第13話

 ――翌日。


 昨日予定されていた【日ノ部家】の訪問。札月一家はただいまその門構えを見て立ち尽くしていた。


 とはいっても沖長は二度目なので「やっぱりクソでかいな」と改めて思うだけだが、両親は何故か身形を異常に整え始め、失礼があってはいけない感じを強く出している。


 相手がセレブだと必要以上に緊張する気持ちは何となく分かるが、ここの人たちはかなり気さくだからと言うと、幾分は表情が和らいだように思えた。

 そしてインターホンを押すと、昨日会ったばかりのこの家の主である修一郎が出迎えてくれたのだが……。


「――オキくぅぅぅんっ!」


 物凄いダッシュで駆け寄ってきて、そのまま抱き着いてきたのはナクルだった。

 その衝撃は凄まじく「ぐはっ!?」と肺から一気に空気が吐き出されるとともに、そのまま後ろへ倒れ込んでしまう。


「まってたッスよ、オキくん!」


 満面の笑みが視界いっぱいに広がっていた。もうその笑顔で、痛みなんか軽く吹き飛ぶ。


「は、はは……昨日ぶり、ナクルちゃん」

「もう! ナクルでいいってきのういったじゃないッスか!」


 頬をこれでもかというほど膨らませる彼女はとても愛らしい。ついその頬を突いて空気を抜きたくなる。


「はいはい、悪かったよナクル」


 名前を呼んでやると、「えへへ~」と嬉しそうに馬乗りになったまま笑っている。

当然葵や悠二たちは、予想だにしていない状況に呆けているが……。


「おほん! こら、ナクル、お客様の前だぞ」

「!? ご、ごめんなさいッス!」


 慌てて立ち上がり沖長から離れる。


「それにいきなり飛びついたら危険だろ? 沖長くんに謝りなさい」

「は、はい……あ、あのオキくん……ごめんなさいッス」


 明らかにシュンとなっているが、こちらとしては怪我もなかったし怒ってもいない。


「はは、別にいって。元気が一番だよ、ナクル」


 そう言いながら頭を撫でてやると、またも表情に花が咲く。まるで小動物のようだ。尻尾があったら完全に振り回していることだろう。


「やれやれ。あーウチの子がすみませんでした」

「! あ、いえ、確かに驚きましたが、気にしないでください」

「そうですよぉ。いつの間にかこ~んなに可愛い子と仲良くなっちゃってぇ、沖ちゃんてばやるわねぇ」


 修一郎が謝ると、真面目に対応した悠二はともかく、葵の言い分はよく分からない。何がやるのかサッパリである。

 それから皆で日ノ部家の母屋へ入り、そのままリビングまで通された。


 席につき、すぐに障子が開いたと思ったら、向こう側から茶と菓子が入ったトレイを持った女性が現れた。

 てっきりナクルの母であるユキナが顔を見せたと思ったが、どうやら違うようだ。


 その女性は、濡れているような艶のある美しい黒髪を腰まで流し、着用している和服もとても似合っていて、ユキナも美女だったがこの人も負けず劣らずのルックスである。その所作一つ一つが気品あって、思わず見惚れてしまう。


 その証拠に、沖長だけでなく悠二も目を奪われているようだ。しかし父よ、そんな態度をとっていると……。


「痛っ……!?」


 肘打ちをくらい痛みに顔を歪める悠二。当然攻撃……いや、お仕置きを与えたのは葵だった。見れば「何を見惚れてるのぉ?」というような目が笑っていない笑顔であり、それに恐怖感を覚えた悠二の顔は引き攣っている。


 皆の前に茶菓子がセットされると、その女性は静かに修一郎側に腰を下ろした。ちなみに対面するように座っている札月側に、何故かナクルも座っている。もっと詳しく言えば沖長の隣にだ。


(随分懐かれたもんだなぁ)


 ニコニコと嬉しそうに座っているナクル。好かれる分には問題はないし可愛いので気にしないことにする。


「わざわざこちらへご足労頂きありがとうございます。私は日ノ部修一郎と申します」


 最初に口火を切った修一郎を皮切りに、互いに自己紹介し始めた。

 そしてナクルも元気よく名乗ったあとに、最後に気になるあの黒髪女性がペコリと一礼してから、微笑を浮かべたまま口を開く。


「私はこちらで住み込みをさせて頂いております――七宮蔦絵ななみやつたえと申します」


 やはり美人だ。そう思いながら見つめていると不意に蔦絵と目が合う。すると彼女が優しく微笑んだのを見てドキッとし、慌てて目線を切ってしまった。


(マジで綺麗な人だ。きっとモテるんだろうなぁ)


 チラチラと蔦絵を見ていると、脇腹に痛みが走った。見れば何故かナクルが軽くつねっていたのだ。


「えと……何?」

「むぅ……なんとなくッス」


 そんな理不尽なと思っていると、親同士が今後のことについて話し始めた。もちろん葵たちが積極的に質問をし、日ノ部家や古武術について聞いていく。


「心配なさるお気持ちも重々承知しております。何せ学ぶのは武術ですから、気を抜けば当然怪我を負ってしまうこともあります」


 それはどのスポーツもそうだろうが、武術はとりわけ肉体を酷使する割合が多いので怪我の比率だって大きくなる。


「しかしもちろん私が師範として全力で見守り、最大限の注意を図るつもりです。それでも修練の最中でどうしても傷を負うこともあります。そこを沖長くんやご両親にはご理解して頂きたいのです」


 武術なのだから組手とか存在するはず。無傷で修練というのも難しい話だろう。それを理解しているのか悠二は特に問題視していないように見えるが、やはり葵はいまだ心配そうではある。


 親心として子供が傷を負うなんて積極的な気持ちにはならないだろう。けれど沖長としても興味があるので、できればここで世話になりたい。


「……お母さん」

「沖ちゃん……?」

「大丈夫だって! 古武術を習ったら強くなれるし! お母さんも俺が守るから!」


 精神的にはちょっと恥ずかしい言葉ではあるが本心でもある。


「あはは、さすがは俺の息子だな。……なあ葵、この子なら大丈夫さ。見守ってやろう、な?」

「あなた…………分かったわぁ」


 決意を固めたような表情を見せると、修一郎に対して頭を下げる葵。それに倣って悠二も同じようにした。


「どうぞ息子をよろしくお願い致します」


 その言葉に対し、修一郎もまた姿勢を正し同様に一礼をする。


「こちらこそ、息子さんを預からせて頂きます」


 こうして沖長の古武術入門が決まったのであった。





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