第109話 入城(3)


「ルカス殿の娘をな……」



 サミュエルは腰かける椅子の肘掛を、トントンと指で弾いて、正面に座るマエルから視線を逸らした。



「姉は21と、いささか歳がいっておりますが、34のサミュエル様と並べば遜色ございますまい」


「ふむ……」



 テノリアの王位に就けようと謀るルカスの長女を「妃に迎えよ」という献言は、悪い話とは思えない。父ルカスに渡す前、引見した姿も王族に相応しい美しさであった。ただ、マエルの意図を測りかねていた。


 農業国である故国リーヤボルクで、隊商の身分はいささか卑しい。


 だが、心酔する従兄弟、アンドレアスの国盗りで果たした、マエルの働きは無視できない。


 内乱が混迷を深めていた17年前、アンドレアスを王家から連れ去るように、辺境に位置するフェンデシア大公国の養子を斡旋したマエルを、恨んだこともあった。


 15のアンドレアスは、大公国とは名ばかりで、わずかに蜂蜜を産するだけの小領の主となった。既にアンドレアスの将器に魅了されていたサミュエルは、王位から遠ざけたマエルのことが憎らしくてたまらず、臍を噛んだ。


 だが、数年後、そのサミュエルを、アンドレアスが一軍の将として招いたとき、フェンデシア大公国はマエルの手によって見違えるような富裕国となっていた。まるで魔法でも使われたかのようであった。


 軍事において、謀将とされるサミュエルだが、政治経済には疎い。


 ペトラ姉内親王を自らの妃に迎える、その意図を、素直に尋ねることにした。



「狙いはなんだ……?」


「テノリア王国の、摂政におなりください」


「摂政?」


「あの蛮兵たちをリーヤボルクに帰す訳にはいきますまい」


「それは出来ん」



 カネにあかせてかき集めた兵の質は悪かった。


 内乱が終結し、大軍を必要としなくなったリーヤボルクだが、解雇し街に放てば治安を乱す。かといって、内乱で荒廃した国土を復興するのに、無駄飯喰らいを養う余裕もない。


 優秀な者は正規兵に取り立て、まだマシな者たちは帰農させ、残ったどうしようもない兵のを、サミュエルが買って出た。


 アンドレアスのために捨て石になるのは、むしろ望むところであった。



「あの者らを、テノリアに留め置くには、執政の権を握る必要がございます。ルカスを傀儡の王位に就けただけでは及びませぬ」


「別に構わんのだが……、宰相なりの地位が要るのではないのか?」


「テノリアは奇怪な国にございます」



 苦笑いするマエルの口から語られるテノリア王国の統治機構は、サミュエルの理解の外にあった。王位はもちろん、宰相の座、大臣の座を巡って、リーヤボルクでどれほどの血が流れたことか。王と宰相が、兵を向け合ったこともある。


 それらを、すべて旧都に捨てて来たという。



「王家の血筋と、武力のみが正統性を担保する。テノリアは、そうした国で、王都ヴィアナは、そうした街でございます」


「なるほど。腑には落ちんが、マエルがそう言うのなら従おう」


「恐れ入ります」


「あの猪武者の、婿になる訳か」



 王太子バシリオスの軍と激突した、スパラ平原でのルカスを思い起こして、サミュエルは笑みを浮かべた。


 長く戦乱を駆け抜けたサミュエルであったが、あれほど楽しげに戦う男を初めて見た。


 故国の荷物を押し付けに来たのだが、馬を並べて駆ければ、呆れるほどに爽快なものさえ感じさせられた。



「して、妹の方はどうする?」


「アンドレアス陛下の愛妾にと」


「アンドレアスの?」



 サミュエルは、マエルの言葉に眉を曇らせた――。

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