第157話 お別れの時

 微笑むリティアは、はにかむフェティを抱き上げた。



「リティアは旦那様と仲良しになりたいのですが、旦那様はどうですかぁ?」


「……うん。……いいよ」


「旦那様も、リティアと仲良しになりたいと思ってくださいますか?」


「……うん」



 リティアの美しい顔がすぐ側にあることが、照れくさくてたまらないといった様子のフェティは、まともにその夕暮れ色の瞳を見ることができずにいた。


 そんなフェティに、にっこり微笑んだリティアは、



「それでは皆さま、私たちは仲良しになりに行ってまいります!」



 と、快活な笑顔を見せ、そのまま、フェティを新リティア宮殿に連れ帰ってしまった。


 ルーファ首長家の者たちも止めることが出来なかった。


 リティアは新宮殿にフェティの部屋を設け、一緒に暮らし始めた。要するに、首長家正嫡の若君を人質にとったのである。


 当然、フェティの母親からクレームがついた。


 だがリティアは、



「それは素晴らしい! お義母かあ様も一緒に暮らしましょう! リティアは幼い頃から母と離れて育ったので嬉しいです!」



 と、フェティの母の部屋も設けてしまった。


 しかし、そう言われてしまっては、新北離宮に隔離されている義姉あねエメーウに憚って、移り住む訳にもいかない。


 母の方が時折、新リティア宮殿を訪問する形に落ち着いた。



「さすが、したたかよの」



 と、大首長せミールは苦笑いして黙認した。


 リティアは毎日フェティと遊ぶ時間をとった。時には一緒になってルーファの歴史を学んだりもする。



「政略結婚だからといって、幸せになっていかんという法はあるまい」



 と言うリティアの顔は、ふにゃふにゃである。



 ――ああ、幸せになるんだろうな……、っていうか、今、幸せそうだなぁ……。



 そう思っていたのはアイカだけではない。


 政略結婚の生臭さも、幼年を人質とした苛烈さも、リティアの《天衣無縫》の笑顔が、すべてを許容させた。



「旦那様、旦那様! お待ちください、旦那様ぁ~!」


「やだーっ! リティアには、つかまらないよぉ!」


「負けませんよぉ!」


「うわぁ! つかまっちゃったぁ!」


「もう、放しませんよぉ! 旦那様ぁ!」


「えぇ~、それでもいいけど……」


 と、抱きかかえられた腕の中で、はにかむフェティ。


 賑やかになった新リティア宮殿だったが、リティアは続々と届き始めた情報の分析にも余念がない。



「カリストス叔父上は、威光を損ったな」


「はい。祖父ベスニク様を囚われ、孤塁を守るロマナ様の覚悟に追い払われた形ですから」



 クレイアが、そのクールビューティな顔立ちで無表情に応える。


 その傍で腰を降ろしているアイカに、リティアが悪戯っぽい笑みを向けた。



「ロマナが侍女を任じたらしいが、ガラというらしいぞ?」


「ええっ⁉ ……あの、ガラちゃんですか⁉」


「そこまでは分からん。が、そうだったら面白いな」


「……ヴールって王都から遠いんですよね?」


「そうだな。王国の西南の果てだからな。……まあ、また王都に残したシルヴァから報せが届くだろう」



 砂漠を渡って届く王国の情報には、タイムラグがある。


 主にルーファの女大隊商メルヴェの手で届られるが、知りたい情報のすべてが報せに含まれる訳ではない。


 クレイアが、あごに手をあてた。



「しかし、ベスニク様を捕えた狙いが読めませんね……」


「そうだな。西南伯軍をおびき寄せたいのなら、ベスニク殿を追い返して怒らせた方が話が速かっただろうし、操ろうとするなら、レオノラ殿の首を刎ねた理由が分からん」


「……ペトラ殿下も、おツラい立場ですね」



 王都をともに脱出したペトラ姉内親王であったが、フェトクリシスに到着する前に道を違えた。


 アイカは、踊り巫女姿のペトラ姉内親王とファイナ妹内親王を思い返して、



 ――あれは、いいものを見せていただきました。



 と、静かに手を合わせた。


 すべての報せに目を通したリティアは、持っていた書状を机に置いた。



「やはり、ステファノス兄上とは通じておきたいな」



 旧都テノリクアで沈黙を守る第2王子ステファノスの動向は伝わらない。


 その腹の内は、リティアとしても探っておきたいところであった。


 そして、アイカは、リティアの思案顔を見て『お別れの時』が近いと、ひとり寂しげに微笑んだ――。

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