第140話 冷たい風

 エズレアの公宮に入ったロマナは、太子の謁見を許した。


 父のエズレア候は既に、この世にいない。しかし、兵のほとんどを失ったエズレアになす術はなく、太子は年少の公女に平伏するよりほかなかった。



「太子が父の供をしたいと申されるなら、我が手にてお送り申し上げるが?」



 冷たく言い放つロマナの横では《西南伯のえつ》の刃が光っている。



「いえ……、そのような…………」


「左様か。して、太子はどうなさる? 西南伯には従えぬということであれば、私がエズレア候を継承しよう」


「なっ!?」


「遠戚のエズレア候家が、西南伯家を乗っ取れるなら、私がエズレア候を名乗っても差し支えあるまい? それがエズレアの理屈ではないのか?」


「……申し訳……ございません」



 テノリア王国が勃こした聖山戦争においても、参朝した列候の候位を召し上げられたということはない。


 そこに列候の"甘え"があった。



「なにとぞ……お許しを…………」



 エズレアのほぼ全軍を一夜にして壊滅させた公女に、その"甘え"が通用しないことを悟った太子は、ただただ平伏するよりほかなかった。



「我は西南伯ヴール候ベスニクより《大権のえつ》を預けられておる」


「はは――っ」


「祖父ベスニクであればえつを携えておるだけで治まるものも、このロマナでは振り降ろし斬り裂かねば治まらぬ。まこと、祖父の威光には遠く及ばぬものよ。さりながら、その斬れ味は既によくご存知であろう?」



 平伏したままの太子は、流れる冷や汗を止めることが出来ないでいた。


 たとえ謀が不首尾に終わっても、よもや父が斬られるとは思ってもいなかったし、その晩のうちにエズレアが制圧されることなど悪い夢を見ているようであった。


 エズレア候家はヴール候家の遠戚であったし、聖山戦争ではヴールについて戦った。


 しかし、目の前で冷然と振る舞う公女は、候家の廃絶まで口にしている。



「に、二度とヴールに逆らうようなことはいたしません! どうか、どうか、お許しくださいませ!」


「左様か」


「我らが主祭神、軍神ザイチェミアに誓って、二度とこのようなことはいたしません」


「太子には、ご長男とご次男、それにご令嬢もいらっしゃったな?」


「はっ……」


「ヴールにて学問を修められてはどうかな? お子様だけでは寂しがろう。奥方もいっしょに遊学されてはいかがか?」


「遊学…………」



 妻子を人質に差し出せと言われ、太子は言葉に詰まった。


 が、逆らおうにも手段がなかった。



「……ありがたき、お申し出。妻と子も……喜びましょう……」


「うむ。ならば今後もヴールとエズレアの仲は盤石。大切にお預かりいたそう」



 ロマナは、初めてその可憐な笑顔を見せた。


 そして、側に控える勇将の名を呼んだ。



「ダビド! ただちにご一家をヴールにお送りいたせ」


「た……ただちに…………」



 太子は、思わず狼狽えた。



「ご一家が無事に到着せねば、太子も心配で落ち着くまい。その後に、太子の候位継承の宴を盛大に開こうではないか。私も列席させてもらうぞ」


「は、はは――っ。……ぎょ、御意のままに」


「あ、そうそう。西の森で保護した貴領の"迷子たち"と、他領の"迷子たち"を、お返しせねばならんな。サファビエ、ザマロ、ユークティア……、昨晩は随分迷子が多かった。皆、引き取りに来てもらうついでに、宴にも列席してもらおうではないか」



 楽しげに笑うロマナに、太子の肝は冷え切っていた。


 やがて、ネストル率いるヴール軍4,000が捕虜を護送してエズレアに入城した。


 入れ違いに太子の妻と子供たちはヴールに向けて出立させられ、近辺の諸列候には候位継承の宴にの列席を命じる書状が飛んだ。


 エズレアではクーデターに関わった臣の粛清が始まり、招きに応じなかったユークティア候は、ロマナが自らに行った。


 ロマナが首座を占めた宴が終わり、ヴールに帰着すると、迎えに出たガラに笑顔を向けた。



「東方諸列候のご令息、ご令嬢は学問に励んでおられるか?」 


「はい! ウラニア様のお計らいで、私も一緒に勉強させてもらってます!」


「それは良かった。これから西南伯領全土からご令息、ご令嬢を招く。学び舎は賑やかになるぞ?」



 ヴールの城門を吹き抜けた冷たい風に、ロマナは目を細めた――。

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