Ⅰ.ラブコメ前夜の静けさ

0.物語の始まりはラブコメのごとく。

 物語は非現実フィクションだ。


 現実リアルじゃない。


 誰だって知ってるあたりまえの話。


 それはラブコメだって同じことだ。


 現実世界リアルにはお兄ちゃんのことが大好きなブラコンの妹も、物心つく前から隣同士で、なんだったら小学校に上がってすぐくらいまでは一緒にお風呂に入っていた、可愛い幼馴染の女子も、高校三年生の春なんて不思議な時期に転校してくる、ちょっと不思議な美少女だって存在しない。


 いや。


 違う。


 もしかしたら、そんな夢みたいな現実が、俺の知らないところに転がっていて、ウハウハハーレムルートを謳歌してるリアル主人公みたいなやつがいるのかもしれない。


 だってそうだろ?


 物語は非現実フィクション。だけど確実に、現実リアルに根付いている。どれだけのSFだろうと、荒唐無稽な御伽噺だろうと、そこだけは絶対だ。俺たちが生きている今この現実リアルと繋がっている場所が、必ずどこかに、ある。


 そうじゃなければ、物語が、俺たちの心に届くことはない。まあ、現実リアルにしっかりと根付いているのに、全く何の感情も揺り動かさない、カスみたいな物語だってあるかもしれないけど、それはそれ。作者の技量不足ってことだ。


 物語は非現実フィクションだ。


 現実リアルじゃない。


 誰でも知ってるあたりまえな話。


 それはラブコメだって同じこと。


 そのはず、なのだ。


 なのに、


「あ、やっと起きた。もう、遅刻するよ?」


 今、俺の視界に広がるのは、そんな普通は起こりえないはずの非現実フィクションだ。


 顔を覗き込んでくるのは、立花たちばなこまち。俺・立花宗太郎そうたろうの妹。年齢は今年で十六、つまり高校一年生。今年から俺と同じ高校へと進学した。


 表向きの進学理由は「兄の誘いで見に行った学園祭で感じた学校の雰囲気が気に入ったから」。表向き、というからには裏向きの理由がある。それは「兄・宗太郎がいる高校だから」である。要するにブラコンなのだ。


 もっとも、当人はそのことを否定している。誰に聞かれようとも「別になんとも思ってない」という。なんだったら「朝全然起きてこない」とか、「両親が家にいることが少ないのに、家事を手伝わない」とかそんな散々な評価が飛んでくる。


 が、これに関してもやっぱり裏がある。「朝全然起きてこない」の裏には「毎日きちんと兄を起こしに行っている」という事実が転がっている。朝食の準備もあるのに、である。


 もちろん、こまちに聞けば「そうしないと兄が遅刻する」とかいうそれっぽい理由が出てくるはずだ。


 けど、そんなことを言うならば。もしもツンデレでもなんでもなく兄貴のことなんか全然好きじゃないんだとすれば、目覚ましを妹に任せて惰眠を貪る兄貴のことなど放置してとっとと朝飯を作り、一人で食べ、勝手に出かければいいだけの話だ。と、いうか、本当に仲が良くないのならそうするだろう。


 それでも、こまちはそれをしない。学校がある日は毎日のように律儀に起こしに来る。


 家事を手伝わないという部分だって、ちゃんと理由がある。


 なにも最初からそうだったわけじゃない。


 気が付いたら家事の一切はこまちがやるようになっていただけなのだ。


 その過程だって、俺がやらなくなったというよりは、こまちに家事全般に関わる権限を取り上げられたという方が正解に近い。要は大好きな兄の世話がしたいのだ。だから自分でやられると困る。それが理由。


 けど、それを表向きで認めるのは嫌なので、兄が至らないということに仕立て上げる。まあそんな感じだ。


 めんどくさいといえばめんどくさいけど、そもそもめんどくさくないヒロインはラブコメに登場することはない。性格が内向的な内向的なりの、外交的な外交的なりのめんどくささがある。だってそれが無かったら、直ぐに落ちるチョロインになっちゃうからね。


 まあ、そういうのばっかりのラブコメもあるにはあるけど。ああいうの見ると思うんだけど、君たちは一体何が欲しいんだいと問いたくなる。可愛いラブコメヒロインか、それとも三か月に一回入れ替わる、期間限定のオナペットか。


 話がそれた。なんだっけ……ああ、そうだ。ラブコメ。


 そう。


 ラブコメなのだ。


 俺と妹・こまちの関係は実にラブコメチック……というか、なんだったらエロゲの香りすらする。ゲーム内では無事に恋仲になって、ひと悶着あったところまでを描いたうえで、後は野となれ山となれと言った感じで終わる、実妹を攻略するルートが存在するゲームなんていくらでもある。それも全年齢じゃない。がっつりとアレをソレに挿入するところまで描写するようなゲーム。それに近いものを感じる。


 と、まあ、そんな関係性は紛れもない事実な一方、全くの御伽噺でもある。


 何を言っているか分からないかもしれないが、これが俺の現状を表す最適な一文といっていい。


 俺の記憶には確かに、妹・こまちに関する“情報”がある。それも実感を持って。それだけではない。隣に住む幼馴染だっているし、特段の活動をしない同じ部活動に所属する文学少女の友人だっている。なんとも贅沢な話で、ラブコメのひとつやふたつ簡単に発生しそうな状況だ。


 その一方で、俺の脳裏には“もうひとつの記憶”が併存している。


 断片的なそれは、酷く悲しい、救いのない物語の終わり。


 微かに覚えているのは駅のホーム。そして、減速せずにホームに侵入してくる通過の電車。けたたましいブレーキの音と、ホームにいたわずかな客の悲鳴。それだけ。


 付随する感情は「不安」と「焦燥感」。


 細かなことは思い出せない。ただひとつ、確かに言えることがある。


 俺はその瞬間、間違いなく自殺を図ったはずだ。


 その後どうなったかは分からない。


 ただ、もし、奇跡的に助かったのであれば、この世界がその終わりと地続きなのであれば、ブラコン妹がこんなに平生を保っているはずがない。きっと、もっと取り乱すはずなのだ。


 今分かっていることはふたつ。


 ひとつ、俺は確かに自殺を図ったはずだということ。


 ひとつ、今俺がいるこの世界は、自殺を図った世界とは地続きではない、ということ。


 どういうカラクリなのかは分からない。死後の世界なのかもしれないし、実は今もなお、病院のベッドで生死を彷徨っていて、長く、実に自分にとって都合の良い夢を見ているのかもしれない。あるいは最近流行りの転生物が実は本当に現実リアルとして存在する出来事で、一旦死んで転生し、都合の良い世界で再スタートを切ったところ……なんてこともあるかもしれない。


分からない。


俺は思わず、


「なあ、こまち」


「ん?なぁに?」


「ここは天国か何かじゃないよな?」


 そんなこと、聞いたって答えてくれるはずも無いのに。


 こまちは分かりやすく噴き出して、


「ぷっ……お兄、まだ寝てる?ほら、顔洗ってきて。ご飯、出来てるから」


 それだけ言って、風のように去っていった。


 パタパタとこまちが階段を駆け下りる音がする。


 こまちの反応はあくまで自然なものだ。愛しの兄貴が、起き抜けに「ここは天国か?」なんて言い出したら、寝ぼけてると思うだろう。逆の立場だったら俺だってそうだ。


 でも。だからといって、俺の中にある強烈な違和感が消えるわけじゃない。


 間違いない。俺は確かに自殺を図ったはずなのだ。


 にも拘わらず、俺は生きている。


 偽りの記憶を手にして。


 分からない。


 分からないことだらけだ。


 ただ、ひとつだけ言えることがある。


 それは、


「……設定がベタすぎやしませんかね」


 一体誰に向けたらよいのかも分からない文句をひとり、ぽつりと吐き出した。

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