ファルナの国の物語【第一幕完結】

宇佐美ときは

第一幕 月の子と太陽の遣い

プロローグ

第零話 国の英雄

 一人の魔法使いが、暗闇に佇んでいた。

 遠くからは悲鳴が聞こえてくる。轟音は、何かが爆発した音だろうか。

 城の、奥の奥。窓も蝋燭もない部屋の中で、黒のローブを羽織った魔法使いの男は助けを求める声を背中に感じながらも、じっとその場から動かずにいた。

 焼ける匂いと血の匂いが漂ってきている。

 ふいに、床に描かれた模様が淡い光を放ち始めた。

 魔法陣――そう呼ばれた模様に、男は魔力を注いでいた。

 ガチャリという音と共に、部屋に誰かが足を踏み入れたのはそのときだ。

 風が吹き込み、男の黒髪を揺らす。集中を切らさないまま軽く振り返ると、入ってきたのは薄い白の衣を身につけた銀髪の女だった。

 女は鈴のような凜とした声で男の名を呼ぶ。


「マイルズ」


 男――マイルズも、返事をするように女の名を口にした。


「フィオル。来たのか」

「ええ。外は酷い状況よ。町のみんなが助けを求めて押しかけてる。避難場所をここにするのはいいけれど、全員が入れるわけじゃないわ」

「わかっている。すぐに結界を作るさ――空を覆えるほどのな」


 マイルズはフィオルに頷くと、金の瞳を魔法陣に戻した。

 隣に、フィオルは並ぶ。腰まで伸ばした銀髪を背中の方に流して、彼女は小首を傾げるようにしてマイルズに寄り添った。蒼い瞳に憂いを覗かせ、息を吐くように言葉を落とす。


「ねえ、どうして。どうして太陽は、暴走してしまったの」


 それは、問いかけというよりは嘆きに近かった。悲しみと、悔しさに顔を歪ませ、フィオルは睨むようにして宙を見つめている。

 マイルズは間を置いて、首を横に振った。


「わからない」


 ――どうして太陽が、人間と魔法使いを焼くようになってしまったのか。


 現在、この城の外では、町が燃えていた。城を囲む塀や木々だけでなく、町民の家々、それから人の肌も。炎に包まれ、町は混乱に陥っていた。

 その原因は、空に昇った太陽だった。

 この国――ファルナ国の人間と魔法使いは、太陽と月を神として崇めている。

 太陽は昼を司る神。月は夜を司る神だと。人間は太陽から生まれ、魔法使いは月から生まれた。そのような言い伝えさえある。

 昼に太陽が昇り、夜に月が昇る。当たり前の生活だった。なんの疑問も持たなかった。それなのに、突然、太陽は地上を焼き始めた。

 原因は不明。

 人間はこれを太陽神の怒りだと嘆いた。魔法使いは、これは太陽の魔力暴走だと叫んだ。

 炎と悲鳴は瞬く間に広がり、国全土が危機に陥っている。このままでは人間と魔法使いだけではなく、動物や植物までもが全滅してしまう。

 マイルズは無意識に顔を強張らせると、拳を握った。


「私が絶対に、この国を守る」


 いつの間にか、魔法陣は眩いほどの光を宿していた。円を描く輪郭の上に、七つ、物体ができている。形は菱形。色は虹色に似ている。

 マイルズはその菱形の物体を浮遊魔法で引き寄せると、自分の周りに並べた。

 マイルズを囲む七つの石を見て、フィオルは目を丸くする。


「マイルズ、これはなに?」

「“月の魔法石”だ。私が作り上げた。結界の媒体になる」

「月の魔法石……結界を作るには、こういうものが必要なの?」

「数人を守るくらいなら必要ない。だが、今回は国を覆うほどの結界だ。媒体がなければ、作ることはできても保つことが難しい」

「そう……これがあれば、人々を助けられるのね?」

「ああ」

「これをどうすればいいの」

「この後、さらに魔力を注ぎ、結界を発動させる。そうしたら、各地方の領主たちに渡してほしい。一つの地方に、一つ。そうすれば、結界に偏りが出ない。ファルナ国全土を覆えるはずだ」

「わかったわ。すぐに手配しましょう」


 フィオルは、部屋の扉へと目を向けた。扉のそばには、闇に紛れるようにして二人の従者が立っていた。そのうちの一人が無言で頷き、外へと駆けていく。

 フィオルはその影を見送ることなく、マイルズに瞳を戻した。


「マイルズ」

「なんだ」

「やっぱりあなたは、特別なのね」


 その言葉に、マイルズは僅かに眉を上げて、ふっと苦笑した。先ほどまでの真剣な表情を和らげて、何を今更、と口にする。


「私は魔法使いたちの長だ。知っていただろう?」

「ええ。でも、その力を持って生まれたから、長に任命されたのでしょう?」

「そうだな」


 目を細め、マイルズは自身の手のひらを見つめた。

 自由自在に魔法を使える両の手を、通常の魔法使いたちは持たない。杖と詠唱――魔法を使うには、その二つが必須だった。

 けれどマイルズは、杖も詠唱もなく、手の平で魔法を作り、操ることができた。しかもその魔法は、月神と同じ魔力を持つ。

 そんな“特別”な魔力を体内に宿して生まれたマイルズを、魔法使いたちは月神の子ども――『月の子』と呼んだ。

 『月の子』の魔法だけが、太陽の魔力を防ぐことができる。

 しかし――そのような偉大な力は、無限にあるわけではなかった。


「これから、同じ力を持つ子には苦労をかけてしまうかもしれないな」

「……どういう意味?」


 マイルズの呟きに、フィオルが問いかける。

 杖を持たぬ手で、浮遊させた月の魔法石を上下左右に動かしながら、マイルズは息を吸って、吐きながら言った。


「この月の魔法石も、私の魔力も万能なわけではない。十年もすれば、魔力は枯渇し、結界は消滅してしまうだろう。それを阻止するためには、『月の子』である私が魔力を注ぎ続けるしかない。膨大な量のな」

「ねえ、遠回しな言い方はやめて。つまりどういうことなの」

「……私の寿命は短くなり、そして、太陽が暴走をし続ける限り、次の『月の子』も同じように魔力を注ぎ続け、他の魔法使いよりも早く一生を終えることになる」

「なにそれ……本気で言ってるの?」


 愛らしく見開かれていた蒼の瞳が、鋭い光を帯びてマイルズに突き刺さった。フィオルと向き合ったマイルズはその視線を受け止めて。ゆっくりと、首を縦に振った。


「こんなところで嘘も、冗談もいうわけがないだろう? 私は本気だ」

「……そう」


 フィオルの視線が落とされた。まだ光を帯びている魔法陣が、二人を白く照らしている。

 再びマイルズが魔法を使えば、すぐに結界が作られ、外の人々と魔法使いたちの安寧は守られるだろう。マイルズの命を犠牲として。

 迷っている暇などないことを、フィオルはよくわかっていた。国を護れるのは、マイルズしかいない。


「わかったわ」


 強く、自分にも言い聞かせるように、フィオルは声を発した。


「魔法を使ってちょうだい。あなたの愛する人たちを守って。わたしがその勇姿、見届けるから」

「君ならそう言ってくれると思っていた。いつも、君は私の背中を押してくれるな」

「……何言ってるの。もしかして、怖いのかしら?」

「ああ。怖いさ」


 マイルズは笑った。フィオルは息を呑み、隣を見上げた。

 落ちてくる金色は、月のような優しげな光を帯びていた。どこか儚い光は、どうしてかフィオルに不安を抱かせる。


「……やめて、弱音なんか吐かないで。冗談で訊いたのに」

「すまない。だが君の前でくらい、本音を口にしてもいいだろう?」

「そういう時、あなたはいつも困ることしか言わないの。……でもいいわ。今日くらい聞いてあげる」

「ありがとう。もう一つ、頼みも聞いてくれるか?」

「なに?」

「これは、君に負担をかけてしまうかもしれないんだが」

「そういうのはいいから。言って」

「ふっ……君はかっこいいな。……結界を張った後、国は闇に包まれる。しばらくは混乱が続くだろう。それを収めつつ、私は太陽が暴走した原因を探す。君にも、協力してほしい」

「そんなの、お安い御用よ」


 フィオルは迷うことなく了諾した。フィオル自身も、そのことは解明しなければと思っていたところだった。

 けれど……その話は、国を救ってから。

 フィオルはマイルズに寄りかかり、その手を握った。怖い、と言った彼に力を与えるように。

 そして、お願い、と前を見据えた。

 蒼い瞳に見守られて、頷いたマイルズは魔法を放つ。


「護れ」


 フィオルに合図をするように、使わなくてもいい詠唱を敢えて詠った。

 その言葉に反応し、マイルズを囲む月の魔法石は眩い虹色の光を纏った。それはマイルズの魔力を余すことなく吸い取ると、薄い膜を形作り、合わさる。やがて巨大化した膜は、天井をすり抜けて空へと舞い上がった。

 紡がれた虹色の魔法を目で追いながら、フィオルは綺麗、と呟いた。音はなく、ただ虹色の光が膨らみ、羽ばたいていく。ここからは見ることができないが、羽ばたいた魔法はその腕を広げ、国を包んでくれることだろう。

 マイルズが視線がフィオルに向けられる。

 

「おそらく、これで結界は張られただろう。あとは、この月の魔法石を各領主に託すだけだ」

「一つを残して、残りを他の地方へ、ね」

「ああ。外の大災害も落ち着いてくるはずだ。被害は大きいがな」

「ええ……マイルズ、身体に影響は?」

「倦怠感があるくらいだ。魔力はすぐに戻る」


 けれどその魔力は、月日を追うごとに月の魔法石に吸い取られ、命は徐々に削られていく――それを、彼は口にしなかった。言わなくても、フィオルにはわかった。二人はそれだけの年月を共にしていた。人間と魔法使い。種族は違くとも、心を通じ合わせることはできる。


「ねえマイルズ。すぐに行かなくてはいけないのはわかってるわ。でも……もう少し一緒にいてもいい?」

「君が甘えるなんて珍しいな」

「からかってるの?」

「いいや、嬉しいんだ。私も、もう少しこうしていたい」


 この先、どんな困難が待ち受けているかわからない。その、厳しい運命に耐えられるように、マイルズは「君を補充しておきたい」などと言うと、今度は自分からフィオルに寄りかかった。


「ふふ、仕方ないわね」


 フィオルは苦笑と共にマイルズの身体と想いを受け止めた。また、二人は寄り添い合う。

 周りには、結界を作り、保つための月の魔法石。

 絶対にこれを守り抜かなければとマイルズは決意を固め、そしてフィオルは、この狭い部屋の中、一人だけで国を救った英雄の姿を国中に広め、記録に残さなければと強く思った。

 それができるのは、自分だけなのだから。

 二人だけの時間が、もうすぐ終わる。触れ合った温度が冷えてしまう前に、フィオルは囁いた。

 

「ありがとう――好きよ、マイルズ」


 この日を境にファルナは、国の在り方を大きく変え――『月の子』マイルズ・ユディルの存在は、歴史に深く刻まれた。

 独りで国を救った英雄として。

 その隣には、誰の姿も描かれてはいなかった。

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