第159話 駄々っ子

 砂漠を渡り、新リティア宮殿に入った後も、リティアは毎晩アイカの部屋を訪れていた。


 くだらない話をして、抱き締めて眠る。


 ただ、それだけのことであったが、アイカはリティアの心情を危惧し始めていた。



 ――お母さんと同じようになり始めてるんじゃ……。



 もちろん、絶世の美少女王女リティアに頼られることは嬉しい。毎晩、その美しい寝顔がそばにあることは、アイカの特別感も満たしてくれる。


 しかし、自分という存在に、惰性で依存し始めているのではないかという不安はぬぐえなかった。


 美貌の王女の『持ち物』として異世界ライフを生きていくのも悪くはないと思うこともあったが、いつかリティアが心の柔軟さを失い、自分の愛した《天衣無縫》が消えるならば、それは避けたいと考えるようになっていた。


 かつて、日本の母が変貌してしまったようなことが、リティアに起きるのではという恐怖は、アイカを心底震わせる。


 だから、旧都への使者がいないということであれば、自分が行くべきだとアイカは思った。


 エメーウがリティアと距離を置かされたように、リティアも自分と距離を置くべきだと考えた。それも、他の誰にも知られないうちに行われるのが望ましい。



「アイカか……」



 リティアが、おずおずと手を挙げるアイカを見てつぶやいた。



「私も、殿下の侍女ですし……」


「それは、そうだが……、また、砂漠を渡らなくてはならない。来たときと同様、大路を進むことは叶わないだろう……」


「だ……、大丈夫ですよ! 私には、タロウとジロウもいますし!」


「それは、そうだが……」


「それでは、私がアイカの供をつとめましょう」



 と、進み出たのは無頼の娘アイラであった。



「集落の建設も目途が立ちました。あとは第六騎士団の皆様にお任せしても問題ないかと」


「うわぁ! アイラさんが一緒なら、心強いですぅ!」



 アイカの弾むような笑顔に、リティアがピクッと眉を動かした。


 リティア自身、自分の眉の筋肉がなぜそのように反応するのか、理解できていない。



「分かった……」



 と、リティアがつぶやくように言った。



「護衛は付けるとして、その方向で準備を進めよ」



 リティアは、アイラが廃太子アレクセイの孫であることを密かに聞かされている。やんわりととどめるべきだと考えていたが、湧き上がる不可解な感情に心の動きが縛られていた。



「やっと、お仕事もらえました!」



 と、笑顔になったアイカに、リティアがハッとした表情を見せた。



「だって、殿下に忘れられてましたしぃ~」


「だから、忘れてなかったってば。タロウとジロウも、その目で見るのをやめないかっ」



 リティアが、いつもの快活な笑顔を見せた。



  *



 アイカの出発準備が進む。


 そんな中、大首長セミールが曾孫フェティの顔を見に、新リティア宮殿に足を運んだ。


 ひとしきり言葉を交わした後、ジョルジュと走り回って遊ぶフェティを、リティアとテーブルを囲んで眺めた。



「さすがは、《天衣無縫の無頼姫》よ。賊を、あのように手懐けるとは」


「ふふっ……。大お祖父様は、私のことを《天衣無縫》と呼ぶとき、すこしツラそうな表情かおにならられますね?」


「ん……、むっ……。そうかな?」


「私のことを、お母様からの愛に飢えた子供のように思っておられる。愛情を求めて《天衣無縫》に振る舞っておるのだと……、感じておられる」



 リティアの視線は、祖父と戯れるようなフェティの笑顔に注がれている。


 セミールは、一呼吸おいて口を開いた。すでにリティアの慧眼に驚くことはなくなっていたが、それでも本音を衝かれたようで、威儀を正す時間が必要であった。



「違う、……ということですかな?」


「愛には飢えておりましょう。しかし、私の《天衣無縫》は、母エメーウに見出された天賦の才」



 セミールは黙って、リティアの言葉を待った。



「……母に見付けられ、大切に大切に伸ばしていただいた、私のなのです。権謀術数渦巻く、テノリアの王宮を生き抜くために」


「そうで……あられたか……」


「はいっ!」



 リティアは、とびきりの笑顔をセミールに向けた。



「実に回りくどい教育でございましたが、ご自身でさえどうにもできない不自由なお心を、必死に働かせて、私を守ろうとしてくださっていたのです! 『絶対に王位に色気があるように見られちゃダメよ』と駄々をこねる母エメーウの姿を、幾たび目にしたことか」


「そうであったか……」


「親にあれほど見事に駄々をこねられては、娘が《天衣無縫》になるほか、ないではありませんかっ!」



 と、悪戯っぽく笑ったリティアに、セミールは軽く頷くだけであった。



  *



 やがて、アイカが旧都に向けて出立する日が訪れた――。

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