第124話 王都の片隅(3)
――平民が、列侯に……?
ノクシアスの言葉は、ガラの心を強く打った。
王都の中心にそびえる王宮の主が斃れた時も、世界がひっくり返ったのかと思うほどに驚いた。地面よりも低く、地下水路から見上げる王宮の尖塔は、ガラにとって天上よりも高く、聖山の神々の方が身近に感じるほどだった。
王都ヴィアナを“一番下”から見上げていたガラにとって、身分差、階級差は絶対堅固なものと映っていた。
それに抗おうとする者がいる。いや、抗うことを考えられる。
不敵な笑みでピュリサスを見詰めるノクシアスの顔を、まじまじと見詰めてしまった。
「無頼まで正統のなんのと、馬鹿馬鹿しいとは思わんか?」
「それで……?」
「俺がのし上がれば、ちっとは風通しが良くなる。力を貸せよ、ピュリサス」
ピュリサスは、ようやくガラの肩から手を離した。
「……それで戦を望むのか?」
「望んではいねえ。今の俺ごときが、止められるもんでもねえだろ。起きる戦は利用させてもらうってだけだ」
「……俺は、気が乗らねえな」
「ふっ。まあ、気が向いたら俺のとこ来いよ」
と、ノクシアスは立ち上がった。
「気長に待つさ」
「そのままジジイになりやがれ」
「へっ。ごめんだな。……ガラ」
「はっ、はい!」
「女癖が悪いのはピュリサスの方だからな。気を付けろよ」
「バカなこと言ってないで、帰るなら帰れ」
「また来る」
と、笑いながらノクシアスが立ち去ると、土間にはガラとピュリサスの2人になった。
「ノクシアスとは、若い頃ツルんでたんだ……」
「あ……はい……」
「あいつ、アイラに惚れててなあ……」
「え?」
「手ひどくフラれたのに、まだ忘れられねえ。アイラはファザコンだからな。シモンの親分より大きな男になって、振り向かせたいんだよ」
「そ……そう……なんですね」
「ん? ノクシアスに惚れてた?」
「いえ、そんな。私なんかが……」
「……馬鹿だろう? 無頼がどうの、国がどうのって、偉そうなこと言ってるけど、女を一人、振り向かせたいだけなんだ」
――馬鹿とは思いませんが……、分かりかねる。
年頃に差しかかるガラだが、最近になってようやく食に困らなくなったという生活だ。恋愛は聖山神話より遠いところにある。
弟レオンにひもじい思いをさせない。そのことだけに必死で生きてきた。
隊商だった父を幼い頃に亡くし、母と弟と王都に移り住んだ。洗濯婦をして養ってくれていた母も病に倒れ、家を追われて、地下水路に逃れた。ガラの目に映る世界は、何度も壊れた。リティアが手を差し伸べてくれるまで、世界が自分に微笑んでくれることはなかった。
その世界を、壊そうとする側に立つノクシアスに、興味がないわけではない。
平民が列候になる世の中は想像もつかないが、そのとき自分の身の上は、どう翻弄されているのだろうか。
「そうね。そんな世の中になったら、リティア殿下はきっと、大笑いしながら受けて立ってくださると思うわ」
と、館に食材を運んでくれたケレシアが笑った。
アイカ専属の女官だったケレシアは王都に残り、リティアの命で、ガラたちに気を配りながら生活している。それに充分な財貨も与えられた。
「……お、怒らないんですか?」
「リティア殿下はガラに、住むところと食べ物をくださったでしょう?」
「はい……」
「そんな人は、今までいなかったでしょう?」
ガラは大きく頷いた。
「リティア殿下は世の中が変わることを恐れないし、今もきっと、次はどんな世の中にしようって、ワクワクしてらっしゃると思わない?」
「……そう……ですね」
「ふふ。大丈夫。聖山の民は強いのよ。今にリーヤボルクなんか追い出しちゃうんだから」
ケレシアの答えは、ガラの問いに正面からは答えていない。
ただ、リティアの笑顔を思い返すことが出来て、少しだけ心を落ち着けることができた。
王都の上の方が大きく入れ替わったにも関わらず、賑わいと喧騒は相変わらずだ。直接は触れられないところで起きた変化が、自分の所にまで届いてこないのは、ケレシアやピュリサス、それにノクシアスなどが守ってくれているからだと理解している。
その後ろには、これも変わらず、リティアがいることが伝わった。
できればこの世界は壊れてほしくない。ガラはそう思いながら、孤児たちの夕飯の支度に取り掛かった――。
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