第149話 ピクルス一粒


「……私はリティアのようには出来ない」



 窓辺に立つロマナがつぶやいた。


 リティアがミトクリアを制圧し、候家の誰の血も流すことなく心服させたという情報がロマナのもとに届いていた。


 ミトクリア候は表向き、サヴィアスにリティアを罵る書状を送っていたが、王都の無頼と接触したアーロンが真相をつかんで書き送っていた。


 エズレア候の首を刎ね、その太子を足蹴に屈服させた自分と比べてしまった。


 自嘲するような笑みのロマナに、ガラが言葉をかけた。



「ロマナ様にはロマナ様のやり方がございます」


「……そうだな」


「清楚可憐な蹂躙姫も、天衣無縫の無頼姫に負けず劣らず怖いのでございます」


「ははっ。言うではないか。……リティアは怖いか?」


「ロマナ様と同じく、優しさを知るから怖いのでございます。ご自身の優しさの分量を正確に見極めていらっしゃる。……すべてに対して優しくは出来ないことを、お2人ともよくご存じです」


「そうか」


「ですから、ロマナ様もリティア殿下も《問い》なのです。自分がどうあるべきなのか、どうありたいのか……、いつも考えさせられます」


「……私は、よい侍女を持ったな」


「恐れ入ります」


「リティアが従える4人分、働いてもらうぞ?」


「……む、むちゃ言わないでください」


「はっは。すぐに地を出すではないか」


「つ、ついこの前まで、ただの孤児だったんですよ? 私」


「そうだな。だから……、ガラも無理するな」


「あ……」


「清楚可憐で眉目秀麗、花顔玉容な上に、華麗、絢爛、優美かつ、最強無比で威風堂々、歴戦の豪傑を数多従え、揺るぎなき美しさで咲き誇り、無双無敵のヴールに君臨する私ロマナである訳だが……」


「あ……、はい」


「……傍には、一緒に笑い合える友にいてほしい」


「ロマナ様……」


「外向けには、大いに無理しようではないか!」



 満面の笑みでパァッと両手を広げて見せたロマナは、ガラの目にも大輪の華が咲いたように見えた。



「私たちの美しさを惜しみなく振りまこう! いくらでも愛でさせてやればいい! テノリア王族にも負けぬ美貌の主従を皆が崇め奉り、美麗神ディアーロナでさえ嫉妬をあきらめて、ひれ伏すことだろう!」



 そして、ロマナは花弁が閉じるように、ゆっくりと腕を下ろし、ガラを見詰めた。


 切ない笑みは、存在まで儚くしたようだった。



「…………だが、2人だけのときは無理しないでくれ。肩の力を抜いてグダグダと文句を言い合って……、私と笑い合っていてくれ……」


「かしこ……、いえ……、はいっ!」


「うん…………」



 ロマナは再び夜空に目を移し、高く空を見上げた。



「そしていつか……、リティアと……アイカと……4人でリーヤボルクを蹴散らして、聖山のふもとで狩りを楽しんで……焚火を囲んで、肉を齧って……笑い転げようではないか……」


「……はい」


「ふふっ。……楽しみだなぁ」



 ガラの眼前には少女4人が野を駆け回り、笑い合う光景が広がった。


 ロマナの背中を見詰めるガラの目から、熱いものが自然とこぼれ落ちた――。



 ◇



 凍える石室。


 いずこかの石塔の最上階で、西南伯ヴール候ベスニクは寒さに耐えていた。


 粗末な食事しか与えられず、自らの身体は痩せ細りはじめている。寒さは骨にこたえていたが、その誇りが身を縮こませることを拒み、悠然と胡坐をかいて座っている。



 ――ルカス、そしてリーヤボルクを見縊っていた。



 その思いは強く深く心をえぐっていたが、恐らく混乱の極みに置かれているであろうヴール臣民に思いを致せば、心を折るわけにはいかない。


 必ず生還し、復讐を果たす。


 湧き上がる憤怒だけがベスニクを支えている。


 出口のない石塔に幽閉された身に、復讐を果たせるという根拠は何もなかったが、今夕の食事に微かな光明が紛れていた。


 いつもの粗末な粥と一緒に、オリーブのピクルスが一粒、椀の影に隠すように置かれていた。


 それは、リティアを招いた宴でも頬張ったベスニクの好物であった。



 ――私を助けようとしている者がいる。



 ベスニクは知る由もなかったが、アーロンとリアンドラがリーヤボルク兵に頼み込んで、ベスニクに届けたものであった。


 一粒のピクルスの酸っぱさは、ベスニクに生きる気力を取り戻させた。


 そして、石室の窓から見える夜空に向けて、射るような眼光を放ち続けている。


 その眼光がヴールで独り踏ん張るロマナにまで届くには、もうしばらくの時間を必要とする――。

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