第16話 生きること死ぬこと

(生きること死ぬこと)


その夜、また一人っきりのペンジョンで、でも由加ちゃんはどこかにいるだろうけど。


星の見えるお風呂に入って、お気に入りの肌触りのよいパジャマに着替えて、部屋の大きな明かりは消して、ベットサイドの明かりを一つだけ付けて美晴に電話した。


「美晴、何で人は死ぬのかねー?」


「お母さんのこと……?」


「それもあるけど、人間はみんな、年をとって死ぬでしょう。病気で死んじゃう人もいるし、辛いだろうなって思って……」

 私は、ベットに横になって話した。


「また、幸子のセンチメンタルのメランコリックが始まったー、そっちは涼しいんでしょうー、秋みたいに……」


「良く知っているわねー」


「なに言ってるのよー、あんたは秋になると、いつもそんなこといって落ち込んでいるでしょう。こっちに帰って来なさいよー、今日も猛暑日更新よ。幸子みたいなたわごと考えていたら、すぐに熱中症で、それこそ本当に死んじゃうから……」


 少し声が大きくて耳が痛い。


「そうなんだ……」


「人事みたいに……、よく言ってくれるわねー!」


「美晴も早く、こっちに来なさいよー、涼しいわよー!」


「行くわよー、そっちに行って、幸子をすっぽんぽんの裸にして、ベランダの鉢植えの花と一緒に飾って眺めて暮らすわ。それじゃ甘いわね……、壁に貼り付けてレリーフとして飾るわっ!」


「あれー、眺めるだけでいいの?」


 美晴はいつもエッチな話をして私を誘う。


「それだけじゃないわよー、あれして、これして、ヒーヒーいわしてあげるから……」


「ひーエー! 美晴はいつも元気で幸せそうだねー!」


 急に美晴の声のトーンがもう一段上がって……


「おかげ様で、幸子を反面教師にしてるから、幸子のようになっては駄目だ。幸子のようにならないようにしよう。だから、あんたがどんどん暗く落ち込めば、私は明るく元気になれるのよっ!」


「いったわねー、教師代もらわなくっちゃ!」


 美晴は、もともと小説家志望で絵画も描く。

 それで早くから自分の才能に目覚めた美晴は、大学進学よりも、家で創作にぼっとうするほうを選びたかったという。

 しかし、親が泣いて頼むので、美大に進んだそうだ。

 それだけで間単に美大に入れるのだから、かなりの才女。

 必死に勉強してやっと入った私とは違う。


「それで何だって、死ぬの生きるのっていう話……」


 美晴は一見ふざけているように見えるが、実は私の話を聞いていてくれる。

 そして必ず答えを持っている。


「あれ、あれはその、ちょっと複雑な話……、昨日、ペンションでお年寄りの夫婦と泊まったのよ。年老いて、息子たちも面倒見ないみたいで、老人ホームに入るって言っていたから。それで、もうじき死んじゃうんだって……、それと今日ねー、若いまだ私たちと変わらなくらいの女性が来て、やっぱりもうじき死んじゃうんだって……」


「なんちゅう宿だー、暗い人間ばっかりだなー」

 まだ美晴には言わないが、幽霊さんもいるんだよー、この宿には……


「違うわよー、私死にます。なんて言うお客がいるわけないでしょう。あ、でも若い女性の方は、もうじき死ぬって言っていたけど……、でも、なんで人間はいずれ死ぬのに、これからも生きていかなければならないのかなって思って……」


「幸子は何で生きているのよ?」

「え、私……、そうねー、死なないから、ただ生きているのかな……」

「幸子、正解。さすが無駄にメランコリックしてないわねー!」


「正解って、私は当たり前のことを言っただけよー!」

 正解と言われても嬉しくない……


「それでいいのよ、ただ生きていれば、大阪ではねー、私は大阪出身じゃないけど、生きているだけでまる儲けって言うのよー、生きていれば、生きてさえいれば、そのうち幸せの方が向こうからやってくる、という楽観的な考え方ね。生きること、それは死なないこと。大正解っ!」

 美晴の答えも楽観的だ。


「死んじゃった人は?」


「死んじゃった人は、死んじゃった人よー、どうしようもないわね……」


 私は薄い上布団を足で引き寄せて、その中にもぐりこんだ。 

 少し体が冷えてきたかな……?


「悲しいわね……」


「悲しいけど……、そうでもないかもしれないわよ、お爺さんもお婆さんも死んで、また生まれ変わって来るから……」


「生まれ変わるっ!」どこかで聞いたセリフだ。


「そうよ、人はみんな生まれ変わるようにできているのよ。幸子、馬鹿なあんたでも人間の細胞、おおよそ六十兆個、その細胞が生まれ変わっていることくらい知っているでしょう。生まれ変わるというよりも、入れ替わりね。古い細胞が死に、新しい細胞に入れ替わる」


「馬鹿なあんたは余計だけど、新陳代謝ねー!」


「さすが大学生ー、四文字熟語を使わなくても、常に人間の体は生まれ変わっているのよ。しかし生まれて成長していく以上、必ず終わりがある。永遠 に生きられないように、遺伝子テロメアの部分に組み込まれているのよ。そして一つの細胞が死ぬように、一つの個体も死んでいく……、しかし、また一つの細胞が新しい細胞に入れ替わるように、一つの個体も新しい個体に入れ替わる。つまり生まれ変わりねー、秋に葉を落として枯れたように見える木が、春に芽を出すように、根幹の木自体は変わらない。体を枝葉に例えると、太い幹は命とか霊魂とか魂ねー、多分、幹にあたる命が見えれば年輪が付いているでしょうね……、よぼよぼの体をリセットして、また赤ちゃんの体で生まれ変わるのだから、死んだ人から見れば、喜ばしいことじゃないの……」


 美晴の難しい話が始まった。

 でも夏の夜に気持ちよく寝るための読書のように、私は美晴の話が好きだ。


「死んで、人生をリセットできるなら、みんな自殺しちゃうんじゃないの? 私もリセットしたい!」


「そう思って、死にたい人間は死ねばいいのよ。私は言ったでしょう。細胞は死んで新しい細胞に置き換わるって、体も同じ、今ある体に置き換わるだけ、確かに体から考えれば、リセットかもしれないが、また赤ちゃんになって生まれるのだから、でも命や運命や人生、つまり、さっき話した木に例えれば根幹にあたる霊魂とか魂とか言われているものは、そのまま変わらないのだから……」


「どうしてそうなるのよっ!」


「いったでしょうー、体は、枝葉のようなものって、命という幹は変わらないってこと……、霊魂は不滅なのよっ!」


「やっぱり、幽霊は存在するのねっ!」


「もちろんよー、私は信じるわ。体は滅びても魂は残る。宿命と言われるものもね……、幸子のお母さんも、きっとそばにいるわよっ!」


「うん、私もそう思う……」

 美晴も信じてくれていることが嬉しかった。


「だから、貧乏人は貧乏人、何もしなければ、いつまでたっても貧乏人、お金持ちはいつまで立ってもお金持ち、何もしなければお金持ちってことね……」


「どうしてそんなこと分かるのよ……、今度生まれるときは、お姫様かもしれないでしょうっ!」


「あ、はははー、幸子は絶対ない。今度生まれるときは、やっぱり幸子よっ!」


 美晴のわざとらしい笑い声が耳に付く……


「そんなこと生まれなければ分からないわよっ!」

 腹いせ紛れに、私も語気強く言い返した。


「それが私と幸子の違いね。私には分かるのよ。さっきも言ったでしょう……、体は枝葉のようなもの、幹としての命が変わらなければ、生まれる先の人生も変わらないのよ。幸子には、感じない、この世の中の宿命の渦の中でうごめく魂を……」


「ぜんぜん感じない……」


「幸子は幸せでいいわね。今度生まれ変わったらお姫様ねって、夢でもみていなさい……」


 美晴は、マヤ文明かアステカの巫女になったような大げさな言い方で私に迫った。


「何にそれ、そんなのだったら私にも見えるわよっ!」


「いや幸子には見えない。つまらない男にだまされて、捨てられるくらいだから……」

 私は、着ていた布団を中から蹴飛ばした。本当は美晴を蹴飛ばしたかったが……


「またそれをいうー、あのねー、よく聞いてよねー、私は捨てられたんじゃないわよ。私が捨てたのよっ!」


 最後の方の言葉は喚いていた。


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