠、臣下、そういった概念に、アイカはまだピンときていない。


 しかし、



 ――出会う人には恵まれている。



 と、胸の奥にあたたかいものを感じた。



  *



 回廊を散歩していたカリュは、手鏡を仕舞った。


 あらたにとなったアイラに、自分では思いつかなかった通信方法を教えてもらった。まだまだ、自分にも『学び』があることに、カリュは満足していた。


 そして、夜の暗い廊下を、蝋燭の小さな灯りを頼りにひとりで歩く。



 ――食料を断ってきたか。



 あてがわれた部屋に戻ると、くつろぐジョルジュの側に腰をおろした。



「おや、ご指名ですかな?」



 と、ジョルジュは楽しげに顔を上げた。この孫のような年齢の侍女が、次々に繰り出すに、胸躍るものを感じ始めている。


 おそらく城の主はなにも気が付かないまま、すべてがカリュの掌の上に乗ろうとしている。


 砂漠で賊をしていれば味わえなかった興奮だ。


 カリュは、にこりと笑った。



「そろそろ、ジョルジュ殿に《賊の本分》を発揮してもらわねばなりません」


「はっはっは! それはいい。なんでも命じてくだされ」



 ジョルジュが豪快に笑った――。

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