2. ご利用は計画的に


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 飛騨川沿いにロードバイクを走らせる。

 周辺の景色は色んな商店が立ち並ぶ市街地から、郊外の様相を露にし始める――住宅地が多くなり、次第にその中に田畑が混じるようになっていく。

 JR高山本線と沿って走るような郊外の国道をのんびりと軽快に走っていく。

 殆ど平坦の快走路を進んでいくと、直に可児市を出て川辺町、そしてそのお隣の七宗町に入った。

 国道沿いに『ロックガーデンひちそう』という道の駅がある。敷地内には特徴的で目を引く建物があって、それは『日本最古の石博物館』であるという。

 

 石の博物館。

 非常に気になる。

 しかも日本最古の、と冠するからには地質学について色々と語られているのかも知れない。


 実に興味がそそられる博物館だが寄っていてはいくら時間があっても足りないということで今回は泣く泣く諦める。

 しかし日本各地に道の駅は無数にあるが、ただの地元の物産館ではなく芯の有るテーマを持った道の駅だったらとても魅力的だと思う。いつか必ず立ち寄ることにしようと心に誓って走っていく。


 道の駅ロックガーデンひちそうを過ぎた辺りから、はっきりと山林と言える領域が増えてきた。

 


 

 前々から明言しているように、私は長崎県の出身である。

 坂の街、と呼ばれるように長崎には平地が少ない。これは長崎市に限らず、諫早平野内に存在する諫早市と大村市以外の長崎県全域に言えることだ。

 

 しかし長年長崎県に住んでいて、県内各地に出掛けてもあまり『山深い』と感じたことは無かった。


 長崎県の最高標高は平成の大噴火で有名な平成新山で1483m。調べたところ各都道府県の最高峰は1500m前後になる場所が多く、然程低い……と言うわけではない。

 

 しかし一方で、――これは私が岐阜に来たからそう思うのかもしれないが――長崎県は山が少ないように感じる。


 坂の街とまで言われるのに、なぜそんな事を言うのか、と思われるかもしれないがこれにはちゃんと理由がある。

 

 まず、長崎県は海が近い県である。

 五島や対馬をはじめとする大きな島はもちろんのこと、佐世保市の九十九島と呼ばれる島嶼域など、大小様々な島も県域とする長崎県。

 離島のことはさておいて、長崎県本土自体も長崎半島と呼ばれる、九州から突き出した形になっている。

 そのため長崎県は、地図上で海岸線から直線距離2km以上離れる場所が無い、なんて事も言われるそうだ。

 つまり長崎県は狭いし山と坂と海だらけなのだが、山と海に挟まれてるせいで、山と山に挟まれている地域が少ないのだ。

 『山深い』と言う言葉が全く当てはまらないのである。

 実際どこか小高い山に登って開けた場所からなら大体海が見える。そういう土地柄なのである。


 一方で、岐阜県は海が無い内陸県である。この時点でもう長崎県とは何もかも違っている。

 岐阜市や大垣市の辺りだと濃尾平野の一部として平坦地が広がるものの、北部――つまり飛騨地方は文字通りの山間部。

 私が向かう下呂温泉は、その飛騨地方の真っ只中にあるのだ。

 なんなら開けた場所から見えるのは海ではなくて、日本アルプスの峰である。

 そりゃ山深いと思うのも無理はなかろうよ。

 実際ロードバイクで国道を進むにつれ、一種のハイキングのような……非日常の空間、山の中へと近づいていく感覚がちらついていた。

 

 古来より山というのは、人々に恵みをもたらす一方で、人々の生活世界とは一線を画す、異界でもある。 

 国道が通っているとはいえ、ところどころ川と山林しかないような場所を走っているときは、そういった非日常――あるいは、異界を傍に感じる、一種の拒絶感のようなものを感じることも、あった。

 

 山深い――深山幽谷。

 異界と異界の間にある小さな此岸と此岸を結ぶ、か細い道を走る。

 現代の舗装された道を文明の利器で走る私がそんなことを思うのだから、古き時代の人々はいったいどれほどの思いでこの道を旅していたのだろうか……。



  

 飛騨川沿いにロードバイクを漕いで行く。

 七宗町を過ぎると、国道41号線は飛騨川の流れに沿って緩やかなカーブを描きながら、山間を進む道となる。

 小さな町。

 町とも呼べないような集落。

 国道は思いの外平坦に近い斜度であった。

 長い時間の果てに、川の流れで削られてできたのであろうこの地形に静かな感動を覚えながら、真っ青な空と飛騨川を眺めながら進む。

 飛騨川は治水こそされてはいるものの、場所によっては多くの自然石が流れの中に突き出ている荒々しい姿と、川幅が広い場所では穏やかな浅い流れの場所を見せている。

 流れが緩い場所では川の中に立つ釣り人の姿が見えた。鮎や岩魚が釣れるのだろうか?

 そういえば岐阜県に引っ越してきて、スーパーでやたらと鮎を見かける気がする。やはりたくさん獲れるからだろうか。こういうのも地域差なんだろうな、長崎では鮎なんて滅多に見かけなかったと思う。


 可児市内で見た青看板では、下呂まで80kmの表示だっただろうか。あまりの距離にうんざりしたものだが、不定期的に現れるそれは残りの距離をカウントダウンしてくれてもいる。

 残り50km表示と49km表示では大して距離も変わってないのに、大きく受け取り方が違って見えたりもするのだから人間不思議なものだ。

 そして人間は不思議であると同時に現金なもので。残りの距離が現実的なものになってくると、途端に元気になってくる。

 

 「残り30? はははイケるイケる、楽勝っスわ!」

 

 そうやって調子に乗って走っていると、ふくらはぎに違和感。

 

 あー、うん。攣りそうです。

 

 残り30ってことは、ここまで50走って来たってことなんで、そこで調子コいてたらそりゃ足も攣るよ。

 山間部ということは、冬には雪も積もったりする。

 チェーンの脱着用のスペースで、休憩してる大型トラックの後ろにバイクを停めて自分も休憩することにした。

 国道を挟んだ飛騨川は大きく湾曲しており、川幅は広く流れも緩やかになっている。鮎か山女魚を狙ってだろうか、膝まで川に入った釣り人が竿を振るっていた。

 釣りなど久しくやった覚えがない。

 攣ったこの俺の足でも鮎が釣れればいいのに。

 塩焼きにすればミネラル補給になってちょうど良い、など我ながらよくわからないことを考える。

 どうやら夏の暑さにヤラれて、脚のみならず頭までイカれてしまったらしい。

 まぁ、残念ながら手遅れなのであるが。

  

 休憩がてらに足のストレッチを行いつつ、補給を行う。

 何度も書いていることだが、経験上補給をケチると後々脚攣りの原因となってしまうので、空腹を感じない程度の間隔で補給食は食べないとロードバイクには乗っていられない。いわゆるハンガーノックというやつで、走行中に意識が遠くなったりすると非常に危険であるからだ。

 ちなみにプロスポーツの中でも、ロードバイクはその試合オンタイム中に飲食を伴うという実に珍しいスポーツだ。

 一時的なダンシング中を除き、自転車というのは基本的にサドルに座っている場面が殆どだ。上半身が激しく揺れることが少ないため、競技中に飲食をしても胃腸への負担が少ないから、と聞く。

 確かにサッカーや野球、あるいはカーリングでもドリンクを飲む場面は多々あるが、サッカー選手がドリブルしながらおにぎりを食べたり、バッターがスイングしながらカロリーメイトを齧っていることはまず見ることはないだろう。マラソン選手も走りながらドリンクを飲むが、固形物を食べたりはするまい。というか、そんなことをしたら普通に吐くことになってしまう(そして吐くというのは、非常に体力を消耗するのだ)。

 逆に言えば、競技中にドリンク以上にハイカロリーな補給をすることができるがため、ロードバイクのレースはより長距離に、より過酷になっていったのではないだろうか……え、マッチポンプ過ぎない?

 

 プロがそうであるならば、アマチュアも程度の差はあれそうなるものである。

 素人に毛が生えた程度の私でもそこそこの経験と準備があれば100km近い距離を越えて温泉地に向かうことができるのである。

 というわけで、改めて出発……。


 出発するんだけど。

 ……補給が、ほとんど残ってませんねぇ?


 真夏の暑さにやられ、回復のために補給食を食べまくった結果。

 カロリーメイトやらヌガ―ナッツやらを食べつくし、ゼリー系も飲み尽くし。


 残ったのが、塩飴二つにペットボトルのドリンクが――1/3?


 日は高々燦々と。

 残りの距離は20km。

 

 …………ちょっと、キツい、かも。


 ヤバいと思い、最寄りのコンビニを確認する。

 無い、無い――あっ!


 あった!

 デイリーヤマザキ下呂小川店!


 ゴールの目前だよ!!!


 ええ。

 これから補給無しで一時間、炎天下を走るの……?

 飛騨川に飛び込んで鮎を手づかみ漁をするほうがよっぽど楽しいかもしれない。


 なんて妄想も捗るが、妄想に逃げたところで現実は変わらない。

 溜息を一つついてロードバイクに跨ると、ペダルを漕ぎだす。

 ガチン、とペダルにビンディングシューズが噛みつく音。

 その音が私を、自転車に――この地獄に縛り付ける音であるように聞こえるのは気のせいだろうか。

 おかしい。

 私は癒されるために下呂温泉を目指しているはずなのに……、いったいどうして……?

 

 最高の癒しのためには疲労困憊が必要だ、などとほざいたのは誰だ? 私だ。

 つまり誰が悪い? 私だ。

 

 マッチポンプの言葉が脳裏に過るのを振り払い、一路、更なる上流に向けて走り出すのだった。 

 


 

 

 

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