第20話 お伽の国の兎

(お伽の国の兎)


 私は遥さんを呼んで、新しいお客さんを紹介した。


 私も、もっと奥まで案内しようと思ったが、これ以上気持ちが動くのが怖かった。


 私は、また絵のところに戻り、しっくりいかない母の絵を見た。


「これは、どう見ても子供の顔になっちゃうよね。いくら若作りのお母さんでも、ちょっとまずいね……、どんな顔だったかな? やっぱりモデルがいるわよねー」


 私はもう一度携帯の写真を見た。

 天気の良い屋外ということで、液晶画面の写真では、色といい形といい黒ずんでしまって良くわからない。


「これがいけないのよねー」


 私は、テラスの下のテーブルに移動して、写真だけを別の紙に写生することにした。


 しばらくして、あの男がテラスにやってきた。


「いいところだねー、花がいっぱいで、お伽の森の世界だねー!」


 男はテラスの階段を下りて庭に出ると、両手を上げて大きく背伸びをした。


 彼が、お伽の世界と言ったことで私は……

「わかりますー、ウサギさんが出てきそうでしょうー!」


「本当だ、時間がない時間がないー、大変だ遅刻しちゃう、何てねー!」


 彼は庭を小走りしてウサギの真似をした。


 今一瞬、二人の見ている世界がひとつに溶け合った。

 私は、この一言でこの青年が好きになってしまった。


 それから彼は、階段を上がり……

「ここ座ってもいい?」


「どうぞ、疲れたでしょうー、大きなリュックで、『カリマー』ねっ!」


「よく知っているねー、山好きは本当みたいだねー!」


 私は、大きくかぶりを振った。


「ううん、違うの、私も持っているから……、といっても山に登るためのリュックじゃーないわよ。画材やイーゼルやワンチンなんか入れて、旅行するときのために大学に入ったときに買ったの。今回、私も持ってきたわっ!」


「そう言えば、たまに山頂や山小屋でイーゼルを立てて描いている人がいるよー、大きな荷物で可哀そうなくらい……、写真から描けばいいじゃないかと思うけど、やっぱり実際に見て描くのとは違うんだろうねー」


「そうねー、私も写真を見たりして描くときもあるけど、やっぱり写真は写真ねっていう感じにでき上がっちゃうのよー、特に人をモデルにするときは違うわねー、何が違うのか上手く説明できないけど……、多分、彼方も山の写真を撮ると思うけど、自分で撮った写真と同じ山でも、雑誌にでてくる写真とでは、どこか違うんじゃない?」


 私は、何をこんなに一生懸命説明しているのか、自分の心の変化に驚いた。


「つまり、心っていうことかなー、作品の心だね!」


「そう、こころ……」

 この人、物事の心が分かるのかな?


「さすが美大生だねー!」


 彼はじっと私を見ていた。


「こころが描けるほど上手くはないですが、でも写真でしか見られないものもあるから、写真を否定する絶対写実主義ではないけどね。写真にも心があると思うから、それでいて上手くかけないのは、描き手が悪いだけだと思うわ。この写真も上手くかけないのよねー」


「何を描いているの? 妹さん?」

 彼は、私のクロッキーブックを覗き込んだ。


「ちょっと、ちゃんとよく見てよー」


「あ、ごめんごめん。お姉さんだね」


「お姉さんに見えるの?」


 私は、クロッキーブックを彼の目の前にかざした。

 彼の困った顔が面白い……


「え、よく似ているからー、それとも友達?」


「私のお母さん!」


「え、えー、若いんだね……」


「妹に見えるかな? 草葉の陰で喜んでいるわよっ!」


「え、死んだの?」


「ついこのあいだ……、夏休みになったら一緒に旅行するはずだったの……、それもあって、今、記念にお母さんの絵を描いているのよー!」


 成り行きとはいえ、なぜ通りすがりの男に母の話をしなければならないのか。

 ちょっと不思議に思った。

 自分のことを分かってもらいたいためなのか……?


「そう、お母さんの絵なんだ……」

 彼の顔から笑顔が消え、少し真面目になった。


「一緒に旅行しているみたいでしょうっ!」


 私は少し硬くなってしまった雰囲気を壊そうと、クロッキーブックを私の顔の横に並べて明るくおどけて見せた。


「うん、そうだねー!」

 彼も優しく微笑んだ。


「でも、さっきまで描いていたんだけど、携帯の写真だから外に出ると良くわからなくなっちゃうのよ。それで紙に写そうかと思って……」


「でも、色はどうするんだい?」


「そうねー、その辺は携帯を見て描くわ。あまり綺麗に出ないけど……」


「写真、プリントしたらいいじゃないか!」


「プリントって?」


「プリント、写真だよ、紙の写真……」


「カメラでなくても紙写真にできるの?」


「カメラじゃないって、立派に写っているよそれ……」


「だって、これは携帯電話だし?」


「携帯電話でもデジタルカメラと同じだよ。それは……」


 私は、ぜんぜん知らなかった。

 知らなかったというよりも、今までその必要性を感じなかったと言う方が自然だ。

 写真は、携帯電話に貯めて見るものだと思っていた。


「じゃあ、写真になるのね。知らなかった。どうやって写真にするの?」


「そんなのは、カメラ屋さんに持っていけば、好きな大きさの写真にしてくれるよー! 今はコンビにだってやってくれるし……」


「うそ、嬉しい! ぜんぜん知らなかったわ。じゃあ、早速カメラ屋さんに行きましょうー、この近くにカメラ屋さんあるかな?」


「この近くにはないかもしれないけど、街に行けばあると思うよ」


「じゃあ、大至急行きましょうっ!」


 私は彼の袖を引っ張って立ち上がった。


「お、俺も!」彼は、困った顔をした。


「来てくれると嬉しいわ。だって、本当は良く分からないんですもの、携帯からプリントができること……」


 思わず掴んでしまった彼の袖を慌てて離して、少し後ずさりした。


「はいはい、お姫様……」


 一瞬、警戒した私を気遣うように、彼はゆっくり立ち上がった。


「私、その言い方好きよっ!」


      *

 私は彼を誘っているの?

 こんなに胸弾んで……

 何か、何十年も昔から知っている人みたいに……

      *


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