11.そして物語はゆっくりと転がり始める。
相変わらず、と来たか。
つまり、向こうは俺のひととなりが分かっている、ということだ。
これでひとつの仮説が立つ。
彼女は恐らく俺が“死ぬ前”の知り合いだ。
こんなクセしかない、ラブコメのヒロインみたいな知り合いがいたような気がしないのだが、そもそもそのあたりの「記憶」そのものが怪しいので、なんとも言えない。
そして、その仮説が事実であるならば、彼女は俺が求める、このセカイに関する情報を持っているはずで、きっと全ての質問に答えてくれないはずだ。
とはいえ、やっと見えた突破口だ。
俺は意を決して、
「その口ぶりだと、君は俺と、“ここではないどこかの世界”で出会ってる……ってことでいいんだな?」
少女は目をぱちぱちとさせたのち、柔らかい微笑みをたたえ、
「……流石、だな」
「何がだ」
「いや、こっちの話だ……こっちの話だが……そうだな……これくらいはいいか」
「なんだよ」
「
「え?マジで?」
そんなはずはない。
だってそうだろう。なにせ、もう、風景が絵になりすぎている。この出会い方をして、メインじゃないなんてことがあるわけ、
「……明日、高校に、一人の、主人公を慕う、可愛い女子が転校してくる。名前は
「転校……まあ、それなら確かにぽいけど……いや、だって、流石にこれには勝てなくないか……?桜だけならともかく、このサイズって」
「ふっ……」
「いや「ふっ……」じゃなくて……」
少女はあくまでも余裕の表情を崩さずに、けれどどこか寂しさをたたえながら、桜の幹をさすりながら、
「宗太郎なら分かると思うが……世の中にはトゥルールートなんてものがあるだろう?それだよ」
「トゥルールートって、それ、ゲームの話だろ?」
そう。
たまにあるのだ。主人公を操作し、複数のヒロインとの物語で、選択肢を選んでいくうちに一人との恋愛になっていく、恋愛アドベンチャーゲーム。カジュアルな言い方をすればエロゲやギャルゲの世界に。各ヒロインを攻略していかないと進めないルートが設けられている作りのものが。それを人は「真ルート」とか「トゥルー」だとかいう表現をするのだ。
今、彼女は自分のことを、その「トゥルールート」のヒロインだ、と言いたいのだろう。なるほど、それなら確かにこの段階では攻略不可能だろう。だけど、
「それってつまり、この世界はループしてる……ってことでいいのか?」
「さて、な」
「知ってるくせに」
「知ってる。知っているが、それを最初からバラす作品なんかないだろう?」
「そりゃ創作ならそうだうけど、今の俺からしてみれば、これがリアルだからな」
「まあ、なんにせよ、ラブコメを楽しめということだ。なに、宗太郎のことだ。この程度の癖アリヒロインならさくっと攻略出来るだろう?」
「さくっとって……そりゃ仕組みとしては理解しているけど、それはラブコメの話だろ?現実とは」
「宗太郎。ここが現実だと、誰が決めた?」
「そりゃまあ……俺がそう感じてるから……」
「世界五分前仮説」
「……今自分が感じたり、体感したり、感じてきたと思っている世界は、実はその実感も含めて五分前に作られたかもしれないって仮説か。まさか、俺が現実だと思ってることすらも、誰か分からない作り手の書いたお話だって言いたいのか?」
「ああ。現に宗太郎は今、自分の立っているこのセカイを、おぎゃあとこの世に生まれてからずっと歩んできたものとは違うと認識してるんだろう?だったら、そこで起きることがラブコメみたいでもおかしくは無い?そうだろう?」
「まあ、それはそうだが……」
理屈としては分かる。
俺にとっての「本当の」人生はどっちだと思うのか問われれば、間違いなくここじゃなく、無様に死に散らかしたほうだと答えるだろう。理由はない。ただ、直感が、本心がそうだと主張しているのだ。
となれば、今俺が立っているセカイは「誰かが作った仮想現実」とか「生死の境目を彷徨う俺の夢の中」という可能性が否定出来ないし、そうなればそこで起きることがラブコメ的でもなんら不思議はない。
が、もしそうだとしても、
「俺がやってるのはあくまで傍観者だぞ?主人公になって人と接することじゃない。いくら仕組みが分かってるって言ったって……」
それは、言い訳だったのかもしれない。
誰かに向けるでもない、ただただ、自分を納得させるためだけの。
少女は俺にすっと近寄り、そんな言葉を封印するように俺の唇に人差し指をあてて、
「大丈夫。宗太郎なら出来る。だから、ほら。よりどりみどりのヒロインとのハーレムライフを楽しみなよ」
ふっと、はずす。
「……なんかそれ、浮気上等に聞こえるぞ」
少女は「良いことを思いついた」とでも言わん限りに手をぽむっと叩き、
「そうだ。いっそ、ハーレムの重婚ルートでも目指したらどうだ?世の中には一夫多妻制の国だってある。可能だろう?」
「やらんやらん。そもそもラブコメにそんなトンデモな話は」
「ハーレムを目指す作品があったと思うが」
「……あるけど、多分このセカイは違うだろ。だからやらん」
それを聞いた少女はどこか懐かし気な表情を浮かべ、
「……やっぱり、宗太郎は優しいんだな」
「別にこのくらいで優しいとはならんだろ。普通だ、普通」
「そっか。普通か。うん。それならそういうことにしておこう」
二歩、三歩と距離を取る。
静寂。
風が吹く。
満開の、桜の花びらがひらひらと舞い踊る。
「まあ、そんなわけだから。宗太郎は存分にラブコメライフを送ってくれ。それじゃ」
風が強くなる。
桜の花びらが、少女を包み込むようにして渦を巻き始める。
「それじゃって……おい!まだ、お前には聞きたいことが」
お前、という呼び方。
さっきまでは出てこなかった、けれどどこか懐かしい、しっくりくる呼び方。
当の少女は、既に桜の花びらに囲まれて、姿が見えないが、
「大丈夫。またすぐ会うことになる。まあ、聞かれても答えられるかは分からんけどな」
風が更に強くなる。
吹き飛ばされないように必死に踏ん張りながら、
「名前!せめて、名前を教えろ!」
「
綺麗に透き通った、よく通る声。
まるでそれが合図となったかのように、ゆったりと風が弱くなる。
舞い散っていた桜の花びらが、ひとつひとつ、草むらに落ちていく。
やがて、全ての花びらが落ち切り、視界が開ける。
その先、さっきまで高島がいたはずの場所には、何も残っていなかった。
◇
「すっかり遅くなったな……」
気が付かなかった。あるいはもしかしたら、件の桜がある丘だけ、時間の流れが特殊だったのかもしれない。元来た、階段だった山道をゆっくりと降り、交差点にたどり着いた時には完全に日が暮れていた。
こまちからは「今どこにいるの?」という連絡まで来ていた。時間はもう七時を回っている。放課後からなので都合数時間はあそこにいたことになる。そんな感じは全くないのだが、まあ、そんなこともあるかな、くらいの気持ちになっていた。
なにせここまでの一日は「ありえないこと」の連続だ。人間、どんなとんでもないことでも、何度も起きると慣れてくるらしい。
そういえば、外国人が日本に住むと地震に驚くという話をどこかで見たことがある。けれどそれも、ずっと住んでいれば慣れる。そういう話。まあ、俺の場合、本当に慣れていいのかという問題はあるけど。
ともかく、遅くなってしまった。
俺は急いで家まで帰り、玄関の鍵を開け、
「ただいま。すまん、おそくなった」
直後だった。
奥から会話の気配がしたのち、ゆっくりと、
「全く、遅いではないか。折角こまちが大好きな兄の為に夕食を作って待っているというのに。めっ、だぞ」
俺の前。玄関に現れ、腰に手を当てて仁王立ち。
服装……はワンピースではない。軽快なパンツルック。長い黒髪はジャマなのか後ろでひとつに結んでいる。だけど、その不敵な、どこか自信に満ち溢れた物言いは一切変わらない。
「…………そういうことか」
「そういうことだ。おかえり、宗太郎」
「ただいま、
情報はない。記憶もない。ないない尽くし。
けれど、どこか懐かしい。ホッとする光景。
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