悲劇Ⅰ

その手を伸ばせない。

 たまたま、だった。


 本当にただただ、たまたまだった。


 俺の席。その隣には空白があった。


 だから、小峯こみねの席がそこになった。


 それだけの話。


 担任は思い付きで、俺を案内役に命名した。


 ブーイングの嵐。当然だ。だって、受験勉強にケツを追い回される、青春の欠片も無い高校三年生というモラトリアムに現れた一筋の光みたいなもんだ。それをたまたま隣が空いていただけのやつに取られるなんて。逆の立場だったら俺もブーイングしてたと思う。


 でも。


「ね、小峯さん。俺、運動部とかにも顔広いからさ。部室とかそういうのも案内できちゃうけど。どうかな?」


 小峯さんは迷っていた。


 だって最初に指名されたのは俺だから。


 そんなことは分かってる。


 だからその“親切な彼”は説得する対象を小峯さんから俺に変えた。


「な、良いだろ立花たちばな。ほら、立花だって暇じゃないだろうし。俺みたいな暇人がやった方が良いって。な?」


 そんなことはない。


 そう言おうと思った。


 君は暇なんじゃなくて、小峯さんと知り合いになりたいだけなんじゃないのか。


 そう言おうとも思った。


 思っただけ。


 口から出てくることは無い。


 脳内でだったらいくらでも反撃出来る。


 でも、それが脳内を出ることはない。


 だから、俺は、


「えっと……小峯さん、はどう?」


 選択を相手に委ねた。


 自分で責任を取りたくないから。


 そんなことは出来ないから。


 自分が任されたんだから、取るななんて反撃は出来ないから。


「えっと……私、は……」


 戸惑う小峯さん。


 “親切な彼”はそれを見逃さない。


「な、いいだろ?ほら、行こうぜ」


「あっ……」


 無理やり。でも優しく。小峯さんをエスコートする“親切な彼”


 今だ後ろ髪を引かれるような表情でこちらを見る小峯さん。


 けれど、何も言うことは無い。


 俺も、言うことは無い。


 何か言えば良かったんだろうか。


 こういうとき、自分が主人公だったらどんなことを言うんだろうか。


 一瞬で好感度をアップさせる魔法の一言が出てくるんだろうか。


 でも、駄目だ。


 だって、俺は主人公でも何でもない。


 俺に、小峯さんは釣り合わない。


 それだけの話。


 大したことじゃない。


 そう、大したことじゃないんだよ。


 自分に言い聞かせて、俺はまた、物語フィクションの世界へと舞い戻る。


 今日も主人公はヘタレと優柔不断と難聴をこれでもかってくらいに発揮させていた。

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