七十七話『最強』

「さて、どう来るか楽しみだ」


 切断面を焼かれ体液を流すことなく死んだ怪異たちの真ん中で、天城あまぎほむらはクルクルと異形の刀を弄ぶ。ただれたようないくつもの溶接痕の残る刀身、鞘も拵えも真っ黒に灼かれていた。醜い見た目に切れ味も無いナマクラ。客観的に見れば使い続ける意味はない。が、焔の中だけにはこの刀を振るい続けなくてはならない理由が確かに存在した。


「アイツらが来る前に、掃除は終わらせておこうか」


 刀身に炎が宿る。やがて、溢れ出した一滴の炎は剣先から足元の死体に向かって落ちる。そして、一気に広がる紅が怪異達だけを炎の中に飲み込んでゆく。その光景は怪物の食事によく似ていた。


「相変わらず酷い匂いだ」


 死体が焼け焦げる匂い。怪異を焼くのは人間を焼くのに比べるとマシだが、鼻をつんざく匂いだけはどうにもならないのだ。焼き方を工夫した時期もあったが、結局は無駄な労力を支払っただけだった。


「来たな」


 焔が刀を納めると同時に、炎は火勢を強め、燃え残っていた死体を飲み干すと何もなかったかのように消える。

 刹那、静まり返った森の中に響く甲高い音。木々の影から現れたのはシャフトに穴の開けられた矢。笛の構造を応用して音を出しているらしい。


 左右から曲線軌道を描いて突風と共に迫る矢を上に跳んで回避。跳び上がった焔に向けて放たれる三本の鏢。音をごまかしたのだとしても、焔ほどの歴戦であれば次の手は容易に察しがつく。最小限の動作で弾き、次に来る本命に構えをとる。


「落ちろ!」


「お前がな!」


 飛び掛かる仁の剣槍を受け流し、そのまま吹き飛ばす。追撃の蹴りを入れようとしたところで迫る矢を避け、炎を吹かせることで焔は一瞬で着地する。が、その隙を英士が見逃さない。


「ブーストチャージ!」


「——チィッ。流石、重たいな」


「お褒めにあずかり光栄です」


 刀の背に左手を当てて受け止め、何とかその場に踏みとどまる焔。勢いを完全に殺しきると、刀身を炎で加速させて盾を引きはがす。振るわれる英士の剣を切り返した刀で地に押さえつけ、半ばから踏み折ろうとする。

 が、焔の足を『騎士王の祝福グローリー・オブ・ウィガール』によって展開された盾が押し斬りにかかるのを、大きく後ろへ跳んで回避した。


「こうして刃を交えるのは久々ですね。今の僕は、あの時の様にすぐやられはしませんよ」


「そのようだ。なら、俺相手にどこまで持つか試させてもらおう」


「一撃、入れられても知りませんよ」


 剣戟の音が響き、剣と刀が幾度も打ち合う。ただし、技量は焔の方が上。英士は剣と左手の盾、周囲に展開した十二枚の盾を駆使して何とか拮抗しているに過ぎない。

 さらに、十二枚の盾の方は受け流すなどの複雑な操作は出来ないため、一度攻撃を受ければ砕かれ、再生成に時間と魔素エーテルを取られる。残りの枚数は六枚、次第に追い詰められていた。


「さっきまでの威勢はどうした。攻撃こそ最大の防御、攻めに消極的になれば敵からの攻撃は激しくなるなど分かっているだろう!」


「——くっ!」


 振り上げられた焔の刀が迫る。避けるには体勢を崩されすぎており、防御するしかないが……。


(割られる!)


 直感で残り六枚の盾を斬撃と体の間に割り込ませた次の瞬間、薄氷を割るような音がして六枚の盾が粉砕。六枚の盾が稼いだわずかな時間に左手の盾を構えて、何とか攻撃を受け止める。

 が、盾の表層をすくうように刃が走り、行き場を失った英士自身の力によって盾が弾かれる。

 晒した隙を焔が見逃すはずがない。水平に構えられた刀から繰り出される突き。


(——しまっ!)


 それが英士の身体を捉える寸前、横から割って入った仁のチェーンソーが刀を捉え、刀身を絡めとる。


「させま……ッ!」


「舌噛むぞ」


 離脱しようとする仁に伸びる手。足を掴まれた仁は、そのまま地面に叩きつけられる。衝撃で景色が歪んで、手足に力が入らない。


「仁を放してもらいます」


 迫る剣を避けるため、仁の足を放して飛びのく焔。倒れ伏していた仁を暖かな風が包むと、彼は再び立ち上がる。


(厄介だな。ネージュの姿も確認できていない、ここは場を大きく動かすとするか)


 今は実力差はあれど、戦術によって場は拮抗状態。よって、焔は次の一手を打つ。


転火トランスフレイム——『神殺火かみあやめのひ』」


 短い口上と共に天に現れたのは死体の肌を思わせる青白い炎。続けて地の底から湧き出したそれは、神であろうと生きとし生けるものを焼き焦がす冷たい呪炎。モルテには劣るが、これも死の力の一端を持っている。


「逃げるよ、仁!」


「分かってる! ネージュ、頼む!」


 炎から逃げる二人とネージュがすれ違い、青白い死の顕現へと触れる。その瞬間、青白い炎は跡形もなく消滅した。例え、神を殺すほどの力であっても、超常であるかぎりネージュから逃れることはできない。


「ようやくお出ましか」


 『神殺火かみあやめのひ』によって辺りは焼き尽くされ、剥き出しの地面と空に蓋をする雲が広がる。

 神が力を振るうに相応しい戦場で、灰月仁、ネージュ・エトワール、御門英士は天城焔と対峙する。


「本当は薫の位置まで分かれば良かったが……まぁ、良い。ここからが本番だ。本気で行くから歯を食いしばれ」


 張り詰めた空気は急速に熱を帯び始める。真冬のはずなのにじっとりとした汗がにじみ出るほどに。


転火トランスフレイム——『劫火ごうか』」


 焔の背に現れたのは燃える後光。神殺しの青白い炎とは異なる、業を裁く審判の黒炎。或いは、仏敵を討つ明王の炎。


「二人とも、僕の後ろから離れな……!」


「人の心配よりも自分の心配をするべきだと俺は思うがな——『羂索けんさく』」


 焔の左手から伸びる炎の縄が英士を捕まえ、彼の元へと引き寄せる。そして、放たれる掌底。鎧を半壊させながら、音速を遥かに超えるスピードで英士は吹き飛び地平線の先へと消えた。

 信じたくない、ひどく現実感のない光景だが事実。状況を正しく認識した瞬間におぞけが走り、仁もネージュも体が強張る。


「危険な相手を前にしたからこそ動く必要がある。何もできなければ、自分はおろか仲間の命まで危険にさらすことになるぞ」


 横一文字に迫る刀をなんとか受け止めるネージュ。襲い来る炎は腕で打ち消せるが、それを差し引いても体の芯に響く重い斬撃。竜人ドラゴニュート鬼人きじんすら上回る肉体を持つネージュですら、真正面から五回も受ければ腕が動かなくなる。


「話に聞いた以上に頑丈だな。なら、これはどうだ」


 振るわれる仁の剣槍を避けて、焔の手の中で爆炎が瞬き、目を覆うほどの眩い光が放たれる。


「——ッ! ネージュ!」


 焔は答える暇を与えない。再びの爆炎。ネージュの勘で炎自体はかき消されるが、上へと吹き抜ける爆風は残ったまま。ネージュの力は超常にしか作用しない、超常を起点として発生する通常の物理現象は対象範囲外である。

 視界は殆ど白に染まったまま、耳鳴りが酷く聴覚も役に立たない。そこに一切の情け容赦なく蹴りが側頭部に突き刺さり、ネージュは土埃と共に地面へと叩きつけられる。


「ここまでやって、ようやく気絶か」


 立ち尽くすしか出来ない仁。ほんの僅かな時間で英士とネージュの二人が戦闘不能になった。立てた作戦は圧倒的な戦闘力の前には役に立たず、このままでは一撃を入れることは叶わない。


(勝てる……のか?)


 これまでの相手は針の穴に糸を通すようなものだが、勝利へのビジョンが浮かんだ。だが、目の前の男は違う。他の使徒が世界と言う決められたルールの中で生み出された外れ値とするなら、この存在は規格外と言うのが相応しい。文字通り、次元が違う存在なのだ。

 この世界でただ一人、覚醒した異能と二柱の神の力を振るう『権異混成能力者ミキシングエンフォーサー』。『始まりの一』と『目覚めの五』を同時に操る、それが天城焔という男。


「迷うなよ。死ぬぞ」


 襲い来る突きと体との間に辛うじて剣槍を滑り込ませて盾にする仁。が、衝撃によって吹き飛び、木へと叩きつけられる。

 焔を狙う矢は爆炎によって軌道を逸らされ、空中に生成された独鈷杵どっこしょが発射地点へと飛んでいき爆発する。


「薫!」


「仁、お前で最後だ」


 と、その時、焔を狙って一矢が空を切るが目線すら向けない爆炎によって叩き落とされる。


「天城さん、勝手に倒した気になってもらっては困ります」


「英士と言い、俺の予想以上に強くなっている、か」


 残り少ない矢をつがえ、弦を引き絞る薫。が、足はダメージのせいで震え、狙いは定まっていない。精一杯の虚勢を張って彼女はここに立っている。


「薫、ここは俺に任せてほしい。英士のところに言ってやってくれ」


「ですが、灰月君は……」


「ネージュが目覚めたら合流する。だから、早く行ってくれ」


 言いたいことを全て飲み込んで走り出す薫。その後ろ姿を見送る暇なく、仁は焔と相対する。


「一人で俺相手に渡り合えると?」


「やってみせますよ……それに俺はただ、友達に見られたくなかっただけです」


 焔は後天的に半神となった。自身が炎系の異能を扱うために炎に耐性のある身体を持ち、そこに二柱の神を取り込み、三位一体論の応用で辛うじて安定させている。この技術を生み出すために一体どれほどの人間が犠牲になったのかは知らない方が良い。


 言えることがあるなら、天城焔はこの世界の業の一つであること。そして、業に対抗できるのは同じく業の果てに生まれた存在だけであることだ。


 灰月仁は剣槍を構える。自らの内から湧き上がる血の衝動に身をゆだね、殺戮本能が顔を出す。彼はまさしく人間怪物と呼ぶに相応しい気配を纏いながら、一点の曇りもなく言い放った。


「アンタを殺してでも、俺はネージュが生きる権利を掴み取る」

 

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