第164話 商人からの贈物

 ルカスとリーヤボルク兵が王都ヴィアナに入城し、ファウロスの葬儀を慌ただしく執り行ったあとのことだ。


 葬礼は、それまでの混乱で既に疲労困憊していたサラナが、気力を振り絞って取り仕切った。


 そして、精根尽き果てたサラナは、王宮でふんぞり返るリーヤボルクの将サミュエルの言葉に、ポカンと口を開けた。



「バシリオス殿を、お慰めいただきたい」



 そのまま、下卑た視線を浴びせかけるリーヤボルク兵に護送され、地下牢に連れて行かれた。


 そこにいたのは、変わり果てた姿の主君バシリオスであった。


 檻の向こうでは、服をはぎ取られ石壁に片腕を鎖で結び付けられたバシリオスが、虚ろな目をして床に直接座って足を投げ出していた。立派な体躯には、ところどころ裂傷が見られ、激しい拷問のあとがうかがえる。


 自身も檻の中に入れられたサラナは、必死でバシリオスに呼びかけたが反応がない。


 しかし、鼓動は確かであり、傷はひどかったが、命に別状はないようであった。


 ただ、心だけが、どこか遠くに旅立っていた。


 リーヤボルク兵からは、そのまま伽をするよう言われ、激しく抵抗したサラナであったが、



「ならば、食事も水も与えるなと言われておる」



 と、ニヤニヤしながら告げるリーヤボルク兵の言葉に、心を折った。


 リーヤボルク兵が見守る中、バシリオスに跨ったとき、サラナの心も一旦、死んだ。


 そのまま、檻の中でバシリオスの世話をして過ごす。


 汗を拭き、傷を治療し、食事を与える。うまく食べてくれないときは、自ら噛み砕いて口移しで与えた。そして、兵が見張りをする中でバシリオスを慰めた。


 いつ終わるともしれない地獄の中で、ある時、見張りの兵が巨体で強面の男に替わった。


 せまい地下牢の廊下を狭そうに行き来する巨体の男に、サラナは「このような者に替えて、圧力でもかけているつもりか? それで、バシリオス殿下が正気を取り戻されるのであれば、苦労はせぬわ……」と、乾いた笑いを漏らした。


 これまで以上に、じっくりと観察してくる巨体の男はヨハンと名乗った。


 頭の弱い男のようで、たどたどしい喋り方で、いつも娼館に行った話を自慢げに話してくる。今日の娼婦はこうだった。昨日よりも良かった。でも一昨日はもっと良かった。下世話な話を、滔々と聞かせてくる。


 すでに、なにか感じる心が、すっかり弱まっていたサラナは乾いた笑いを返すばかりであった。


 それでも、食事や傷薬を出し渋られるような嫌がらせをされては、病んだ主君のためにならぬと、笑顔だけは返すように努力していた。


 そして、その笑顔が勘違いさせてしまったのか、をされた。


 もはや、サラナは何も感じることがなかった。


 ただ、その後の身体でお慰めしなくてはいけないことを、バシリオスに申し訳ないと思うばかりであった。


 ヨハンのは、毎日、飽きることなく続いた。


 娼館の女たちとサラナを比べるようなことを、毎日、聞かされた。


 そして、気が付いた、



 ――この頭の弱い男は、私にお慰めするを教えようとしてる?



 たどたどしい話をよく聞くと、娼館の女たちに頭を下げて、様々なことを教えてもらってきているようであった。いかに男を慰め、いかに心と身体に休息を与え、いかに心を開かせるのか。


 サラナは、それに気がついたとき、心の底から笑い出してしまった。



 ――たしかに、私にそちら方面の技術も経験もない。……が、しかし、ですね。



 大笑いしているサラナに驚いたヨハンに詫び、それから二人で研究を始める。


 サラナも持ち前の探究心でもって、熱心にヨハンに質問する。答えられないことは次の日、娼婦から聞いて帰り、実践で教えてくれる。言葉では上手く伝えられないヨハンの実践を、サラナも受け入れて学ぶ。そして、バシリオスに試行し、反応をみる。


 サラナがヨハンに対して奇妙な友情さえ抱き始めた頃、バシリオスの瞳に微かに輝きが戻り始めた。途切れ途切れだが、言葉も発するようになってきた。


 すると、ヨハンは、伽の時間に席を外すようになった。


 やがて、サラナの身体にも指一本触れることはなくなった。



 ――感謝……、という言葉は使いたくないが……。



 サラナは苦笑いをもって、ヨハンが丸める巨きな背中を見詰める。


 かなりの日数を経て、ある程度の思考を取り戻したバシリオスを説き伏せ、まずはこの地下牢から脱出するため、ルカスの即位への賛同を勧めた。


 そして、すっかり痩せ衰えた身体をサラナとヨハンに支えられたバシリオスは、地下牢を出され、大神殿でルカスの戴冠式に参列し《王の子》として、即位への賛同を表明した。


 その後、サミュエルから北離宮に移るようにと告げられた。


 ずっと地下牢にいたサラナに、北離宮の主がすでに王都にいないことは知り得なかった情報である。


 今も言葉を交わせるのはヨハンだけであり、王国の状況はまったく分からない。


 とにかく、今はバシリオスの体力を回復させることを優先した。本来の身体を取り戻すことができたなら、リーヤボルク兵がいくら囲んでも、軽々と押し破れる猛将バシリオスである。もはや、自分を棄てて逃げのびてもらったのでも良い。


 ヨハンが分け与えてくれる、商人からの贈物も、ありがたく受け取る。


 窓越しに見える商人は夫婦のようであり、いつも二人してぎこちない笑顔でヨハンにヘコヘコしている。


 頭の弱いヨハンが、どのような便宜を図れるのか想像もつかないが、商人夫妻はマメに北離宮に顔を出しては、なにかしら栄養のある食べ物を置いていってくれる。


 それをありがたく抱きしめて、礼を言う。


 サラナのそんな姿を、ヨハンの巨体越しに見詰める商人夫妻こそ、西南伯公女ロマナからベスニク救出の大命を受けて潜伏するアーロンとリアンドラであった――。

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