お嬢様は魅了に抗えない

「なっ、なななななな……」

「おはよ~! って、ひめちゃん朝からどうしたの?」


 生徒もまばらな始業前の時間。愛しい綾佳さんの夏服姿を見たいが為に、珍しく朝から隣の教室へと足を運んだわたくしは、目の前の光景に衝撃を受けて彫像の如く固まってしまいました。


 先日、皆さんと一緒にショッピングモールへと出掛けた際、綾佳さんの愛らしい姿は散々この目に焼き付けたつもりでした。ですが、学園内で見るラフな服装というものは、想像を遥かに上回る強烈なインパクトを放っていたのです。


「ななななんて魅惑的な格好なんですの!?」

「……ほえっ?」


 夏服姿にすっかり魅了されたわたくしは、まるで夢遊病者のような足取りになり、ふらふらと綾佳さんの側へと歩み寄ります。そしてそのまま、半袖のスクールシャツから伸びた透明感ある彼女の腕に掴みかかると……その腕の感触を確かめるようにムニムニと揉んでしまいました。あっ、柔らかい。


「ひゃああっ!?」


 綾佳さんの口から漏れ出た上擦った声。

 その小さな悲鳴で正気に戻り、わたくしは慌てて腕から手を離しました。


 ……ま、まさか名残惜しいだなんて、そんなこと考えていませんよ?


「失礼。少々取り乱してしまいましたわ」

「う、うん。……少々?」


 少々、で済ませてしまうのはさすがに無理があったようですわね。綾佳さんの不審げな目がわたくしに刺さり続けています。あいたたたた、ですわ。


「ひ~め~ちゃ~ん?」

「おほほほほ」


 もはや笑って誤魔化すしかありません。


 それにしても、わたくしったらなんてはしたないことを……。いくら同性相手とはいえ、いきなり腕を揉んじゃダメでしょうよ。まったく、淑女として恥ずべき行為に及んでしまいましたわ。

 そう反省しながらも、胸の内に湧き出る「可愛い」という感情は収まることを知りません。


「……で、さっきからボクの頭を撫で続けているのはどうしてなのかな!?」

「あらまっ」


 どうやらわたくし、先ほど腕を揉んでいたのとは反対の手で、ず〜っと綾佳さんの頭を撫でていたようです。冗談でもなんでもなく本当に、彼女から指摘されて初めてそのことに気がつきました。いやはや、全くの無自覚な行動に我ながら驚きを禁じ得ません。


「いや、驚いた顔とかしてしなくていいから、さっさとその手を退けてほしいんだけど!」

「ええっと、非常に心苦しいのですが……それは受け入れられない要求なのですわ」

「ナンデェエエエエ!?」


 う~ん、なんででしょうね。わたくしにも理由は分かりません。分かりませんが、撫で続けなくてはならないと心が叫んでいるのです。そんなわけで、大人しくわたくしの愛を受け止めてくださいまし。


「はわわわ、羨ま……じゃなくて、朝からそういうのはいけないと思うのっ」

「そういうのってどういうのですの? わたくし、よく分かりませんわぁ」

「絶対分かっているくせに……。と、とにかく、 そろそろあたしに綾佳ちゃんを返してほしいのっ」

「貴女から借りた記憶はございませんわよ?」


 綾佳さんの頭を撫で続けているわたくしに対し、嫉妬が混ざった視線を向けている白夜さん。

 彼女は綾佳さんのことが大好きですから、わたくしが綾佳さんを独占しているこの状況に、少なからず不満を抱いているのでしょう。えぇ、わたくしも似たようなものですから、気持ちは十分に理解できます。


 そして、白夜さんに負けず劣らずの嫉妬オーラを漂わせている人物がもうひとり……。


「あら、もしかして凛さんもわたくしに何か言いたいことがございますの?」

「……言いたいことなんてべつに何もないけど」


 まったく、この方は相変わらず素直じゃありませんわね。そんな突き刺すような目つきでわたくしを睨みつけておきながら、何も言いたいことがないなんてそんなわけないでしょうに。己の感情に関して鈍感にもほどがありますわ。


 凛さんが幼馴染である綾佳さんに対し並々ならぬ感情を抱いていると気がついている人間は、今のところ恐らくわたくしひとりだけでしょう。

 正直、あれだけ露骨に態度や言動へと表れているのですから、わたくしでなくとも気がついて不思議はないと思うのですが……。綾佳さんは超がつくニブチンですし、白夜さんは自分のことで精一杯、そして凛さん自身も何故か自覚が皆無という有様。かく言うわたくしも、確信に変わったのは先日の騒動の最中でしたから皆さんと大差ないのかもしれませんけどね。


「うぅう、りんちゃん助けてぇええ」

「はいはい、仕方がないわね。ほら、綾佳が困っているからそのくらいにしてあげて」


 なぁにが「はいはい、仕方がないわね」ですか。綾佳さんから助けを求められた瞬間、嬉しそうに口角が上がっていたのを見逃しませんでしたよ?

 などと内心でツッコミつつ、わたくしだって本気で友人を困らせたいわけではないですから、ここは素直に手を離します。

 

「そうですわね。わたくしはもう十分に綾佳さん成分を摂取しましたから、譲って差し上げますわ」

「ちょっ……ボクから変なもの摂取しないで!?」

「変なものではございませんわよ? たしかにこの成分はまだ病気には効きませんが、そのうち必ず効くようになりますから」

「わけわかんないよぉ~!」


 さすが綾佳さん、ツッコミのキレが素晴らしいですわね。毎日のように凜さんと夫婦漫才を繰り広げているだけあってキレッキレです。


「あのさ、戸ケ崎さん……綾佳遊んでいいのは、幼馴染であるこのわたしだけなんだけど」

「ちょっと待って。ボク遊ぶって、日本語としておかしいよね? 幼馴染でもダメだからね!?」

「あたしも綾佳ちゃん遊んでみたいな、なんて」

「もぉおお、シロちゃんまで一緒になって張り合わなくていいから!」


 そんな具合に皆さんとの会話が盛り上がり始めた、まさにそのとき。


「姫、やっぱりこの教室にいたぁ!」


 わたくしにとっては聞き馴染みのある叫び声と共に、平和だった教室内へとひとりの生徒が乱入してきました。その乱入者はわたくしたちの前まで早足でやってくると、両手を腰に当てた仁王立ちの姿勢でジロリとこちらを睨みつけます。


「姫に迷惑をかけたくないから、直接ここに乗り込むのだけはず〜っと我慢してきたけれど……もう限界! せっかく早めに登校してきたのに、姫ったらなんで教室にいないのよ!?」


 乱入者が吐き出すように不満を垂れ流している中、友人たちの視線が一斉にわたくしへと向けられます。まあ、当然といえば当然ですわよね。


「「「……姫?」」」


 ええ、皆さんがうっすらと察しておられる通り、この子はわたくしの知り合いですわ。クラスメイトであり、中学生の頃からの友人でもありますから、知り合いという表現は少々他人行儀すぎるかもしれません。寧ろ親友と呼んでも良い間柄でしょう。

 わざわざ説明するまでもありませんが、「姫」とはもちろんわたくしのことです。


「香苗さん、ちょっと落ち着いてくださいまし」

「大丈夫よ、姫。貴女はちっとも悪くないって、わたしちゃんと理解しているから」

「いえ、良いとか悪いとかの話ではなくって……」


 彼女の名前は須藤香苗すとうかなえ。こんな登場の仕方ですが、基本的にはとても真面目で優しい子なんですよ? どうか信じてくださいまし。

 ただ、ほんの少し人見知りで警戒心が強い上、思い込みと妄想の激しいところがありまして……。

 今回も何か誤解が生じている気がします。


「ふん、あんたが東雲ね!」

「……えっ、わたし?」

「そうよ、女誑しの東雲! 今日こそ姫をあんたの百合ハーレムから救い出すんだから!」


 そんな具合に、わたくしの親友はツッコミどころ満載の宣戦布告を凛さんへと叩きつけたのでした。



────────────────────



……どんまい!


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