第27話 賑やかな典


岳人を斎場に運ぶためのやけに立派な車がお迎えにきた。その前に誰もいないのを見計らってあたしは携帯電話のカメラで弟の写真を数枚撮った。これがあたし達の生まれ育った我が家で撮る最後の写真だ。ふたり一緒に写る写真も撮った。


 カメラの中の岳人が死んでいるとは思えない。遊び疲れて寝ているいつもの弟となにも変わらない。だけど、カメラを通さずに見る顔はやはりあたしの知っている寝顔とは違っている。顔が白すぎる。ちょっとだけ開いた口がやけに間抜けに見える。


 目と鼻に詰め込まれた白い綿が弟を不細工に見せる。これは一体なんの為に詰め込まれているのだろう。魂が抜け出てしまわないように、悪霊が入り込んでしまわないようにとどこかで聞いたことがある。だけど、あたしはそうじゃないと思っていた。これは、生きているものと死者を区別する為の目印なのではないだろうか。


 すなわち、岳人はもう生きものではないと認められてしまったのだ。


 斎場に着いてからの大人達はとても忙しそう。あと一時間程でお通夜が始まる。立派な袈裟を着たお坊さんがやってきてなにやら両親と打ち合わせをしていた。

 

 その頃からあたしはもう斎場の受付で待機していた。あたしが想像していたよりずっと多くの弔問客がきてくれた。とても小さな可愛らしいお客さんが多い。おそらく学校のお友達なのだろう。


 小さなお客さんは随分身体の大きな大人の後についてやってきた。岳人が、僕のクラスの先生はとっても怖いんだよおと言っていたが、とてもそんな風には見えない。黒い肌に髭をたくわえたその先生は、泣いている子供を抱きかかえたり手を繋いだり、心配りの出来る優しい人だった。


 あたしは受付のテーブルの横に立って彼らを迎える。受付はお父さんのお兄さんが担当してくれている。あたしの役割は受付ではない。すべての弔問客が必ず通るこの場所でお客様をお迎えしたかっただけ。誰よりも先にお客様に挨拶するのがあたしの仕事だ。ひとりひとりに頭を下げて、ありがとうございますとお礼をした。

 

 一体どこから泣いてきたのだろう。大きな先生に手を握られた子は泣きじゃくって、暴れてあたしの前から動けない。


「岳人君に逢いたいよお。だって今度の日曜日に一緒に公園でサッカーしようって約束したんだもん。」


 大きな先生は困り果てている。なんとかなだめようとするけどその声は子供には届かない。あたしは先生にお願いをする。


「こんなに岳人と仲良くしてくれたお友達なのですから、姉のあたしにもお話させて下さい。」


 大きな先生から見たら泣いている子もあたしも同じ幼い子供に見えることだろう。だけど、あたしには弔問客に心を落ち着かせてから家に上がって貰いたいという責任感を感じていた。このまま涙を流すお友達を放ってはおけない。


 それは決して、泣いている子供が式の邪魔をするかもしれないと疑うわけではなく、涙を流す程岳人と仲良くしてくれたお友達にしっかりお礼をして、あの子みたいに優しい言葉をかけてあげたいと望んでいたのだ。なにより、この場に足を運んでくれたことに感謝をしなければならない。泣きじゃくっていた男の子もあたしが抱き締めると少しだけ落ち着いてくれた。あたしから岳人と似た匂いを感じてくれたのではないだろうか。

 

 果歩ちゃんと美羽ちゃんも来てくれた。果歩ちゃんは岳人のことを良く知っている。小さな頃からたくさん遊んでくれた。まるで自分の弟を亡くしてしまったかのように泣きじゃくる。誕生日やクリスマスにはプレゼントまで用意してくれたのだ。


 もちろん岳人も果歩ちゃんのことが大好きで。彼女が我が家に遊びに来ると必ずあたし達の輪に入ってたくさん笑うのだ。夕方になって彼女が帰らなくてはいけない時間になると泣いて引き留めた。彼女は優しいので、岳人を抱きかかえて、またすぐに遊びに来るからねと約束のキスをしてくれるのだった。岳人は、僕が大人になったら果歩ちゃんと結婚すると言っていた。あたしが嫉妬するくらいふたりは仲が良かった。


 美羽ちゃんは岳人のことなんて知らないはずなのに、涙を流してくれる。見かけや言動から冷めた性格だと思われがちだが、実は情に脆いのだ。あたしは胸が熱くなったけど、不思議とふたりにつられて目頭を熱くなりはしなかった。

 

 ふたりはきっとあたしを心配してやって来たのだろう。でも大丈夫。あの子の姉としての務めを果たしているよ。だから、あたしのことは放っておいてあの子の冥福を祈ってあげて。あたしの大好きな友達が来てくれたのだからきっと喜ぶはずだから。


「ふたりとも泣かないで。きっとあの子も悲しい顔をしてしまうから。あの子は人の笑顔を見るのが大好きなんだ。」


 友達だからといって甘えられない。他の弔問客にするのと同じように深々と頭を下げた。


 

 予定通り十八時にお通夜が始まった。お坊さんに御経を読んでもらって、出席者が順番にご焼香をするだけの簡単な段取りだったが、式はそう厳かなには進まない。


 あたし達家族が最前列に並び、その後ろに親族が続く。さらにその後ろの岳人の友達の席からは御経を始まったときから鳴き声や岳人の名前を叫ぶ声が絶えない。


 天使はこんなにも多くの人に愛されていたのだ。天使はこの家の中では甘えん坊の幼子であったけど、外に出れば社会の中で立派に自分の立場や存在感を保っていたんだね。


 偉かったね。あなたがしっかりした子で優しくて愛されていたから、こんなにたくさんのお友達がお別れに来てくれたんだよ。有難いね。岳人は喜んでいるかな。それともお別れが寂しくて泣いているかな。大丈夫。みんなにはねえたんがしっかりお礼をしておくから。ゆっくりしていなさい。


 あたしはご焼香を済ませた後、祭壇の脇に立ってご焼香をしてくれる人に頭を下げた。そんな段取りは予定していなかった。お父さんもお母さんもそんなことはしない。だが、あたしを咎める者もいない。涙を流してくれる人、悲痛な顔をしてくれる人様々だった。もちろん、お友達はまだ大声を出して泣いている。


 その中に異形の姿を見つけた。大葉先生はご焼香をする前にあたしの前で一礼をした。なんでこの人がここにいるのだろう。先生の随分とゆっくり丁寧にご焼香した。遺影をじっと見つめて静かに手を合わせた。抹香を摘まんで額によせて香炉に落として、再び遺影に向かって手を合わせた。誰よりも凛としていて大人びた姿勢だった。最後にあたしと両親に再び頭を下げてその場を立ち去った。


 あの人の顔を見るといつも不安に襲われるのに優しささえ感じた。いつもあたしに近付くときの横柄な態度など微塵もない。あたしは素直に感謝をして、他の参列者にするのとなんら変わりなく、有難うございますと心の中で呟いた。だけど、他の人にするより長い時間頭を下げたかもしれない。


 お通夜が終わる両親とあたしはその斎場に泊まることになっていた。大きな鏡のある部屋で着替える。喪服を着て鏡に映った自分は今朝自分の部屋の小さな化粧用の鏡で見た猿とはまったく違う生き物。型こそ古臭いけど、お母さんに借りた喪服も一緒に借りた鼈甲の簪も綺麗だった。馬子にも衣装というけれど本当にそうなのだなって。


 喪服も簪もとても綺麗だったけど、弟のお通夜をなんとか姉としての立場で終えることが出来た自分の顔が少しだけまともに見えた。猿をも綺麗に見せてくれる衣装を脱いであたしは食事もとらず眠りについた。だって、起きているのが怖いのだもの。



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