第7話 死体の身元
監督さんから大体の時間は聞いていた。
本当であれば、一週間以上前の映像は、選手の決定的瞬間でもない限りは、ほとんど消しているとのことだったが、この時は、
「何が映っているのか分からない」
ということもあって、映像をノーカットで残していたようだった。
まさか、1年以上も経ってから警察に聞かれるとは思ってもいなかったといっていたので、本当に取っておいてよかったと思っているのだろう。
「その男が出てくる1分くらい前から映してみよう」
と、桜井警部補は言った。
映像には、音声は入っておらず、完全な無音だった。静かな部屋で、空調の音だけが響いているので、やけに湿気を感じるのは、映像を見る緊張感からの、熱気のせいだったのかも知れない。
映像に移っているのは、何もない土手の風景だった。そのうちに、一人の男がホームビデオのようなものを持って、まわりの光景を映していた。その様子は、何か決まった被写体があるというわけではなく、あたり全体を、まるで360度。パノラマ撮影でもしているかのようだった。
ただ、映している男の姿が見えるだけで、その様子はハッキリと分かるものではない。
「一体誰を撮っているのだろう?」
と思いながら見ていると、どうもその様子は、特定のものや人を映しているわけではないようだ。
あたり全体を見渡すようにして映っている光景がどういうものなのか、本当はそっちの方が気になるところだった。
肝心の男はというと、
「中肉中背で、眼鏡をかけている、年齢的には中年くらいであろうか」
その様子は普通にみれば、どこにでもいるおじさんという感じであるが、怪しいと思うと、徹底的に怪しく見えるタイプにも感じる。
と、桜井は感じていた。
ただ、お世辞にも女にもてるという雰囲気ではないので、一歩間違えると、
「ストーカーなのではないだろうか?」
と思えた。
しかし、ストーカーであれば、まわりを満遍なく撮影することはしないだろう。そのターゲットに的を絞るはずだ。
それよりもこの男、自分が撮影しているのに、自分が撮られているということを意識していないようだ。
確かに、自分の姿を人が撮っているなどと、思わないに違いない。
えてして、
「自分が企んでいることを、相手にされるということはなかなか思いつかないものだ」
と言えるのではないだろうか。
ただ、よく見て行けば一つの特徴があるような気がした。
「満遍なく撮っているように見えるが、その焦点は、一点に決まっているかのように感じる」
ということであった。
そして、その方向をよく見ると、
「これって、城址公園の方向?」
と、出口刑事が声を挙げた。
どうやら出口刑事にも分かってるようで、実際に、男が見ているのは、城址公園の方だということに間違いはないようだ。
「それにしても、なんで、あの位置からなんでしょうね?」
と出口刑事は言ったが、
「確かに、そうだ。城址公園を撮影するなら、もっと近くの方がいいからな」
というと、
「野球を撮っていると思わせるために、わざとあの位置にしたんでしょうか?」
と、出口刑事は言ったが、
「うむ」
といって、黙って桜井警部補は頭を下げたのだった。
桜井警部補は、その男に何となく見覚えがあるような気がした。
マスクをしてはいるが、今のご時世では、当たり前のことであり、何も怪しいところがあるわけでもない。ただ気になったのは、季節は9月に入った頃なのに、冬用のハーフコートを着ている。
もちろん、映像を見る限りでは、そこに怪しさは感じないが、その場にいれば、明らかに怪しいということは分かるだろう。
「何かを隠そうとでもしているんだろうか?」
と思われたが、隠しているその感じはなかったのだ。
ただ、男は自分が撮られていることに気づかないほど、何かに集中しているようだった。だが、男は気づいていないのではなく、
「自分が撮られることに関しては、一切気にしていないということだろうか?」
とも思えたのだ。
どちらが正しいのかということは分かるはずもなく、その雰囲気を見ていると、
「なぜ、そう思うのか?」
ということを考えてみたが、一つの仮想が、桜井警部補の中に浮かんできたのである。
「この男、撮られることに慣れているのではないだろうか?」
ということであった。
「自分が撮ることも当然あるのだが、撮られることも必然としてあるのではないか?」
という思いであった。
「桜井警部補はどう思われますか? この男」
と、映像を食い入るように見ている桜井警部補に、わざと出口刑事は聞いた。
集中している人間に、いきなり聞くのは、相手を脅かすことになるので、普段はしないが、桜井警部補に限っては違っていた。
「俺は、集中しすぎると、たまに自分の世界に入って出られなくなることがあるから、たまに危ないと思ったら、声をかけてくれ」
と言われていたのだ。
その言葉を思い出したのだろう。出口刑事はこのタイミングで声をかけてみることにしたのだ。
「うーん、何とも言えないが、怪しいのは間違いないようだな」
と、桜井警部補は言った。
「私は、この男が何にこんなに集中しているのかが気になるんですけどね?」
と出口刑事が言ったのを聞いて、
「いや、それはそうなんだが、私には、この男が、カメラでこちらから撮られていることは分かっているように思うんだ。分かっていてそれを無視したかのような雰囲気を、どう考えればいいのか、そこが分からなくてね」
と言った。
「それにしても、私はこの男、どこかで見たことがあるような気がするんですよ」
というのを聞いて桜井警部補はビクッと反応した。
「君もかい。私もなんだ。だが、それが誰なのかすぐには思い出せないんだよ」
というと、
「二人して見たことがあるということは、二人の共通の仕事である警察に関係があるということか? 犯人? 被害者? それとも、協力者?」
といろいろ思い浮かべてみたが、思い出せそうで思い出せないところに、不思議な感覚を抱いていた。
「きっと、出口刑事も同じなんだろう?」
と思うと、出口刑事も自分に対して、同じことを感じているかのように思えてならなかったのだ。
「ところで、出口君。この映像はよく見つかったね。君が野球チームを見て、録画しているかも知れないと思ったのかい?」
と聞かれたが、
「ええ、まあそれもあるかも知れませんが、それよりも、私に声をかけてくる人がいたんですよ。その人が、ここで野球をしている人がいて、いつもカメラを回しているので、何かを撮っているかも知れないと教えてくれたんですよ」
という。
「それは誰だったんだろうね。というよりも、君は今回の死体が発見されたということを話してから、情報を得ていたわけではないんだろう?」
と聞かれた出口刑事は、
「もちろんですよ。事故か殺人か分からず、死体が誰なのかということを今調べているくらいですからね。いきなり、聴くようなことはしませんよ」
と、出口刑事は言った。
確かにそうである。殺人なのか、事故なのかもわかっていない。ただ、埋められていたということで、死体遺棄以上であることには間違いないだろう。そのために、死体の身元を今探っているわけである。
だからと言って、身元調査ばかりが優先してしまい、犯人が目の前にいるのも分からずに、下手に、知りえた情報であったり、逆に、
「警察は何も分かっていない」
ということを知られるということは、警察、しかも捜査一課としては、これほどブサイクなことはないだろう。
それを思うと、
「出口刑事の行動は、警察官として当たり前のことであるが、褒められるべきことにも思えてきた」
と桜井警部補は思っていた。
最近は、コンプライアンスなどが厳しいということもあり、警察としても、そのあたり、どうしても、消極的になりがちだが、
「厳しくいかないといけないことは、昔と変わっていない」
ということで、余計に、捜査も難しくなってきたということに相違ないであろう。
そのビデオは、ノーカットで見ると、かなりの時間がかかるということで、最初は1時間分を見ることにした。
そして、ちょうどその一時間が終わろうとしているところに、思わず、出口刑事が声を挙げた。
「あっ、この男」
といって、思わずスクリーンに向かって指をさしたのだった。
「どうしたんだい? この男知っているのか?」
と聞かれると、
「いえ、どこの誰なのかは分かりませんが、この男、以前近くで火事があったんですが、その時の容疑者に似ているんですよ」
と出口刑事は言った。
桜井警部補にも覚えがあった。
「先週だったか、商店街の奥で、付け火と思われる出火があった時のことかな?」
というので、
「ええ、そうです。あの時に、野次馬に混ざって、こんな雰囲気の男がいたんですよ。なぜ覚えていたのかというと、他の人は皆スマホを構えていたのに、この男だけ、ホームビデオのようなものを持っていたんですよ。考えてみれば、あまりにも偶然としても、都合よく火事が発生するとは思えませんからね」
と出口刑事は言った。
それを聞いた桜井警部補も、
「ああ、そうだな」
と言ったが、あの火事の時のことはハッキリと覚えていて、
「確かに、この男いたような気がするな」
というのであった。
ただ、あの時は、市民の危険がないように取り締まるのが一番の優先順位であったので、事情聴取などする暇はなかった。
しかも、火事は折からの風によって煽られるように広がっていったので、犯人捜しところではなかったのだ。
少し落ち着いてあたりを見渡すと、もうその男はいなくなっていた。
「しまった。あっという間にいなくなったのか?
と思っていたので、その後の捜査で、この人物のことが話題となり、探してみたが、結局分からなかった。
マスクを変えて、カメラを持っていなければ普通の一般人である。怪しく見えることもないだろう。
「桜井警部補、多分あの時の男ですよ」
と言われると、桜井警部補も、そう見えてくるからどうしようもなかった。
「言われてみれば、そうとしか思えないな」
と言えば、出口刑事は、したり顔で、
「まるで俺が見つけたんだ」
と言わんばかりになっていた。
しかし、桜井警部補は、少し怪訝な気持ちになった。
「こんなにいかにもという服装で、怪しそうに見えるのは、まるで、自分が犯人だと言わんばかりであり、却って、疑惑自体に信憑性を感じさせない」
と、感じさせるのであった。
だが、桜井警部補が感じたのはそれだけではなかった。
「確かにあの時の火事現場にいた不審者に似てはいるが」
と感じ、それよりも、
「以前から知っている誰かに似ているような気がするんだよな」
と考えると、どうしても、火事の現場においてのあの男のことが、気になってくるのだった。
「もう、せっかく他のことで思いついたのに、出口君が余計なことをいうので、思いついたことを忘れてしまいそうになるじゃないか?」
と思い、苛立ちを感じるのだった。
桜井警部補には、疑惑となる相手がいて、イメージできているのに思い出せない。
それが、1年という期間が、男が殺されてからだとすると、その男を一年以上前にしか見たことがないということだ。
「それを、思い出せというのは、結構厳しいことではないだろうか?」
ということを考えていた。
一年間というものが、どれほどの期間だったのかということを、桜井警部補は思い出そうとしていた。
「そうか、一年前というと、ある新興宗教団体が絡んだ殺人事件があったあの時か」
と、いうことを思い出すと、
「思ったより時間が経っているんだな」
と最初に感じた。
しかし、それは、思い出そうとすると思い出せたという感覚からなのかも知れない。実施に思い出してみると、
「まるで昨日のことのように思えてくる」
というものであった。
人間の錯覚というものは結構大きいような気がする。
ある時期を思い出そうとすると、小学生の頃よりも中学時代の方が昔のように思えることがあった。
それは、小学生の頃というのが、
「何も考えないでも生きてこれた時期」
であり、中学時代というのが、
「思春期を抱えていて、何事も今の最初だったというイメージが残っているからに違い合い」
ということを感じるからだった。
そこには、
「思春期」
という、
「人生においての節目」
となる時期があって、しかもその思春期が、
「一度、自分の人生をリセットする時だ」
という感覚を持っているからだった。
それは、
「乳歯が永久歯に生え変わる段階」
といってもいいかも知れない。
歯が生え変わる時があるというのが分かっているので、歯がグラグラしてきても、怖くはない。
それよりも、
「今が人生のやり直しだ」
という意識が実はまったくなく、大人になるということが、むしろ、
「怖いことではないか?」
と思うことで、思春期を必要以上に怖いものだと考えることで、それまでになかった性欲であったり、
「大人になるために越えなければいけない、ハードルのようなものがあったとするのであれば、それは、羞恥なことではないだろうか?」
と思えるように感じ、
「思春期などなければいい」
と思うことだろう。
特に女性の場合は、初潮から始まって、毎月訪れる、
「女の子の日」
など、なければいいと思っているに違いない。
中学時代と所学生の頃が、
「逆だったような気がする」
と考えるのは、小学生の頃が、
「今と似ていたのではないか?」
と感じるからだ。
ただ、小学生の頃は、桜井少年とすれば、暗黒の時代であり、本当は思い出したくない時代でもあった。
というのは、
「勧善懲悪の気持ちはあったんだが、それをひけらかしていたために、まわりから、ひんしゅくを買っていた」
と思っていた。
ということは、
「本当の気持ちを正直に表に出すのが苦手だった」
ということであり、そのために、高学年になってくると、今度は自分が苛められるようになっていたのだ。
子供心に、
「正義の気持ちを持っているのに、どうして嫌われるんだ?」
と思うのだが、実際には、
「自分の考えが間違っているのだろうか?」
と考えたりもした。
というのは、本当はたぶんであるが、
「勧善懲悪の俺の考え方が正しいんだ」
という思いを持っている反面、
「自分にできるくらいのことは、他の人にできて当然のことなのだ」
という両極端な気持ちを持っていたりする。
正義の気持ちというのは、
「あくまでも、自分が中心である」
という考えが基本にあるだけに、逆に、
「自分の考えていることが、まわりに認められなければ、自分の正当性や、考え方の信憑性に乏しくなってしまう」
という考え方になるのだった。
だから、上から目線で皆を見ている時もあれば、自分が底辺にいて、上を見つめている時がある。
そして、どちらも、自分のいる場所には自分しかおらず、
「絶えず、上を見上げているか、下を見下ろしている」
のであった。
「下から見上げる時というのは、その場所まではすぐに手が届くほど、近くに見えるのではないか」
と思えるのに対し、
「上から見下ろすと、下が遠くに見えて、二階くらいの距離でも目がくらんで、眩暈がしてきそうになる」
といってもいいだろう。
上から見下ろす時に怖いと思うのは、見おろすその途中に、別の建物可何かの屋上があった。相手がこっちを見上げているのに、見おろしていると、その人がベランダの端の方に行くのを見ると、恐ろしくなるのだった。
そう、相手が落っこちそうに見えるのだ。
相手は、そんなに高くないところにいるのに、上から見ると、
「まるで、宙に浮いているかのように見える」
というのが、恐怖の原因であった。
恐怖というのが、錯覚に繋がるのだろうが、相手は怖がってもいないのに、自分だけが、背筋に汗を掻いて、自分の本当の高さよりも、さらに高いところにいるかのような錯覚に陥るのだった。
そのことを考えると、恐ろしさで足が震え、
「自分が高所恐怖症になった原因は、明らかに、この感覚にあるのだ」
と思うのだった。
小学3年生の時、掃除で、窓ガラスの向こうを拭く時があって、皆が自分にやらせるのだが、恐ろしくて足がすくんでいると、中からカギを閉められ、出窓のようなところに取り残されてしまった。
ものの5分程度だったにも関わらず。
「まるで1時間は閉じ込められた」
かのようになり、
「唇が紫色に変色している」
と言われたくらいだった。
そんなことを思い出していると、その時の恐怖は、まるで昨日のことのように思い出されるのだった。だから、中学時代のことは、普通に時系列の距離であっても、一つであっても、
「まるで昨日のことのよう」
という思いがあれば、その前後すべてに繋がっていることが、すべて昨日のことだと思うのだ。
それが、一種の、
「トラウマのようなものだ」
ということになるのだろう。
ただ、それがm年齢を重ねていくうちに、
「昨日食べたものすら思い出せなくなる」
という感覚に陥る。
ただ、それは、トラウマにおける感覚とは違って、
「大人になると、毎日のルーティンが決まってくるので、毎日同じことをしていると、それが今日のことなのかすら混乱して分からなくなってくるのだ」
ということである。
逆にそれだけ、毎日意識をしなくとも、リズムでやっているものであり、
「あれ? 今日やったかな?」
と思い立ったとしても、たいていの場合、
「やってるわよ」
と言われるに違いないのだ。
それを考えると、今はそれだけ、恐怖がトラウマとして残ることも少なくなったのかも知れないということであった。
だが、毎日のように、警察で仕事をしていると、トラウマに陥りそうな事件が、ひっきりなしである、しかも、事件が佳境に入ってくると、
「自分の、ルーティンを守ってなどいられなくなる」
というほどに、事件が白熱してくる。
それなのに、それでも、毎日をルーティンで繰り返しているように思うのは、それだけ、自分の毎日の生活が、マンネリ化しているということだろう。
しかし、実際にはそんな毎日ではないはずだ。そう思うのだとすれば、感覚をマヒさせるだけの、
「もう一人の自分」
が潜んでいるに違いない。
もちろん、同じ性格、同じ考えの、まるで、ドッペルゲンガーのような自分がいるというわけではない。逆にまったく違った性格であったり、行動パターンを思いつきそうな性格の違う自分でなければいけない。
そう、それこそ、
「ジキル博士とハイド氏」
のような、一つの身体に、二つの性格が宿るという感じである。
こうなると、探偵小説などでよく使われている、
「一人二役などというものではなく、二人一役と言えるのではないだろうか?」
ということであった。
つまり、まわりからは、一人の人間にしか見えない。だが、実際には、その人間から精神分離が起こり、それによって、性格だけではなく、容姿や風体まで変わってしまった、
「もう一人の自分」
が出現することになる。
まわりの人は、まさか同一人物だとは思わない。しかし、演じているのは、まったく同じ人物なのだ。
「果たして、ジキル博士とハイド氏は同じ人間なのだろうか?」
ということを考えてしまうが、同じ人間であることは証明されている。
なぜなら、
「ジキル博士が自分を葬ると、一緒にハイド氏も死んでしまった」
ということになる。
ということは、
「誰かが、ハイド氏を葬ったとすれば、そこに現れるのは、薬が切れた、ジキル博士だった」
と言えるだろう。
ハイド氏の死は、ジキル博士の死でもあるからだった。
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