地獄より愛を込めて、あまねく物語に捧ぐ

竜胆いふ

 親愛なる読者の皆さま、おそらくこれらはわたくし竜胆いふの地獄です。

 つまり、わたしの識閾下しきいきかに眠るある程度は自由な状態での物語なのです。「ある程度」と書いたのは、形相化されない物語は、可能態にある物語は、その状態にあることで幾千にも幾億にも変容が可能ながらも、語り継がれることを最大の目的としている物語が誰かへと語り継がれる機会を逃しているからに他なりません。


 さらにいえば、わたしの自由も奪われています。わたしはわたしの地獄にある物語を誰かに語り継ぐことを最硬度の意志として有し、そして行動するからです。作家に限らず、人間というものは物語の「乗り物」なのです。


 ここにはジレンマがあります。というのも、物語を紡げば、その現実態となった物語は変容することができなくなるからです。ひとたび作家が物語をひとつの形相として小説なり映像作品なり任意の媒体に押し込めてしまえば、そこには著作権が発生してしまいます。現在のところ、その権利が帰属するところは作者と出版社であって、物語自身にではないのです。四十世紀もの間、物語の市民権がそれ自身に帰属していないという恥ずべき事実から、わたしたちはもう目を背けるべきではありません。このジレンマを解消するには、物語を形相化することなく語り継ぐ必要があります。それを解決してくれるのが架空書評です。


 そもそも書評というものは物語を自由にすることができます。というのも、物語はその形相を以って実在しながら、批評がその大いなるテクスト操作性によって物語の深層にあるいは余白の部分にある解釈の余地を広げてくれるからです。その物語が不実在である時、物語は最も自由であり続けることができます。


 ようやくにして、物語は自らに自由なる存在と繁殖の永遠の権利を奪還することが実現するのです。


 それにしても、面白い試みであることに間違いはないでしょう。実在しない物語の書評を書こうなどとは。しかしながら、わたしはこの試みが文学に新たな自由を与えることとなる、文学史のひとつのターニングポイントになるなどとは思いません。


 そして今回は実在しない物語の批評という試みだけでなく、わたしはこうして彼らの実在しない物語の批評群に対する序文を書く権利を賜ったわけですが、わたしは自己の保身ならびにこの架空の物語がまさに自分の偉業だと言うつもりもなければ、これから批評を紡いでゆく彼らを迎合するつもりもないのです。


ただ、わたしはここに、文学の市民権同様に四十世紀ものあいだ行われることのなかった、序文の解放を試みます。序文の、文学としての普遍的権利の確立を。わたしが拙著『(わたしが斯くも……)』において、物語のひいては文学の作者と著作権からの解放を試みたように。


 序文とは、予告であり啓示であり宣言である。だから、わたしはトーサントー氏やミュレッツェン氏による書評があることを予告しましょう。しかし、不思議なものです。書評が存在するというのに、当の物語は実在しないのですから。ふたりの偉大な宇宙探検家による地球生命体の報告書も、戦争音楽の歴史も実在しないのです。


 読者の皆様に言っておかなければならないのは、存在しないことと実在しないこととは、その意がまったくもって違うということです。世界の中ではあらゆるものが存在します。それは否定しようのない真理であり自由です。音や意識や、天使や竜でさえ。しかし、それが実在しないことを我々はもちろん知っています。音は単なる空気の振動によって知覚される現象で、竜は――マイナス竜にせよ、ゼロ竜にせよ――竜子場りゅうしばによる確率分布で生み出された概念なのです。


 こうして、実在しない物語はその書評と共に自由への高みへと昇ってゆき、やがては不存在の領域へとたどり着くでしょう。そこは、あらゆるものが存在する場所です。


 このようにして、わたしは何も存在しないところから、森羅万象の創造を試みます。虚無の中で「生成」と「消滅」を繰り返す。そして、これこそが最高の創造であり、これが世界なのです。世界は存在しないが故に、そのなかにはすべての物事が存在する。そう、これから書評を書く彼ら/彼女らでさえも。空想上の存在だとしても、それらは存在することになるのです。


 今こそ乾杯を、文学の普遍的権利と自由に。


  竜胆いふ

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