第139話 嫁の行き先

 今宵のうちに主からの報せは届かないと見たエズレアの将は、ともに出兵してくれているサファビエ、ザマロ、ユークティアなどの将を誘い、軽い酒宴でもてなした。


 戦陣でのことであるので、肴もたいしたことはなかったが、西南伯領の利権を分け合った後のことを語り合い、互いの大言壮語に笑い合った。


 その空虚な宴も閉じようかという夜更け過ぎ。


 突如、本領エズレアの方角から現れた敵襲に、エズレア連合軍の戦陣は大混乱に陥った。


 将の弛緩は兵にも伝わり、見張りも疎かに惰眠をむさぼっていた。6,000の兵を隠しておける森の闇夜は死角が多く、敵の正体が判然としない。



「はははは。さすがに手応えがなさすぎるな」



 ロマナは側に控える女性の近衛兵ブレンダに軽口を叩いた。



「はっ。ですが、ご油断なきよう」



 ブレンダはアーロンとリアンドラに次ぐロマナの側近であり、主の周囲を怠りなく警戒している。



「そろそろ、我らが公女率いる500しかおらんと教えてやってくれ。これでは、せっかく用意した策を用いぬままに取り逃がしかねん」


「かしこまりました」



 兵を分け自身は500を率いたロマナは、大きく回り込んで背後を突いた。


 統制を失ったエズレア連合軍は、完全に浮き足立って散り散りに逃げはじめていたが、



 ――敵はわずかに500! 率いているのはヴールの公女ロマナだ!



 という叫び声が響き渡ったことで戦意を取り戻し、隊列を組み直し始めた。



「立て直せ! 立て直せ! いくら相手がヴールの兵とはいえ、6,000で500に負けるはずがない! 西側の部隊を前に出して押し返せ!」



 と、エズレアの将が絶叫している。


 東側の突撃を受けた部隊は既に使い物にならない。西のヴールの方角に配置していた部隊が応戦しようとした矢先、今度は北側からヴールの将ミゲル率いる1,000の突撃を受けた。


 かろうじて戦列を立て直したエズレア連合軍であったが、無防備な横腹を食い破られ、陣形は大きく南に湾曲し、今度こそ完全に戦意を挫かれた。


 南に向けて潰走を始めたところに、今度はダビド率いる1,500の兵が現われ敗兵の首を次々に狩っていく。


 東にロマナ、北にミゲル、南にダビドと三方向を囲まれたエズレア連合軍は、すでに集団としてのていもなさず、西に向けて個々で落ち延びようとする。


 エズレア連合軍を率いる将のほどんどは討ち取られるか捕えられており、指示も指揮も失った兵は、自分が生き延びることだけを考えて東に走る。邪魔になるからと重い鎧を脱ぎ捨ててしまう者も多い。


 ロマナたちは、ゆるゆると追撃を続ける。



「我らは強いなっ!」



 と、ロマナは笑った。



「ヴールでございますから」



 近衛兵ブレンダはこともなげに応えた。


 ほうほうのていで西に逃げるエズレア連合軍の兵を待ち構えていたのは、ネストル率いるヴール本軍約1万であった。



「すでに将もおらぬ! 剣を置けば兵の命までは取らぬ! 降るがよい!」



 という呼びかけに、エズレア連合軍の兵は次々に投降していった。


 それを見届けたロマナは、ネストルに、



 ――ヴールの勇将に、鼠取り役を押し付けてしまい面目ない。夜明けと共に、捕獲した鼠どもを連れてエズレアに来られたし。ただし、南方への備えを怠らぬよう。



 と、使いを出して、自らは西方に取って返した。


 頬を切る夜風に心地よさを感じるロマナの横に、ダビドとミゲルが馬を寄せた。



「お見事な手際でございました」


「ご自身が500で突撃すると聞いたときは、肝を冷やしましたが、いや! お見事でござった!」

 


 手放しに褒める両将に、ロマナは涼しげに笑った。



「ダビド、ミゲル両将の名を聞けば、たとえ単騎であっても算を乱して逃げてしまおう。か弱く可憐で麗しい我が名でなければ、歯向かってはくれんだろうからな」


「はっはっはっはっは! さすがはヴール候のお血筋! 感服いたしました」


「これでロマナ様も勇将の仲間入りでございますな!」


「か弱く可憐だと言っておろうが。嫁の行き先がなくなったら、なんとしてくれるのだ?」



 夜の闇に軽口を忍ばせているうちに、エズレアは落ちた。


 朝陽が昇ると同時に、ヴール東方に位置する諸列候は《大権のえつ》が、いまだ健在であると思い知り、震えあがった――。

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