第二章 旧都郷愁
第37話 焚火と聖山(1)
――心が落ち着くな。
焚火の側に腰掛けたリティアは、新月から満ち始めた細い月が照らす、聖山の稜線を見上げていた。
『万騎兵長議定』の閉会に立ち会ったリティアは、翌日には旧都テノリクアに向けて出発した。旅程は順調に進み、明日の正午には到着できるという地点で、4度目の野営をしている。
交易の大路を西に外れて北上する旅は、聖山に近付く旅でもあり、圧倒される威容は既に間近にある。
季節が秋に向かう夜風は冷たく、交代で深夜の番をする騎士たちが焚火を囲んでいる。
自ら率いる第六騎士団は王都での無頼の統制を主任務とし、遠駆けする機会に乏しい。リティアが長距離を騎行で走破するのは初めてのことで、少なからず昂りもあり寝付けずにいた。
やや離れて控えるヤニスの横顔は、少年神である『狩猟神パイパル』の神像のような神秘さで、揺れる炎に照らされている。
アイカの愛らしい寝顔が、焚火越しに見え、リティアは、ふふっと、思い出し笑いをした。
王都を出発直前に、ちょっとした事件が起きた。
アイカを馬に乗せたら、タロウとジロウが強い抗議の遠吠えを上げたのだ。乗るなら自分たちに乗れと言わんばかりに、馬の周りをグルグル回る狼たちは耳目を集め、騎士たちから和やかな苦笑が巻き起こった。
アイカを乗せて走る狼の持久力が、馬に比べてどれほどのものか、誰にも見当が付かなかったが「まあ、行ってみよう!」という、リティアの号令で急造の旅団は王都を後にした。
そのタロウとジロウの、もふもふの毛に挟まれて、アイカはスヤスヤと眠っている。
――普通なら、少女を狼から救け出す絵面だな。
と、リティアはニタリと笑う。
野営をさせることに不安もあったが、山奥育ちのアイカには苦にならないようだ。
本来、道中に位置する列侯領に逗留し『世話になる』ことが、むしろ礼にかなう。勅命を受けた勅使であれば尚更であり、素通りする方が礼を失する。第3王女として正式な伺候であれば、少なくとも8領への逗留を要し、格式上は3頭立ての馬車で片道8泊9日の旅程になる。
ただ、『総侯参朝』を直前に控えたこの時期。どの列侯領も慌ただしく準備に追われている。
リティアは国王に別けて裁可を求め、第六騎士団の公用と称し、騎馬行で駆け抜ける旨、経路に面する列侯領に通達した。
列侯「領」とは言っても、実際に列侯が治めているのは城壁に囲まれたひとつの街だ。村と言うべき規模のところもある。狩場になっている森などを除けば、列侯領間の境界は曖昧で、王国の「領土」内では誰も治めていない土地の方が広い。
それは、治安に責任を負う所在が曖昧なことでもあり、通達なしに騎馬の一群が駆け抜ければ、すわ、盗賊かと、いらぬ猜疑を招きかねない。
とはいえ、今回に関しては素通りされる非礼よりも、第3王女への饗応を免れたことに胸を撫で下ろしているはずだ。
リティアとしても移動時間を半分に短縮でき、充分な滞在期間を確保できた。
また、多忙な時期であるので『ちゃっと行って、ちゃっと帰って来る』旅程の方が有難い。
「失礼いたします――」
と、火に薪を加えた騎士が、見回りに行くと伝えて立ち去り、焚火に照らされるのはリティアとヤニス、それに眠っているアイカだけになった。
急造の旅団には、面識のなかった他の騎士団の者もいる。
リティアは考え抜いた末、すべての騎士団から人員を出してもらうことにした。
王太子が役目を『降ろされた』という印象を和らげるため、最も若い成人王族であるリティアを、王家がこぞって送り出すという体裁を整えた。
王太子率いるヴィアナ騎士団から10名、国王の近衛騎士団から5名が加わっている。
そのほか、リティアの意図を明敏に察した王弟カリストスが率いる、サーバヌ騎士団から5名。
能天気に25歳年下の妹の頼みを快諾した第3王子ルカス率いる、ザイチェミア騎士団から5名。
旧都テノリクアに本拠を置き、第2王子ステファノス率いる祭礼騎士団からは、『万騎兵長議定』から旧都に戻る10名に加わってもらった。
リティアと折り合いの悪い第4王子サヴィアスだけは渋った。が、依代を迎える儀礼が王族の持ち回りになれば来年は兄上かもと、巧みに匂わせたリティアに乗せられ、自らが率いるアルニティア騎士団から10名の騎士を出した。
これで、側妃サフィナの気分を害することにもなるまい。
――アルニティア騎士団は、今頃さぞ混乱してることだろう。
と、リティアは少し意地悪な想像をした。
忙殺される時期に、ヴィアナ騎士団の3分の1の規模しかないアルニティア騎士団から、同数の騎士を引き抜いた。
1人の騎士は9人の歩兵を率いる小隊長でもあり、たとえば千騎兵団は100名の騎士と900名の歩兵からなる。実働を指揮する騎士を現場から離れさせることは、祝祭の警備体制構築という実務作業の効率を直に落とす。
交易の警護など通常任務もある中、総員3万人、騎士3千名を誇る、王国の主力騎士団であるヴィアナ騎士団でも、10名の供出で精一杯だ。
その貴重な騎士たちは、交易路警備のため遠駆けの経験が豊富で、野営地も手際よく設営してくれ、第六騎士団の者たちにも良い経験になった。
パチパチという焚火の音だけが、夜の静寂の中、リティアに心地良く響く。
ふと気が付くと、タロウとジロウの間から、アイカがひょっこりと顔を出していた。
「なんだ。起こしてしまったか?」
寝ぼけ眼のアイカに、リティアは微笑みを浮かべた――。
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