第2話 母との電話
(母と電話)
あれが母との最後の電話になってしまった。
今でも信じられない。
「私、帰ろうか? 一週間ぐらいなら付添ってあげられるから……」
「いらないわよ! そんな大事じゃないから、ただの胆石よっ!」
「でも、入院して手術するんでしょう?」
「手術と言っても内視鏡の腹腔内手術だから、おなかに小さな穴を一個、二個、開けるだけよ……」
「でも、入院だからいろいろ仕度もあるでしょうー」
「もう大体は済ませたわ。それにお父さんもいるから……」
「でも、こういうとき男は当てにならないから、女子トイレなんか行けないじゃない。特にうちのお父さんは……」
「まあねー、でも、今は多目的トイレもあるから、せめて自分のことは自分でやってくれれば大助かりよ。あんた、お父さんの世話をしに帰ってくる?」
「そうかっ、私が帰るってことは、お父さんの世話をしに帰るってことよね。やっぱりやめておくかな……」
「あら、それはひどいっ!」
「だって、元気な人を看るほど私、暇ではないし……」
「私もいるじゃない、重病人よ、二親見られれば上等でしょうー!」
「やっぱり側に居て欲しいのー?」
「そりゃあー、あんたでも居ないより、居てくれたほうが、何かと心強いけど、お父さんのこともあるし、でも大学休んで来るほどのことでもないと思うから、遠慮しているのよっ!」
「それはどうも、ご親切に……、あんたでも、というのが余計ですけど、大学は休んでも平気だけど、アルバイトはスケジュールがあるからめんどくさいのよ。でも、これで何か間違って死んだりしたら、一度も見舞いすら来なかったって、死んでも恨まれそうね……、化けて出られても困るわねー!」
「化けて出てやるわよっ、それよりも幸子のお腹から生まれ変わって、幸子の娘になって、今まで苦労かけられた分お返ししてやるわっ!」
「お母さん、それだけはやめて、私はお母さんみたいなじゃじゃ馬娘を育てる自信がないから……」
「言ったわねー、見てなさいっ! 先に死ぬのは、どちらにしても親だからねー、絶対にあんたのお腹から生まれてやって、息もつけないくらいに困らせてやるから……」
「ひえー、それだけ憎まれ口が言えれば大丈夫ね。じゃあ、今回はお父さんに付添ってもらって、夏休みになったら一番に帰るから、どこか旅行しない? 温泉かなんかでゆっくり湯治ができるじゃない……」
「いいわねー! あんた、本当に夏休み帰ってくるの?」
「帰るわよっ! 化けて出られたら困るもの……」
「じゃあ、そうね……、やっぱり夏は信州で温泉よねー!」
「信州、……? そんなの東京から二時間よ。どうせなら、こう北海道とか沖縄とか……」
「本当っ! 連れて行ってくれるの?」
「こんな貧乏学生にそんなお金があるわけないでしょうー、費用はもちろんお母さんもち……」
「あんたねー、あんたが行きたいだけじゃない。やっぱり夏は近場の信州にしようー! 信州の温泉で、上げ膳据え膳で一週間くらいのんびりしたいわっ!」
「でもお父さん、そんなに会社、休めないでしょうー?」
「お父さん、……? 置いていきましょうー!」
「あー、ひどいー!」
それから三日後、父から電話があり、心不全で死んだと聞かされた。
それは手術の日の早朝だった。
看護婦さんが見たときには、もう息がなかったという。
結局、私の心には一生消えることのない、後悔という二文字が深く大きく刻まれてしまった。
もし、あの時、何をおいてでも一目散に帰って付添ってあげれば、安心して手術を受けられたに違いない。
母の言葉とは裏腹に、本当は心細くて心配性の小心者だったのかもしれない。
きっと手術が怖くて夜も寝られず、それがいつしか心臓に負担をかけていたのかもしれない。
今にして思えば、歯医者すら怖くて行けず、歯が痛い歯が痛いと三日も言い続け、そのあまりの痛さに寝込むようになって、ようやく決死の覚悟で出かける母だった。
きっと胆石も、痛い痛いと我慢した揚句の入院だったかもしれない。
私が帰っていれば、側に居れば、今も心臓は動いていたに違いない。
*
お母さん、親不孝な娘で御免ね。
一人寂しく死なせてしまって御免ね。
お化けになって出てきていいから。
お化けでいいから、またお話ししたいよ……
*
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