第二十九話 ナズナの選択

「そういえばネジェ。フォル様になにか用でもあったの?」


 ようやくネージュの愚痴に区切りが見え始めた頃、ナズナは途中から気になっていたことを問いかけた。

 はたと、思い出したかのようにネージュは話を止める。ロッキングチェアで耳を傾けていたフォルクスを見上げた。


「そうだった。俺はフォルに呼び出されたんだ」

「え? フォル様が呼んだんですか?」


 ナズナがフォルクスに聞くと、彼は頃合いかと、膝の上のガイドブックを閉じた。書棚に戻し、ナズナとネージュを交互に見る。


「ちと話が合ってな。来年の話なのだが、毎年新年にコズモス地方に挨拶に行くだろう? 各地方の領主が集まる会合だ。そこに『月の子』が呼ばれた」

「えっ!?」


 ナズナとネージュは同時に声を上げた。顔を見合わせ、フォルクスを凝視する。

 現在の王が住むコズモス地方は、ジュピターから北へ、海を渡った先にある。そこで定期的に、各領主が一度に集う会合があるとはナズナも耳にしていた。フォルクスは嫌そうにしながらも、毎年ルナールに連れられてその会合に参加していた。ネージュも行ったことがあるはずだ。

 けれど、ナズナは毎回留守番だった。理由を聞けば、王がまだ呼んでいないからだと。呼ばれたときが、コズモス地方に移転する時――つまりは代替わりをする時だと、ルナールは説明した。

 突然の話に、胃の辺りがきゅっと痛くなった。右手で抑える。心臓が静かに、けれども鼓動を速める。

 一気に顔色を悪くしたナズナに、フォルクスは安心しろ、と強く言った。


「まだ代替わりをするわけではない。一度、皆に『月の子』を披露したいと、そういうお考えらしい」

「披露……」

「ああ。他の領主はまだナズナの姿を見ていないからな。次の王を知ってもらおうという話だろう。それだけだと現王は言っていた。だから大丈夫だ、まだ、あの地へは移動せん」


 安心していいのか、それとも王女となる運命に近づいてしまったと嘆けばいいのか。ナズナは震える息を吐きだした。

 その運命を背負うには、ナズナはまだ幼く経験がない。受け止めないと、と思いながら生きては来たが、いざその時が近づいているという事実を突きつけられると、受け止めたくない心があった。


「でも、いつかは行くんですよね……心の準備、しておかないと」

「まあ、そんなに焦るな。その時が来たら、『月の子』という運命にも自然と向き合えるようになるさ。心配せず、力を抜いているといい」

「はい……」


 ナズナは膝の上で両手を握った。フォルクスの言葉はいつもナズナを励ましてくれるが、やはりそう簡単には割り切れない。その時というのは、本当に来るのだろうか。


「それで、どうしておれも呼んだんだい?」

「あぁ、そうだった。会合に向かう際、ネジェにはナズナの護衛を頼もうと思ってな。ネジェもいずれ、俺の後を継ぐ。それを踏まえて、領主としての役割をそこから引き継いでいこうと考えている」

「へえ……」


 ネージュはというと、フォルクスの言葉に腑に落ちたような、それでいて現実味を感じてはいないような、吐息にも似た声を落としていた。

 ナズナは彼の横顔を見た。領主への道を進むネージュに、不安はないのかと。堂々としているその姿は、何を考えているのかわからない。同い年なのに、ナズナよりも大人びてる幼馴染に、ナズナはすごいなあという単純な感想を抱く。


「で、それだけじゃあないんだろう?」


 と、ネージュが突如そんなことを言い出した。

 ナズナは目を丸くする。対照的に、フォルクスは微笑を返した。


「ああ、その通りだ。誰かから聞いたのか?」

「きみがおれを部屋に呼ぶ時は、よほど大事な話がある時だからな。コズモスに行く話は、夕食の時にでもできたはずだろう?」

「はっはっは。この洋館にいるとわかってしまうか……どうしたものか」


 困ったように肩を揺らしてから、フォルクスは笑みを小さくする。

 部屋の中の空気が変わったような気がした。真面目な話だと、ナズナは瞬時に理解した。

 ルナールがナズナに『月の子』の話をしたときも、こんな空気だったと覚えている。あまり好きではない温度だ。


「アウローラのことを、ナズナにも教えておこうと思ってな」

「アウローラ……!」


 ナズナが初めて聞く単語に、反応したのはネージュだった。バッとソファから身を乗り出し、零れんばかりに目を見開く。赤い瞳が不穏な光を纏った――いや、それは光ではなかったかもしれない。暗く淀んだ、闇に似たものが瞳の奥底から浮かび上がっていた。鎮座していた負の感情が表へ出て来てしまったかのような。彼の赤はそんな色をナズナに見せる。


「……いいのかい? 知らん方が、いいことも……」


 絞り出した声が、フォルクスに問う。慎重に、それでいて否定じみた声色が、ナズナに鼓膜を撫でる。

 先ほどとは違う不安が喉に這い上がって来た。なんだろう、それを聞いてはいけない気がした。でも、聞かなければいけない気持ちにもなった。

 ナズナは唾を飲み込む。

 ネージュの問いに頷きを見せたフォルクスの視線が、ナズナに移された。


「ナズナ。これから、この国にまつわる大切な話をする。お主の、今後の在り方にも関する話だ」

「わたしの、在り方……」

「まずはことの成り立ちから話そうか。ナズナ、魔物は何から生まれるか知っているか?」


 急に魔物の話をされ、ナズナは戸惑った。アウローラ、という名前と関係があるのだろうか。

 しかし質問を返すような空気でもなく、ナズナは思考を巡らした。


「確か……太陽の魔力から生まれるんでしたよね」


 レイシスの言葉を思い出す。

 魔物はもともとはただの生き物だった。その生き物が魔力暴走を起こし、異形化したものが魔物だ。黒く影のような見た目をしていて、赤い瞳を持つ。そして、ただの生き物をそんな姿にさせているのは、太陽の魔力が原因だった。


「その通りだ。それは暴走した太陽と同じ。無差別に人と魔法使いを襲う。そこに人のような知能はない」

「そう、聞きました。それに、魔物は元の姿には戻せないって」

「ああ。してナズナ、その魔物はどうして減らないのか、知っているか?」

「え……?」


 再び問いかけられた質問には、ナズナは答えられなかった。


「……わかりません。魔物が子どもを産む……わけじゃないんですよね」

「そうだな。そのような魔物もいるかもしれんが、それだけじゃない。理由は二つある。その一つ目が――ヴィーネス地方の事件だ」


 ふと、フォルクスが口にした事件に、ナズナは彼を見上げた。先ほど、ガイドブックで見た文字が頭に浮かぶ。


「魔法石が破壊された事件……?」

「ああ、それだ――七つの地方のうちの一つ、ヴィーネス地方は十一年前に魔法石を破壊され、太陽の地となった」


 そしてそこは、ネージュの故郷でもある。

 ネージュの瞳もフォルクスを映したが、彼は何も口にしなかった。


「ってことは、もしかして今いる魔物は、ヴィーネス地方から出てきてるってことですか?」

「俺たちはそう推測している。ヴィーネスの隣に位置するマース地方が一番魔物の被害が多いしな。そう考えれば、魔物が減らない理由にも説明がつく。ヴィーネスは、いまだに太陽の地だ」

「でも、今は魔法壁があって、中には誰も入れないし、外にも出られないんですよね? 人も動物も。それなのに、まだそこで魔物は増え続けているんですか?」

「ナズナは賢いな。その疑問は正しい。一時期増えてはいたが、今はもうヴィ―ネスから魔物が出たという報告は上がっていない」

「……? じゃあどうして、増え続けて……?」

「そこで二つ目だ。……魔物を生み出している存在がいる」


 不意にフォルクスの言葉が硬くなった。

 ナズナは彼の言った意味が理解できず、小首を傾げる。


「生み出している、存在? 太陽じゃなくてってことですか?」

「そうだ。俺たちはその者らを追っている」

「その者ら……一体、誰なんですか」


 フォルクスがネージュを見た。どこか、憐れさを滲ませた表情で。


「人間だ。ヴィ―ネス地方を滅ぼした“人間の集団”――彼らは自分らのことを、アウローラ人だと呼び、そう名乗った」

「アウローラ、人」


 繰り返す。アウローラ人。ヴィ―ネス地方を滅ぼした、人間たち。

 その存在のことを伝えられても、ナズナにはやはりピンと来なかった。

 ヴィ―ネス地方を滅ぼした集団が、魔物を生み出し増やしているということは、なんとなく理解はした。だが、その理由がわからなかった。


「その人たちは、なんで、人を傷つけてまで……」

「さあな。あいつらは頭がおかしい連中なんだ。太陽が神だの、月神は悪だの、意味がわからん。そんな奴らにおれの故郷は奪われたんだ」


 苛立ちよりももっと深く濃い、憎しみを込めた声で、ネージュが言った。赤い瞳は燃えるようで、同時に濡れているようにも見えた。

 フォルクスが補足する。


「アウローラ人は太陽を神と信仰する、宗教団体だ。俺たちは過去、ヴィ―ネスの月の魔法石を壊した者を捕らえた際に、彼らの存在を知った。が、そやつらの居場所、住居、目的などは不明。ほかにも何人か捕まえてはいるが、口を割る者はいなかった」

「その、捕まえた人たちはどうなったんですか……?」


 恐る恐る、ナズナは訊ねた。こういう時の好奇心は身を亡ぼすと、脳が警告をしたが、訊かずにはいられなかった。

 どうか、最悪の答えは返さないでほしい。そう、願いながら。


「その質問を待っていたぞ、ナズナ。俺は、このことをお主に伝えておかなければと思っていたのだ」


 しかしフォルクスがナズナの期待に応えることはなかった。

 彼はナズナの問いに、抑揚のない声で、言った。


「俺たちが殺した。アウローラ人はみな、死刑になる」

「し、けい……」


 一瞬、息を吸うことを忘れた。重い言葉が落とされた部屋は、異様なほどに静かに感じられた。


(ネジェたちが、人を、殺した……?)


 遅れて、ナズナは言葉を意味を理解した。しかし、だからといって、クレイス家が、フォルクスが、ネージュが、人を殺しているとは、すぐには信じられなかった。

 いや――信じたくなかった、が正しいかもしれない。

 けれど……思い返してみれば、いつだって魔物退治に向かうネージュは、ネージュたちは、覚悟を決めるような目つきをしていた。

 それは怪我や危険を覚悟していたわけではなかったのだろう。あれは死と、死に向き合うことを覚悟していたのだ。


(……ああ、そっか。だから――)


 ナズナは、今になってわかった。

 だからクレイス家の皆は、頑なにナズナに、魔物退治について詳しいことを話そうとしなかったのだと。連れていけないと言ったのは、ナズナが危険な目に遭うからだけではない。ナズナに死を見せないようにしてくれていたのだ。殺される人と、殺しをする仲間を見ないようにと。

 これは彼らの気遣いだ。同じ洋館に住んでいる者が殺しをしていると知ってしまったら、ナズナは絶対に恐怖を抱く。抱いてしまう。


(でも。だけど)


 ――それだとナズナは、ネージュたち仲間にはなれない。そんな想いが、ナズナの胸に湧き上がった。

 ここで彼らの気遣いを受け入れることは、間違いではない。わたしには関係ないと、聞かなかったことにしても、フォルクスは責めたりしないだろう。彼は今、その選択肢も用意してくれていた。いつもはナズナの行動を制限し、『月の子』としての振る舞いを強要するのに、彼はこういうときだけナズナに判断を委ねるのだ。どうする、と。

 金の瞳が、問いかけている――ナズナ、好きに選ぶといい。お主はこれを聞いて、どうしたい?


(フォル様……あなたは、優しい)


 逃げられない運命の代わりに、彼が用意してくれた逃げ道は、暗いこと、怖いこと、すべてから目と耳を塞いでいいのだと言う、彼なりの優しさだった。運命に向き合いながらでも、できるだけの自由を与えてやりたいという、彼の想いが込められている。

 それはとても嬉しいものではあったが――そんなものはいらないと、ナズナは思った。

 そんな優しさなら、いらない。

 何故ならナズナはずっと、ネージュたちが背負っている闇のようなものを共有したいと思っていたからだ。例え、彼らに恐怖を抱いていたとしても、その恐怖さえも、彼らとともに乗り越えたい。

 だから――


「フォル様……いいえ、フォルクス様」


 名を、呼ぶ。領主の名を。現実を話してくれた、クレイス家の長の名を。

 いくつもの選択肢を提示し、選択の自由を与えてくれた、父親にも似た存在。そんな彼の想いを受けて、ナズナから溢れた言葉は、一つだけ。


「ありがとう、ございます」


 まさか、礼を言われるとは思っていなかったのだろう。フォルクスではなく、ネージュの方がパッと顔を上げ、瞠目した赤にナズナを映した。その目を一瞥して、静かにナズナを見やるフォルクスに視線を戻して。

 ナズナは再び、今の自分の選択を告げる。


「話してくれて。教えてくれて、ありがとうございます。わたしは何も、知りませんでした」


 知らないこともある方がいいと、ネージュは言った。きっとそれも、ネージュが与えてくれた選択肢の一つだ。

 しかしナズナはそれを選ばない。ここを離れるとしても、知らないままでいたいとは、ナズナは思わない。


「教えてもらってよかったです。何も知らないまま、ネジェたちに魔物退治をさせているのは、やっぱり嫌だから」


 魔物だけでなく、時に人をも殺さなければならないという行為を彼らだけが抱えているのは、どうしても胸が苦しくなるのだ。その苦しさを、共有させてほしい。今のナズナには、それしかできない――否、それがしたいから。

 自分の選んだ道を、想いを、余すことなく言葉にすると、フォルクスは柔らかく目を細めた。


「それが、お主の在り方か」

「そう、なのかもしれません。逃げるより、立ち向かう方を選びたい」

「そうか……強く、なったな」


 感嘆と共に、フォルクスは笑った。心の底からの声だった。

 ナズナはその言葉に、ゆるりと首を振る。


「そんなことないですよ」


 ナズナに比べたら、魔物やアウローラ人という敵と戦い、ジュピター地方を守っているフォルクス達の方が、もっと強い。ナズナはただ、そんな皆の隣に並ぼうと必死なだけなのだ。

 あとは……もう一つ、強くなろうと思った理由があるとするならば、会いに来るという依頼を受けてくれた、彼のおかげだ。まっすぐな意思を持って、自分の決めた道を歩く彼がかっこよくて、やはり近づきたいと思ったから。

 ナズナに、追いかけたいと思わせてくれたクレイス家と探偵に、小さく感謝を述べる。


「ほんとうに、ありがとうございます」

「……きみは、怖くないのか?」


 不意に、そう問いかけてきたのはネージュだ。顔色を窺うような、彼の方が何かを恐れているかのような瞳が、ナズナを映す。

 驚いて顔を上げたナズナは、不安げな彼を見て、堂々と答えてみせた。


「怖くないよ。だってネジェたちは、守るためにそれをしたんでしょ。だから、怖くない」

「……おれが、殺したんだ。人を」

「うん……」


 呆然としながら、吐き出すようにネージュは言った。その、重く乗りかかるような告白をナズナは受け止める。受け止めて、胸を痛めて。それでも、怖くないと返した。

 でも、だからと言って、それが善かどうかまでは判断はできなかった。

 だからナズナは受け止めたうえで、一つ、本音だけは零す。


「……でも、でもね。もう、殺してほしくない、とは思う」


 すると、フォルクスが声を上げて笑った。空気を変えるかのようだった。


「ははは、それは正常な感情だ、ナズナ。お主が人を殺してもいいなんて言ったら、俺はどんな顔したらいいかわからん」

「ああ、確かにな……きみは、そのままでいてくれ」


 願うのような友の声に、ナズナはもちろんと頷いた。


「わたしはこのままだよ。……だけどさ、ネジェたちの隣には並ばせてよ」

「……変な奴だ」


 強張っていたネージュの顔から、ふっと力が抜ける。

 いつもの表情に戻った彼に笑みを零しつつ、ナズナは変でもいいじゃん、と口を尖らせた。ネージュが再び、変だと笑う。先ほどよりも明るくなったその声音に、冷たくなっていた空気も和らいだ。

 普通とは違う運命を背負ってしまったけれど、健気に育っていく二人を、フォルクスは目を細めて眺めていた。

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