第151話
水月の母親の事故案件から一週間が経つが、あれから目立った何かが起きたわけではなかった。
長門から聞いた話では、その間に母親の容態が悪化したり、妖魔人との接触があったりと動きがあるらしいが、このえの監視情報からもそういったものは皆無だったよう。
あの事件を妖魔人が引き起こしたのは間違いないとして、何故そこから何の動きも無いのか。
それは恐らく十鞍千疋の存在を危惧してのことだと沖長は判断している。
彼女の力は、現行勇者の中でもトップクラス。地球内では力が制限される妖魔人にとっては、今は敵にしたくない相手のはず。
まあだからこそ適役だと判断し、沖長は彼女に護衛を頼んだのだが。
ある程度の知恵があるなら、千疋の脅威などを加味して水月を狙うことを諦めるかもと期待していた。ここ一週間で動きが無いのであれば、それは見事に功を奏した結果であるといえるだろう。
ただ気になることもあった。
(九馬水月の母親は入院こそ避けられたが、確か原作じゃ検査で癌が見つかったんだよな)
今回の場合、精密検査を行うほどの怪我ではなかったために、いくら大手の病院に務めている腕利きの医者でも、癌を患っていることは分からなかったはず。
原作では事故から入院し、そこで即時癌だと判明する。怪我のせいなのか、そこから母親である美波の体調は急激に悪化し、どんどんと衰弱していく。それでも仕事をしないと子供たちが生活できないと無理をして死んでしまうのだが……。
(このえからの報告じゃ、母親はピンピンしてるってことだけど)
すでに癌に侵されているならば何かしらの予兆が出ていてもおかしくない。これは一体どういうことだろうか。
そんな疑問が浮かび上がったので、長門に改めて水月の物語について説明を願ったのだ。
すると長門も原作とは違う流れになっていることで困惑している様子だった。仮にこれが事故で死ぬ未来ならば、そこに第三者の手が加わり事故を避けた結果寿命が延びることは理解できる。
しかしたとえ第三者が介入したとしても、すでに患っているであろう病気がいきなり消えたりはしないはずだ。しかもそれが癌という病であり、これは環境変化で突然消失するなどは有り得ないと思う。
治すには現代医療を目一杯駆使しつつ戦っていくしかない。それでも打ち負けてしまう場合もあるというのに、自然と癌が失われる状況は起こり得ないはずである。
すると長門はハッとした心当たりがあるような表情を浮かべた。
「…………IF世界」
「は? いふ? ああ、もしかしてIFってパラレルワールドのことか?」
「そう。前にこの世界は読み切りとかゲーム、映画などの設定が織り交ぜられているかもって話をしただろ?」
確かにそのような話が持ち上がった。事実、要所要所で、原作である連載漫画の設定とは違う部分が出ているらしいのだ。
そしてそれは読み切りで存在した設定だったことで、もしかしたらこのナクルの物語は作者の構想すべてが混在した世界ではないかという話になったのである。
「じゃあもしかして九馬水月さんの母親が癌で死なないって設定が読み切りにあったとか? いや、読み切りは確か最初のダンジョンをクリアするところまで……だったよな?」
「うん、だから読み切りでの設定じゃない。僕が思い出したのはゲームの話だ」
「ゲーム?」
「【勇者少女なっくるナクル】はいろんなジャンルでゲーム化されてるけど、その中に恋愛的要素の強い異色ものもあったんだ」
本来この物語は女の子たちを主軸とした物語であり、男性がメインには出てこない。出てきても敵側だったり、メインキャラの家族でちょい役として出てきたりと、物語に深く関わってこない場合が多い。
「まあよくあるようなナクルたちと仲良くなって最終的に結婚までしていく話で、原作のような強烈な鬱感とは真逆のほんわかした内容になってる。ただあまり人気はなかったみたいだけど」
長門が言うには、その恋愛シミュレーションを目的としたゲームで、登場キャラと親しくなっていくのは通例だが、原作とは少し流れが違っていたりするとのこと。
原作があまりにも悲劇に寄っていることで、制作側がどうせならそれとは逆で、ただただ女の子たちとキャッキャウフフするだけのものを作ろうということになったらしい。
それで販売したのが【勇者少女なっくるナクル ~恋に恋する女の子たちの日常~】という地雷臭が半端ないもの。実際原作ファンは、強烈な刺激を求めている者が多かったためか、評価も最低値を叩き出してしまい完全な黒歴史となってしまった。
しかしながら制作に携わった原作者本人は気に入っていたらしく、こういうナクルたちの物語も一興ということで全クリしたことが話題になったという。
「そのゲームの中でも、九馬水月の母親は仕事場で事故に巻き込まれるが、主人公の選択如何で救うことができるんだよ」
「なるほど。確かに原作にはない流れだな」
「それで選択に失敗してしまうと、怪我を負って入院してしまうけど死んだりしないし、そこで癌だと発覚するわけでもない」
「! じゃあもしかしてその設定が?」
「……分からない。そもそも原作開始初っ端から違いが発生してたしね。今後どういう流れがなるのか確証なんてないよ。言い換えれば、どんな状況になってもおかしくないってことだね」
彼の言う通り、読み切り時の設定や他のコンテンツの設定が盛り込まれているとしたら、それこそすべてに適応することは非常に困難だ。
もし今回、本当に美波が癌に侵されていないのであれば、沖長としては余計な気を回さなくても良いことなので安堵する件ではあるが、それとは逆に原作には無い不幸なイベントも今後出てくる可能性だってある。
長門もすべてを事細かく網羅しているわけではないので、そのすべてに対応策を用意しておくことは不可能とのこと。
「まあ幸いなことに、僕の目的については然程変化は生じないと思うけどね」
長門のすべてとも言えるリリミアというキャラクターへの執着。彼女の幸せを守るという目的は、ゲームなどの設定を考慮しても現状問題はないらしい。
これはたった一人だけを見続けて、何よりもその子を優先する彼だからこそ選べる選択肢だろう。仮にナクルを見捨てなければリリミアを助けられないとするなら、彼は喜んで主人公すら踏み台にできるのだ。
しかし沖長にとっては一度親交した者を見捨てることはでき得る限りしたくない。だからこそ手が届かない場合もあるし、そのせいで失敗をするかもしれない。
この考えが後悔に繋がらないと願いたいものだが、今はとにかく一度美波の状態を確かめておいた方が良いと判断した。
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