第53話

 翌朝、旅行に来たとはいえ、それでもやはり古武術を習う手前としていつもの日課は欠かせない。

 沖長は、ナクルと蔦絵の三人で早朝のロードワークを行っていた。普段街中を走っているが、どちらかといえば平坦な道が多い。


 しかしここは山の中であり起伏が激しく、急こう配な斜面は登るのも降りるのも結構足にダメージが来る。

 しかも蔦絵の指示で、舗装された道路ではなくデコボコした山の道を走っているので、足元に注意しないと転倒したり踏み外して捻挫することに繋がってしまう。


 故に普段以上に体力が削られていくが、さすがはナクルといおうか、前を行く蔦絵の後をリズミカルについていっている。沖長も負けじと速度を緩めずに走るものの、慣れていない場所ということもあって徐々に距離が開く。


 必死に詰めるためにスピードを増すと、その分余計に疲労が嵩んでいく。

 そうして山の頂上付近にあった開けた場所まで辿り着くと、そこで一旦休憩を取ることになった。


「沖長くんは確かに体力があるけれど、普段と比べても何倍も疲れているでしょう? その理由が分かるかしら?」


 現在水分補給をしながら、これまでの道程を振り返り反省点などを踏まえる。


「そうですね。蔦絵さんやナクルは軽やかに走ってましたけど、俺はどちらかというと重々しい感じだったかと思います」

「そうね。じゃあそれはどうして?」

「多分必要以上に足に力を入れ過ぎていたからじゃないかと」


 沖長の答えが的を射ていたようで、蔦絵は満足そうに小さく頷いた。


「山道や砂場みたいな足元が不安定な場所を移動する時は、舗装されている道を走る時と同じ走法では余計に体力が削られるわ。大切なのは足の運びと力の入れ具合ね」

「足の運び……」


 そういえばと思い出す。ただ追いつくのに必死で、真っ直ぐ最短距離を突き進んでいた沖長に比べて、蔦絵たちは軽く蛇行したルートを取ったり、歩幅をいつもより狭めていた気がする。


「山道などで駆ける際は、地面の状態を常にチェックすることをお勧めするわ。同じ地面に見えても角度が若干違っていたり、他と違ってぬかるんでいたり、落ち葉で滑りやすくなっていたりと結構違うものなのよ」


 そういうことを気にしていなかった沖長は、落ち葉の上を走ることで、滑りそうになってそれを防ぐために力を入れる。ぬかるんだ場所に足を取られる。それらが余計な疲労を生む。

 さらに見た目は同じように見えても角度が違うことで、力が逃げてしまって思うように走ることができずリズムやバランスを崩すこともある。


「でもいちいち確認して進んでいたんじゃ時間がかかると思うんですけど……」

「最初はね。けれど慣れてくれば身体が自然を覚えてくるわ」

「なるほど。要は反復練習あるのみってことですね」

「そういうことよ。あとナクルも、まだまだ身体に無駄があるわ。足音も大きいし、今後はそれを意識して走ること」


 アドバイスに「はいッス!」と答えるナクルだが、沖長にとっては彼女の走りでもまだまだ未熟ということに驚きを隠せない。ただ確かに思い起こせば、蔦絵の足音は一切していなかった気がする。暗殺者か何かですか、とつい思ってしまった。


(まあ忍びの武術を学んでるんだから当然か)


 忍びと言えば隠密。つまり音無しの動きを要求されるということだ。そこまでの域に行くのに一体どれほどの期間がかかるのか、今の沖長には想像すらできなかった。

 次にその場で軽い組手を行い、終わったあとはまた山を下っていく。


 そうして早朝鍛錬が終わると、真っ先に汗を流すために風呂へと向かった。


「……ん?」


 まだ早い時間帯ということもあり、一人風呂を満喫できるかもと思ったが、そこには大悟がいた。


「おう何だ、垂れ目のガキじゃねえか」

「一応沖長って名前があるんですけど?」

「けっ、生意気な」


 大悟が湯の中から上がると、その全身が露わになる。それと同時に息を呑む。

 彼の身体もまた、修一郎に負けず劣らずの筋肉美を有しているが、それよりも驚いたのは古傷塗れだったからだ。しかも特に目を奪われたのは、右肩から左腹部にかけて走った大きな傷跡。


「あん? ああ、コレか?」

「凄い傷ですね。まるで何かに切り裂かれたみたいな」

「ああ、修一郎にやられた傷だしな」

「へぇ、そうなんですか…………はいっ!? し、師範にやられたっ!?」

「ちっ、大きな声出すんじゃねえよ、うるせぇ」

「あ、ごめんなさい!」


 しかしこちらの気持ちも察してほしい。明らかに致命傷とも思われる傷を、あの優しい修一郎がつけたとなると驚愕するのは当然だと思う。


「まあいい、ちょっくら話してやるか。ほれ、こっち来て座れ」


 またその場に座って湯につかる大悟の隣に、おずおずと近づいて遠慮がちに座り込んだ。そのちょうどいい温もりに思わず溜息が零れた。


「んで、この傷のことだがな。まずお前は修一郎の昔のことをどんだけ知ってんだ?」

「いえ、ほとんど知りません。ただ、物騒なことは嫌いだけど、戦うしかなかったっていうのは聞きましたけど」


 ほんの昨日本人から仕入れた話ではあるが。


「ま、甘い奴なのは確かだな。敵にも簡単に情けをかけるような奴だしよぉ」

「そうなんですか?」

「あぁ、言ったろ。前に俺とアイツは命を懸けて戦ったって」

「! じゃあもしかしてその傷って……」

「そん時にできた傷だ。あの野郎、あん時はマジで手加減なんてしやがらなかったしな」


 手加減をしたら逆に怒りそうだと言葉にしそうになったが我慢した。


「敵だった俺を殺さずに手を差し伸べるくれえの甘ちゃんだ。ま、そのお蔭でこうやってのんびりできてるけどなぁ」


 敵同士。つまり命のやり取りまでする間柄だったのだろう。それなのに修一郎は命を奪うことなく敵を身内に引き入れることに成功したというわけである。


(凄いな。俺にはとてもそんなことできそうもないや)


 自分の命を狙う相手に容赦を与えるなんて後が怖くてできない。もちろんだからといって命を奪うという選択肢も容易に選ぶことができるかといったら戸惑うだろう。


「そういえば庭園にあった巻物の石像ですけど」

「あ? ああ、昨日の。アレがどうしたってんだ?」

「〝忍揆〟って書かれてるんですよね? アレがここに置かれてるってことは、やっぱり籠屋家も元忍者の家系なんですか?」

「何だ。門下生のくせに籠屋について知らねえのか?」


 知らないとマズイのだろうか。というよりここに来て初めて知った名前である。

 すると大悟から衝撃の言葉が告げられる。


「籠屋家ってのは――――この国の黒幕なんだよ」




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