32.インフレじゃないってあなたがいったから。

 高島たかしまは丁寧語で続ける。


「先ほどのメニューはカップル限定メニュー。彼氏彼女の関係がいつまでも末永く続いてほしいという思いを込めて作られた特別なもの。それを、偽装カップルで踏みにじったとなれば、それ相応の、罰則を受けて頂きませんといけません」


「罰則……ってどういうことだよ」


「そのままの意味です。懲役一週間か、罰金十万円をお支払いいただくことになります」


「は?え?懲役……?」


 俺が上手く呑み込めずにいると、明日香あすかが、


「ちょっ……ちょっと待ってよ。そんな話聞いたこと」


 高島が言葉を遮り。


「おかしいですね。確かにメニューに書いてあるのですが」


 それを聞いた俺と明日香は、通常のメニューとはセパレートされた、件のキングサイズに関するメニューを引っ張り出し、二人でまじまじと眺める。


 すると、


「…………携帯会社かよ」


「はて、なんのことでしょうか」


 とぼけるんじゃないよ。


 確かに。高島の言う通りだった。メニューの下の方。他とは比べ物にならないくらいの小さな文字で「※カップルの虚偽申告は厳禁です。もし発覚した場合、一週間の無償奉仕もしくは、罰金十万円をお支払いいただきます」と書いてあった。


 くそう。こんなの卑怯だろ。なんでもそうなんだけど、どうしてこう、重要で、きちんと目を通しておかないといけない文言だけは妙に見づらかったり理解しづらいように書くんだよ。詐欺罪に該当しなければ何でも許されると思うなよ。


 と、世の契約書類に対しての文句を叫びたくなったが、今そんなことをしても仕方がない。


 今すべきなのは、


「なあ、お前、アルバイト、なんだよな」


「ああ」


 いつのまにか、いつもの高島に戻っている。


「だったらそんなに厳格になる必要はないだろう。見逃してくれよ」


「うーん。そうしてやりたいのはやまやまなんだがな」


「だったら……」


「だなが、宗太郎そうたろう。考えてもみたまえ。ここで、私が「お客様。それでは虚偽のカップルではないことを証明していただけますでしょうか」と言ってみろ。きっとそこには嬉しはずかし恋人ごっこが繰り広げられるに違いない。それを私が見逃すと思うか?」


「…………端的に言え」


「面白そうだからヤダ」


 やべえ、超殴りたい。メインヒロインなのに。なんだったらこのセカイの超重要人物なのに。なんかのアニメで言っていた、男女関係無くドロップキックをかませるのが真の男女平等なんだと。俺もそれで行きたい。今、非常に。


 が、そんなことをしようものなら、俺というか俺たちの未来は決まったも同然だ。明日からこの店で一週間皿洗いの刑。いやだいやだ。俺はそんなテンプレートな事態に巻き込まれたくない。テンプレートなのはラッキースケベだけで……いや、あれもそんないいもんじゃないか。いいとこないな、テンプレート。


 と、言うわけで、


「……で、どんなことをすればいいんだ?言っておくが、俺だけならともかく、明日香にも迷惑が掛かるからな。とんでもない要求はNG」


「ゴム無しs」


「迷惑がかかるから無しって言ってんだろ」


 ため息。


 ほんとに思うんだけど、こいつはメインヒロインなのか?実はこのセカイを好き放題かき回すだけの、ただのお邪魔虫か何かじゃないのか?


 俺だけでは埒が明かないと思ったのか、明日香が、


「ね、さくら。お願い。私に出来ることなら何でもするから」


 あ。


 いけない。


 その台詞は駄目だ。


 相手に選択権を完全移譲する魔の台詞「何でもする」。


 それを言ったが最後。とんでもないことにしかならないのがお約束なんだ。言いがかりからのセクハラだって範疇になる。


 そんなリミッター解除の合図を聞いた高島はにやっと口角を上げ、


「分かった。まあ、私も鬼ではない。ひとつだ。二人にひとつだけやってもらえれば、このことは不問にして、私のところで握りつぶそう」


 正直、聞くのも嫌だった。


 が、聞かないと始まらない。


 俺は意を決して、


「……で、そのひとつのことってのはなんだ?」


 それを聞いた高島は、それはそれは良い笑顔で、


「キスだ」


 そう言い切った。

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