第156話 ブローチの輝き(2)


「こちらに来て、殿下にご挨拶しなさい」



 と、ヨルダナに促されたフェティは、トトトトッと、リティアに歩み寄り、



「フェティ……」



 とだけ言って、恥ずかしげにヨルダナの椅子の後ろに隠れてしまった。



 ――な、な、な、な、な、な、なんですか――っ! この可愛らしい生き物は――っ!



 と、アイカの「愛で心」を全開に刺激したフェティは8歳。


 年齢にしては幼い上に、15歳のリティアより、7歳も歳下の従姉弟いとこにあたる。


 あからさま過ぎるほどの政略結婚を、ヨルダナはリティアに提案している。



「……姉エメーウを政略結婚の犠牲とし、その心を大きく傷つけてしまったルーファ首長家の者として、このような申し出を、エメーウの娘であられる殿下にすることに、忸怩たる思いしかございません」



 ヨルダナは、静かに頭を下げた。



「しかし……、ルーファの財と権を思う存分にお使いいただくため、どうかご検討いただけませんでしょうか」



 そして、話は冒頭に戻る。


 ヨルダナの背もたれに隠れたフェティをのぞき込みながら、ふやけた顔のリティアが、こう言った。



「えぇ~~~? そんなぁ~~~、いいんですかぁ~~~~?」



 ――あっ……、そーいう感じなんだ――、



 その場にいた全員が、寸分たがわず同じことを思った。



 ――そーいや、リティアさん、弟君のことも大好きだったもんな~。ショタ? おねショタってヤツですか、これ? ……って、前も思ったな~。



 と、アイカも、お花畑顔をしたリティアを眺めていた。



 ――けど、美少女です! リティアさん!



 心の中で、軽くフォローもしてみる。


 リティアは立ち上がり、フェティに近寄って腰を落とした。


 優しく微笑みかけるリティアに、フェティは頬を赤く染めた。



「フェティ殿……。リティアをお嫁さんにもらってくれますか……?」



 柔らかな微笑みを浮かべたリティアに、モジモジするばかりでいたフェティであったが、やがて、ちょこんと小さく頷いた。


 そして、か細い声で応えた。



「いいよ…………」



 ――カワイイが過ぎますね! これは、むしろ、けしからん部類ですよ⁉



 アイカも興奮し始めていた。


 リティアは目を細め、もう一段、腰をかがめてフェティに目線を合わせた。



「旦那様は、リティアを大切にしてくださいますか?」


「うん…………」


「ふふっ」


「するよ………………」



 リティアの微笑みに柔らかさが増し、その胸に輝いていたブローチを外した。


 そして、フェティの胸に付けてやった。



「婚約のお礼に、旦那様に差し上げます」


「うん……、綺麗だね……」


「ふふっ……、でしょう?」



 アイカの目は、途端に涙であふれた。


 リティアは、穏やかな表情でフェティの胸で青く輝くブローチを撫で、そして優しく語りかけた。


「よく、お似合いです」


「……そう?」


「リティアが、大切に想っていた者から贈られた品なのです」


「いいの……? もらって?」


「ええ。リティアが旦那様を生涯大切にするという約束の証なのです。旦那様も大切にしてくださると、リティアはとても嬉しく思います」


「うん、分かった。大切にする」



 と、フェティが撫でた、大きな青いサファイアがあしらわれたブローチは、かつてリティアが弟エディンから贈られた品であった。


 旧都行きの餞別を手渡しするために、わざわざリティア宮殿にまで足を運んでくれた、弟エディン。


 すでに、この世にはいない。



「どうか、いつまでも健やかにお育ち下さい……」



 リティアは喉の奥に流れるものを飲み込み、慈愛に満ちた微笑みでフェティを見詰め続けた。


 かつての、



 ――泣いてもいいと思うよ……。悲しいね……。



 という、アイカの声が、リティアの耳の蘇る。


 戦場と化した王宮の、リティア宮殿の入口ホール、、父王に贈られた重装鎧ごしにも分かる強い抱擁で、アイカが抱き締めてくれた。


 そういえば「後で一緒に泣いてくれ」という、アイカと交わした約束を、まだ果たしていなかったなと、リティアが小さく口の端を上げた。


 黄金色の瞳から、アイカはあのときと同じように、とめどなく涙を流してくれていた――。

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