第三十四話 リリーの特性
アルバ・エンティアが口にしたアウローラ帝国。その名を、フレイはよく知っている――幼い頃から、ずっと。
アウローラ帝国は、この国のとある場所に隠されて存在する、人間たちだけが住まうもう一つの国のことだった。
最初は集落だったと記録されている。アウローラ教団と名乗る人間が集まったその集落は次第に拡大化し、やがて街となり、ついには国となった。教団は教会を作り上げ、アウローラ教と名付けた。そこに属する人間たちは、自分たちのことをアウローラ人と命名した。
彼らは魔法使いへの強い憎悪を持つ。
彼らは言った――魔法使いは神を封印したと。月神は、我らが神を裏切ったのだと。
そして誓った。我らが神――太陽神様をお救いするのだと。
――太陽神様を甦らせるべく、魔法使いを根絶やしにするのだ。
「弾けろブルーベリードロップ!」
幼き記憶を消し去るように、フレイは詠唱を飛ばした。杖から放たれたのは水の玉。それは近づいてきた魔物を吹き飛ばす。吹き飛ばされた魔物は機械にぶつかり、激しい音を立てて転がった。
しかしフレイに次の危機が迫る。いつの間にか足元ににじり寄って来ていた小さな影が、フレイの足に絡みついていた。ぱっくりと開かれたワニのような口が、フレイに嚙みつかんと牙を剥く。フレイは息を呑み、その口の中に杖を突っ込んだ。
「すまない――パインドロップ!」
雷の玉が魔物の口の中に飛び込む。それは黒い影に電流を与える。身体を痙攣させた魔物はその場に倒れ伏した。
「くっ、キリがない……!」
パッと顔を上げると、また次の魔物が迫っていた。熊のような大柄な魔物が覆いかぶさるようにして飛び込んでくる。その背後で羽ばたきを見せ、空を飛ぶのはリリーだ。彼女はもう、アルバに操られるままにフレイに遠くから魔法を放っていた。近寄ることさえできない。近寄ろうとすると、他の魔物がフレイの進路を塞ぐ――目の前に迫った大柄の魔物が、口から炎の波動を発した。咄嗟に近くの機械の陰へと飛び込み、フレイはその魔法を躱す。
(だめだ、リリーちゃんに声をかける暇さえない……他の人たちを何とかしないと……!)
逃げているだけではこちらの体力が削られるだけ。だがフレイは、襲ってくる魔物を絶命させる魔法を放つことはできなかった。
「おや探偵さん、かくれんぼかい? いつまでも保つかねえ」
自らをアウローラの民だと名乗り、太陽石を使って魔物を操るアルバがくつくつと笑う。彼女の足音が迫って来る。それに合わせ、じわじわと魔物の気配も近づいて来た。フレイは冷や汗を流しながら、機械の陰からリリーへと目を向ける。
アルバがフレイを襲い始めて、何分が経過しただろうか。その間、フレイは気づいたことがあった。
リリーの持つ特性だ。魔物化したリリーはフォルクスに特殊な魔物、と言われていたが、確かに彼女には他の魔物とは圧倒的に異なる能力が存在していた。それは彼女がフレイに、触るな、と言ったことと深く関係していた。
視界の先で、羽を広げたリリーが大柄の魔物の肩に乗る。するとその途端、魔力が濃く色づき、熊から発せられる瘴気がより多くなった。
――そう、リリーは。魔物の力を持ったこの少女は、触れた魔物に魔力を与えることができるのだ。
それだけではない。そのことにフレイが気付いた瞬間、補足するようにアルバが言った。
『リリーはねえ、触れた魔法使いを魔物化することもできるんだよ。彼女は太陽神様に愛された子だ。太陽神様の魔力を受けてもなお灰とならず、魔物となって他の魔法使いを同類にする。しかも、魔力をうまく操れば、人間の形にし、人間のふりをさせることもできる! 素晴らしい力だと思わないか!』
――クレイス家の執務室で、フォルクスは告げた。
カルム村の村民の半分が行方不明になっていると。そして、特殊な魔物が現れた被害場所でも、居合わせた大半の者が行方知れずになっているとも。
フレイは瞬時に理解した。理解してしまった。
行方不明となった人たち。彼らは、リリーによって魔物化させられていたのだ。そしてリリーと同じく、アルバよってここに集められ、太陽石で操られている。
(なんとか、彼らを戻す方法はないのか……!)
だからこそフレイは、ここにいる魔物に致命傷となる魔法を与えられなかった。与えることができなかった。
人殺しはしたくない。彼らだって被害者なのだ。
「っ……!?」
その時、頭上に影がかかり、フレイは再び飛び退いた。降ってきたのはリリー。機械を破壊し、壁に激突する。ふーっ、ふーっと荒い息を吐き出す姿はまさに獣だ。戦わなければ、こちらの身が危ない。
それでも――フレイは、彼女が苦しんでいることを知っていた。フレイとレイシスを魔物にしないように声を上げ、泣いてフレイに助けを求め、そして魔法に瞳を輝かせ、笑顔を見せてくれる子だと知っている。
こんな形で、こんな幼い命を失わせるなんて、絶対に嫌だ。
「リリーちゃん! 俺だよ、フレイだ! 目を覚ましてくれ!」
――キシャアアアアアッ!
「無駄だよ探偵さん。その娘はもう、ただの獣だ」
「違うっ!」
否定する。認めない。
何故なら彼女は、彼女の右手にはまだ、フレイがあげた赤いペチュニアが握られていたからだ。大事に、離すまいと。彼女の中には、リリーとしての意思が残っているはずだ。
「君も諦めが悪いねえ。ねえ探偵さん。もしも君が我らに協力してくれるのなら、その命、助けてやってもいい」
「断る!」
間髪入れずにフレイは叫んだ。杖をアルバに向ける。
「お前たちのところには、絶対に戻らない」
「へえ……リリーを戻す方法を教えてやる、と言ってもかい?」
「なっ……」
それはアルバの罠だった。頭の中ではわかっているはずだったのに、フレイはつい、動きを止めてしまった。
魔法が迫る。大柄の魔物が放った風の魔法だった。慌てて身体を捻るも避けきれず、鉤爪で引っ掻かれたような痛みがフレイの脇腹を抉った。
「あぐっ、ああああっ……!」
気絶しそうなほどの痛みに喉から声が出る。力が抜け、膝から崩れ落ちた。脇腹を抑え、うつ伏せに倒れる。
どくどくと心臓が音を立てる。その振動に合わせるように熱と痛みが身体中を駆け巡る。視界の端で広がっていく血が見える。まずい、と脳が警告を鳴らした。失血死してしまう。
歯を食いしばり、痛みに堪えながらフレイは肩から下げていたショルダーバッグを傷に押し当てた。
「ほう、まだそんな体力が残っているなんてね。まあいい、貴様はもう終わりだ」
低い声が降って来る。ずんずんという重い足音が迫る。奥歯を噛み締めて身を起こそうとするが、痛みに身体が動かない。
肌が粟立つ。耳鳴りが危険を知らせる。必死になって抗い、顔を上げたフレイの視界を覆うのは黒い影。振り下ろされる両腕は容赦なく頭に落ちる。衝撃にフレイは目を瞑った。
――瞬間。
「赤く爆ぜろっ!!」
空気を震わす鋭い魔法が、フレイの頭上を掠めた。
はっと瞼を開くと、赤い炎が魔物を包み込んでいた。絶叫を上げ、倒れ行く影。その身体を踏み潰し、舞い降りた背中はよく知っている。取れたフードから覗く髪は雪のように白く。右手に振られた、カロットと名付けられた大剣が、美しい炎を纏っている。
痛みで声は出なかったが、唇の動きだけで現れた友の名を呼んだ――ネジェ。
「フレイ!! きみは何をしているんだ!!」
友は振り返ると同時に、声を荒げてフレイを叱咤した。赤い瞳は激しく揺れ、フレイの身を案じている。ネージュの怒った顔は見たことがあったが、ここまで激怒した表情を見るのは初めてではないだろうか、と痛みの中で考える。
呆然としたフレイは、しかしネージュの背後から迫りくる影を捉えた。目を見開き、掠れた声で叫ぶ。
「ネジェ! 後ろっ!」
「黄色く走れ!」
振り向きざまにカロットが振られる。迸る雷を、飛んできたリリーが避ける。旋回する影を睨みつけ、ネージュは走り出す。
その背後を支えるように現れたのは二つの影――クレイス家の当主と、その洋館で働く執事長だった。
「ネジェ、気をつけろよ」
「私が援護しましょう。フォルはここに。ネージュ、その子を誘導してください」
「ああ――フレイ! そこにいろよ! ナズナ、そいつを頼む!!」
「うんっ!」
鈴のような、跳ねた声が背中から聞こえた。
ハッとフレイは息を呑む。
痛みで振り返ることはできなかったが、そんなフレイの前に、彼女は現れた。
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