第27話 散歩と嵐の予感
(散歩と嵐の予感)
美味しいこだわりのコーヒーを飲むと、私と昇さんは涸沢の散策と買い出しに出た。
「あの雪渓まで行くの?」
「今見えている左の雪渓ではなく、もう少し登ると見えてくる右側の雪渓だよ」
「え、やっぱり登るの?」
「登るといっても、涸沢に来る時みたいな険しいところはないから、楽しいよ……」
「本当っ!」
でも、その言葉も一〇分も歩けば嘘だと分かった。
ごろごろした岩場を私は昇さんの後について登った。
テント場から十五分くらい歩くと、なだらかな涸沢カールが広がっていた。
そして、もう少し歩くと……
「ここがそのポイント、素晴らしいだろう……?」
遠くから見ると砂浜と思った白い砂利たちは、両手で抱えるぐらいの漬物石が一面、白く遠くの山まで続いていた。
そして尖った山、弓なりの稜線、そしてまた尖った山、あとはゴジラの背中のようなぎざぎざな山々が並んでいる。
そして、もう少し歩くと真っ白で広大な大雪渓が広がっていた。
「雪渓は滑るから気をつけてね!」と、言ったその場から、昇さんは滑って転んだ。
「だろー、よく滑るから気をつけて……」
笑ってはいけないと思いながら、笑ってしまった。
でも、雪渓の白い雪の中は気持ちがいい。
「おおーい、やまよー!」、私は叫んでみた。
昇さんは驚いて振り返った。
「君は楽しい人だねー、今どき山岳部の女子でも、山びこなんかやらないよ」
「山びこをしたつもりではないけど、ちょっと山に挨拶したくなったの!」
見るからに涸沢を包み込む尖った山々は、仁王立ちして人間の来るのを拒む、岩の巨人たちのように見えた。
私は、もう一度両手を口に添えて大きく叫んだ。
「お、元気、ですかー!」
彼は笑って私を見た。
「こんな映画もあったじゃない、知らない?」
「知ってるー、世界中で有名になったね。君にそっくりだっ!」
「そう言えば、この映画の彼も遭難したのよねー」
「また、遭難……」
昇さんは、呆れて振り返り、先を歩き出した。
「山は、なんて答えたか聞こえたかい?」
「いえ、聞こえなかったわー!」
昇さんは、振り返らずに前を向いたまま言った。
「僕には聞こえたよー、お帰りなさいってね。毎年穂高には来るんだけど、家に帰ってきたような、ほっとした気持ちになるよ……」
「本当の家には帰らないのにねー!」
私も、彼の背中に言った。
「今度会ったら、親に言っておくよー、涸沢に家を建てるようにって……、そしたら、毎日でも帰ってくるから……」
私は、呆れた調子で言った。
「大変な山好きねー、でも、私は山に好かれてないみたい……?」
昇さんは、ここで振り返って、私を見た。
「どうして?」
「私には、何も話してくれないし、怒っているように見えるわー!」
「山も、お姫様を見て照れているんだよ!」
私は立ち止まって、また叫んだ。
「おおーい、山よー、そんなところに突っ立ってないで、こっちに降りてきなさいよー!」
昇さんは、もう一度前を向いて歩き出した。
「降りてきてどうするんだい……?」
そのまま前を向いて、昇さんが言った。
「そしたら、登るのが楽じゃないっ!」
私は言うより先に、恥ずかしくなって小走りで彼を追った。
「穂高もお姫様には敵わないねー!」
雪渓を抜けたところで、私は昇さんの横に並んだ。
「でも私、いまだに山に登る人の気持ちが分からないわ? 何でまたあんなぎざぎざなノコギリの刃のような所に、苦労してまで行きたいのかしら、他にやることないの?」
「え、えー、何でかねー、人それぞれの趣味というやつで……」
「趣味わるーいっ!」
「あ、そう、……」
道はここから下り坂になり、登りのときよりも、ちょっとは楽だ。
「でも、私この風景は好きよー、見ているだけならねー」
「みんな、そう言うよー!」
「やっぱしね……」
彼とそんな発展性のない、空しい会話をしている間に山小屋に着いた。
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