お通夜の日に

@KaiM-maki

お通夜の日に


 真っ黒なジャケットの懐から袱紗を取り出す。

 お悔やみの言葉とともに袱紗の中の香典袋を受け付けの女性に渡した。

 少しもたつきながら受け取った中年の女性に少し苛立ちを覚えながら、僕は周囲を見渡す。

 お通夜の会場の中では、すすり泣く声や声を潜めた話し声が反響することなく空気に吸い込まれていた。


 ――高校時代の部活の、1つ上の先輩の訃報が届いたのは1週間前だった。

 人伝にステージ4のガンであるとは3年前に聞いていた。

 結婚したばかりで子供もいたから、部活OBの皆でカンパをした記憶も新しい。

 それにしても、30年と少しだ。

 先輩は奥さんや子供を抱えながら精一杯生きて、それだけしか生きることができなかった。

 この理不尽な情景ひとつで、神の存在と悪辣さの証明が成立するにちがいない。


「お待たせしました。

 どうぞ中にお進みいただいて、ご焼香をお願いします。

 そしてこれが返礼品の引換券になります。

 お帰りの際は忘れずに交換をお願いします」


 受付の女性に会釈を返し、引換券をポケットに突っ込みながら会場へと進んだ。

 会場の中には恩師の先生がいて、世話になった先輩がいた。

 それぞれに手短に挨拶をすますと、素早く焼香台へと向かう。

 長居するつもりはなかった。

 顔だけ出して、焼香して、それでおしまい。


「……久しぶりだね」

「えっと……」


 焼香台の前で見覚えのない女性に声を掛けられて、しまったと思った。

 正直に言って、誰かわからない。

 こんなのばっかりだ。

 高校時代まで地元で生活していたはずなのに、地元の同世代の人間のことはすっかり記憶に残っていない。

 唯一の例外は部活での人間関係のみ。

 それ以外の同世代の人間は一切眼中になかった、実に視野狭窄極まる対人関係を構築してきたツケ。


「とりあえず先にお焼香を」

「やっぱり、そういうところ変わらないね」


 お焼香を済ませながら隣にたつ女性が誰だったかに思いめぐらせて、答えが出ないことを悟って諦める。

 思い出せるわけがない。

 だから開き直るしかない。


「少し外でお話ししましょう」

「うん、いいよ」


 返礼品と引換券を交換して、素早く会場の外へ出る。

 少し早く会場に来たのが功を奏してか、受付はごった返していた。

 入ろうとする人の列の脇を抜けて、僕と彼女は会場の入り口の脇にたどり着いた。


「それで……」

「私ね、結婚したんだよ。

 娘も3年前にうまれてね、今日は実家に預かってもらってるんだ」


 僕の言葉をさえぎって、目の前の彼女は堰を切ったように言葉を紡ぎ始めた。

 笑みを浮かべながら静かに。

 しかし、こちらを見上げる目には強い力が見えた。


「地元の先輩のお通夜だから顔を出したけど、君と顔を合わせるなんて思わなかったよ。

 高校を卒業するときに私と別れてから、誰かとお付き合いできた?

 まあできるわけないよね、あんまり昔と雰囲気が変わってないもん。

 興味のないこととか、興味のない人は記憶に残らなかったもんね」


 まくし立ててくる彼女の言葉を止めよう声を上げようとしたが、彼女の言葉は止まることはなかった。


「いいよ誤魔化さなくたって。

 今こうして感情的になってまくし立てている私だって、誰なのかも思い出せないんでしょう?

 いつまでも変わらない人。

 どうせ変な女につかまったくらいにしか考えてないんでしょう。

 そうして人間関係をこじらせて幸せから遠ざかればいいんだわ。

 私は幸せになれたから、じゃあね」


 言いたいことは言い切ったのか、彼女はこちらに一礼して立ち去って行った。

 足早に駐車場へと向かい、旦那であろう男性が運転する車で去っていった。

 

 ああ、その通りだ。

 僕は彼女が誰なのか、最後の瞬間までわからなかった。

 後味の悪い気分を噛みしめて立ち尽くしていると、誰かに肩をたたかれた。

 部活の先輩の1人で、地元で暮らしている2つ上の従妹いとこ

 近所に暮らしていて、まるで家族のようにかまってくれた人。

 僕の初恋の人。

 従妹はは微笑とも怒りともつかない表情で、ためらいがちに声をかけてくれた。


「久しぶり。

 ……彼女を責めないであげて。

 彼女、君と高校卒業まで交際してたんだよ。

 きっと君は憶えてないんだろうけど。

 そのあと彼女もいろいろあったからさ。

 1回離婚も経験してるし」

「彼女のこと、知ってるんだ」


 僕の言葉に、従妹は痛々しく顔を歪めた。


「……あの子の君への告白。

 私が手を貸してあげたのよ。

 中学生の頃だったのよ。

 本当に、憶えてないのね」


 込みあがってきた胸のむかつきを、口から細く長く吐き出す。

 頭が締め付けられるような気がして、今日はもう帰ろうと決めた

 社会人になってから癖になってしまったこの頭痛。

 使いもしないお金と引き換えに抱えたストレスは、僕の心から思い出を奪っていく。

 

「じゃあね、僕は帰るよ。

 旦那さんによろしく」


 背中越しに手を振りながら、僕はお通夜の会場に――従妹に背を向けた。

 年なんてとるもんじゃない。


  

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