六話『開演』

「で、目が覚めるとここに運ばれていたってこと。私が話せることについてはそれで全部。組織の名前も知らなければ、私が何の実験体なのかも分からない。自分でも正直気味が悪いくらいね」


 ネージュは遠くを見つめるような瞳で自嘲すると、少し眠たげに小さくあくびをする。なんというか猫っぽい。


「だから仁が私を見て警戒したのは正しいことだと思うし……ただ殺そうとしたのは少しショックだったけど」


「本当にごめんなさいッ! 怪異かと思うとつい手に力が入ってしまったというか不可抗力と言うか……」


 仁は勢いよく土下座しながら、あの時に衝動に任せてネージュを殺さなかったことに安堵する。危うく人殺しをしてしまうところだった。


 ネージュはソファの上に寝転がると足を投げ出してリラックスモードに突入。今さっきまで警戒心マックスだったとは思えないくつろぎ方だ。どうみても新しい家に慣れ始めた猫である。


「それじゃあ今度は俺が詳しく話す番か。えっと、まずここは『極東帝国』の『新門』って街で、ここはその中の『新門第二高等学校』ってところだな」


「新門というと極東帝国で三番目の大都市ね。発明が盛んで先進技術の巨大な実験場も兼ねている、だったかしら」


「怪異は知らないのにそれは知ってるんだ……」


「必死で覚えたのよ。実験で使いつぶされることだけが私たちを殺すんじゃない、試験で出来がよくないと廃棄処分にされるもの」


「——ぁあ、ごめん」


 ネージュは当然のことのように言うが仁にとっては衝撃的で理解しがたいことだ。組織の命を軽々しく扱うおぞましい姿勢に、心底嫌悪感がわく。


「けど、新門に落ちたのは幸いね。これだけ人の多い所なら紛れ込むのは簡単で見つけ出せる可能性はかなり低いはず」


「街壁の外に落ちれば怪異のエサになってるだろうし。ネージュの運の良さに驚きだよ」


 新門というより世界中の街はすべて壁に囲まれている。外の世界は怪異が生息しているためにかなりの危険地帯であり、そこに落ちればネージュは一日と経たずに食われるか、怪異に間違われて都市防衛砲で跡形もなくなっていただろう。本当にネージュは運がよかったのだ。


「でも問題はこれからのことね。人目に付かない場所を探してそこを拠点に日々の生活を考えるしかないか……仁の言ってた『異端審問所』というのも私を利用するかもしれないし」


「あれ? ここは流れ的に『あなたの家に居候させてほしいの』とかお願いするながれなのでは⁈」


 予想していた展開とは大きく異なり、すごく自立心の強い回答が返ってきたことに混乱する仁。けれど仁の混乱はネージュの言葉でため息に変わる。


「だって仁と一緒にいればあなたの巻き込まれる可能性も大きくなってしまうでしょ? あいつらが人を容赦なく殺すのは分かったはず。間違いなく口封じに殺されることになるから」


 はぁ、とため息を一つ。どうやら仁を心配しての判断をネージュは下したようだ。確かにネージュの心配も分かる。けれどもだ、彼女は他人の心配のあまり自分のことが見えていない。


「ちょっと待て。ほとんど知らない土地で、どうやって生きていくつもりだよ。お金もない、戸籍もないからまともな仕事も就けないだろうし」


 ネージュは立ち上がると工房の扉の方へ体を向ける。その背中は少し寂しそうで、すぐ傍にいるのに仁の手は届かない気がした。


「そもそも私はあの時に死ぬはずだった、いえ、死んだほうがよかったの。私が生きている限り組織の実験で大勢の人が死ぬ可能性がある。それを知って私は自分のエゴのために生きようとしてる。だからあなたを信用しても、巻き込む訳にはいかない」


 ネージュが生きる限り大勢の人が死ぬ。でも、だからと言って大勢のためにネージュが死ななければならないなんてことはないはずで。なのにネージュは生き続けることに負い目を感じている——彼女は正しすぎるのだ。

 だからこそネージュは一人になろうと、孤独になろうとしてしまう。が、そんなことが許せるほど灰月仁は正しい人間じゃない。そもそも彼の人生は始まりから間違いだらけなのだから。


「バカか。そもそも人目に付かないところなんて真っ先に探されるに決まってるだろ。それでネージュが捕まれば結局、大勢の人が死ぬんだ。むしろ普通の暮らしってヤツをしてる方が見つかりづらいはずだろ。だから俺を巻き込め。君はもう十分ひとりぼっちで苦しんだんだ。なら、ネージュには幸せになる権利くらいあるんじゃないか?」


 これを言うのは恥ずかしいし、少し卑怯な気もすると思う。それでも仁は最後のひと押しをぶつける。


「それに、さ。俺の家は誰もいないから寂しいというか……誰かがいてくれるとありがたいというか……」


 ネージュを引き止めるためと言うのもあるが、紛れもない仁の本心。十年前のあの日から仁に家族はいない。だから家族みたいに何かを分かち合える人にいて欲しいと思った、ただそれだけ。要するに仁のエゴ。それでもエゴでもなんでも、誰かが助けられるなら仁は喜んでそのエゴを突き通す。


 ネージュは色んな感情と共に息を吐いた。仁を巻き込むのは正しくないと分かっていながらも彼に自分の味方をしてほしいと、自分がこれ以上孤独な人生を歩きたくないと思ってしまう。

 縋るのが偶然出会っただけの少年だとしても。


(ここで逃げだせば仁は私を追えない。彼を巻き込まずに済む)


 けれど、足は動かなかった。その代わりに言葉が勝手に胸の奥からこみあげてくる。


「そこまで……言うなら」


「じゃあ帰ろう。家まで少し遠いけど」


 その時だった。鼓膜を無神経にかき乱すサイレンの音が響き渡る。


「仁、今のは?」


「嘘だろ、最悪のタイミングで……数年に一度のことだぞ」


「ねぇ、しっかりして仁!」


 仁の顔には焦りの表情が浮かび、呼吸が荒い。混乱しているのは誰の目から見ても簡単にわかるだろう。


「早く、早く逃げるぞ! ここに怪異が来る!」


 仁が街壁の突破なんて状況に立ち会ったことは一度しかないが、言えることが一つだけ。このままでは二人仲良く怪異のエサになってしまうということ。それを防ぐためにはこの区画から脱出するしかない。


「ネージュ、とにかく隣の区画を目指して出発しよう」

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