第31話 もう二度と違わぬ誓い③

*〜*〜*〜*〜*〜*


「ルル、大丈夫?」


 やっと終わったと胸を撫で下ろして一息ついた私の耳元で、そうささやくような小声が届いて思わず振り向く。この人は心底心配そうな目で私を覗き込むように見てくる。


「…………」


 私はそんな様子のこの人を少し身を引きながらも冷ややかな目線を送り返した。その時私はお互いに手首を掴み合った状態だったことに今更ながら気が付いて、私が直ぐに手を離すと向こうも案外すんなりと私を手放した。


「……ありがとうございます」


 私はさっきの返事という訳ではないけれど、そんな言葉をこの人に顔は向けずに呟く。


「……え?」


 わざとやっているのか分からない頓狂とんきょうな声が私をなじるように聞こえ、思わず文句の言葉が口元まで出掛る。でももうそんな元気は残っていないし、それ以上に今だけはこの人のお陰でみんな助かったという事実があるから。


「貴方の……、魔法のお陰でみんな助かったので」


 私がもう一度そんな言葉をあさっての方向へと飛ばす。すると直ぐ真横から何やら慌ただしく身動きする気配を感じて、何かと私が怪訝けげんの目を向けるよりも先に柔らかな声が私に届く。


「わたしだけじゃないよ。ルルがみんなを助けようとしたからだよ」


 振り向くと大きな青い目が私の目を真っ直ぐに突き刺すかのようだった。純真無垢を体現するような一点の曇りもない眼を受けて、思わず否定の言葉が頭のどこかに引っ込んでしまう。


「一緒に頑張ったんだよ。ね?」


 そう微笑みかけてこの人は私の手を少し迷う素振りで掴んだ。遠慮がちにぎこちなく掴まれた左手に、私は何て言い返せば良いのか分からずじまいで視線を落とした。


「結びが……」


「……本当だ!」


 私の目にそれぞれの腕の偽絆ぎはんの結びの紋様が大きく変わっているのが見えた。シミのような黒ずみの点が木のつたのような緩やかな曲線を描いていた。それが手首から肘まで伸びている。


 私たちは思わず自身の腕を間近で確認する。私は正直嫌だと感じた。この結びを解かせることがこの旅路を終わらす最短だったのに、これでは逆に厳しくなったように思える。そもそも私はこの人に少しも気を許していないし、心底嫌いなのに。


 自分の左腕を忌々しく見つめる視線の先で、この人は自分の右腕を嬉しそうに見ていた。


「あっ…、ごめんね。ルルは嫌だったよね……」


 私の視線かそれとも結びを通しての嫌悪感が伝わったのか、この人はまた私に自分が悪いというような顔を覗かせる。その顔は無条件で私の気持ちを煮えさせる。何でこんなにも腹が立つのか、自分でも上手く整理は出来ない。ただ、純粋に嫌だと感じる。


「そういう……」


「ルル殿! フェム様!」


 その時不意に遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえ振り返ると、カグさんとセンサさんが駆け寄って来る姿が見えた。


「カグ、無事そうだね。良かった」


「カグさんとセンサさんが来てくれたお陰で、みんなを助けることが出来ました。ありがとうございます」


「いえ、礼を言うのはこちら側です。今回はお二人に大変なご迷惑を掛けてしまいました。ほら、センサも……」


 カグさんがそう深々と私たちに頭を下げて、隣に立つセンサさんにも促した時だった。センサさんは頭を下げるというにはあまりにも前向きに、そのまま身体ごと地面に倒れ込んでしまった。


「センサ!」


 直ぐにカグさんが寄り添い呼び掛けるが返答はない。もう全身に力が入らないとでも表すように、ぐったりとしたセンサさんは私に嫌な想像を起こさせてしまう。いや具体的にはそのセンサさん自身の様子にではなく、センサさんが持つ生命力マナの気配が風前の灯のように今にでも消えてしまいそうだったから。


「これって……!」


 私は思わずに隣のこの人に尋ねる。この人も当然にその様子に気付いているようで神妙な顔つきで何か考え事を漏らす。


「魔法の使い過ぎ……? でも、使い切れることはないって」


 その言葉を聞いて私もナラさんの話を思い出す。人の生存本能に結びついているのか魔法の使い過ぎで自死することないという話。でも私の目の前でまさに消え掛かっていく生命力マナの気配を目視して、そんな楽観的な考えを私は出来なかった。


「センサ! どうしたんだ、返事をしろ!」


 カグさんの必死な声が響く中、私に何か出来ることはないかと必死に頭を働かせる。

 生命力マナを渡せたら助けられるかもしれないけど、それは毒にしかならないと聞いている。さっきの魔法で操った水流を木にぶつけてしまった時のような反発反応から身にみて分かったことだ。いや、でも……。


「私たちみたいに二人に結びを……」


「無理だよ……。それは今のルルになら分かるでしょ?」


 私の淡い希望は簡単に棄却された。魔法には鮮明な想像が必要なのを知ってしまったから、私は何も返せない。この人の言う通りで、でもその度に魔法は何でも出来るという言葉が頭にちらつく。


「ついさっきまで、減るどころか増え続けていたのに……なんで? あれはどこから……」


 そうまた一人で考え事にふけっていたこの人は、突然何かに気付いたように顔を上げた。そして急に山の山頂に向けて走り出して行く。


「どこ行くの!」


 私はその背中に問い掛けるも返答はなく、一直線に走り去って行った。


「カ……グ。バチが当たったか……な」


 その時小さな弱々しい声が聞こえ、私は振り向く。意識を取り戻したセンサさんが依然弱りきった姿でそう呟いた。


「センサ、無理して話すな。今は……」


「ごめ……ね。作って貰った……、人間に……」


「センサ、気をしっかりしろ。言ったじゃないか、私たちはここからだ。誓い合っただろ?」


 カグさんがそう優しく語り掛ける。今にも目を閉じてしまいそうになるセンサさんを繋ぎ止めようとただ必死に。

 私はただ何も出来ずに見守ることしか出来ない。致命傷になるような外傷は見られないし、何かの病気にも見えない。ただ生命力マナが弱々しく揺らいでいる。少しの風で吹き消えそうな弱々しい灯火が淡く揺蕩たゆたう。


「……誓い。…………そう、だ」


 センサさんは笑った。今まで私は威圧するような圧を放つ彼女しか見たことがなかったけど、優しそうな柔和な笑みをカグさんに向けた。


「……センサ、何を」


 センサさんの生命力マナが突如大きく膨れ上がった。その生命力マナはカグさんを包み私も包み込む。周囲の草花を巻き込み、山全体を覆い尽くす勢いで広がっていく。


 私の視界が不思議な光で満ちていく。光の鱗粉が宙を踊るように漂い、辺りの焼けた草花に纏わりつく。


(この光景……、知っている)


 私の脳裏に光り輝く空間で踊るあの人の姿が浮かぶ。あのお伽話のような世界が、また私の目に映る。

 そして私の目に光を纏った木や草花が何事もなかったように青々しく茂る姿が見える。焼けた山が再生していく。淡い光が次々と草花を修復していく。


「貴方は……、あの……時、誰……も、殺して……な……い」


 生命力マナの反発反応が起きない。私もカグさんも草花も誰もがセンサさんの生命力マナに触れているのに、何か巨大な力に抑え込まれているように生命力マナが身体の中で静まり返っている。


「わた…………が、族……長……だ……。だか……ら」


 センサさんがゆっくりと腕を上げる。カグさんの顔を撫でて何かを口にした。


 そして、



〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 わたしは山を駆け上がって行く。ずっと不思議に思っていたことがある。

 センサやカグが突然魔法を使えるようになった訳。わたしとの戦闘中にずっと増え続けたセンサの生命力マナ


 わたしが向かう場所は山の山頂に立つ大樹。わたしは道中、さっき聞かされた謎の声の話を思い出す。何故か不思議とあまり深く考えなかったこと。あの後、大樹の中で謎の声はこう話を切り出した。


『2030年、世界は一瞬、謎の光に包まれました』


 謎の声がそう告げた瞬間、文字通りわたしの視界が真っ白になった。その突然の現象にわたしが何か声を発するよりも先に誰かの驚嘆の声が届いた。


『なにっ? 今の!』


 わたしの目の前に見知らぬ黒い長髪の女の子がいた。その子はわたしを見て驚いたように青い目を見開いている。


「分からない。何だろう、今のは……」


 そう声を発したのはわたしだ。わたしの口が独りでに動いて、わたしの思ってもいない言葉を発した。


(なに、これ……?)


 理解が追いつかない現状にわたしはただ狼狽うろたえてしまう。口も動かなければ身体も思い通りに動かない。まるで明確に意識のある夢の中にいるようだ。


『見て! 他でも同じようなことが起きてるってみんな投稿してるよ』


 そう女の子が何か長方形の箱みたいなのをわたしに見せる。そこには文字が書かれていて、中で上下に動いている。そしてまた、わたしの口は勝手に動き出す。


「本当だ……。何かの攻撃かな?」


『やめてよ。怖いこと言うの!』


「取り敢えず、もう大学行かないと。遅刻するよ」


 わたしが勝手にそんな言葉を発すると身体が勝手に動き出す。見知らぬ部屋で見たことがない物がありふれた場所なのに、慣れた手付きで鍵を手に取る。


『外出ても大丈夫なの? それにこんな時ぐらい遅刻してもいいじゃん!』


 女の子はそう不満を口にしていたけど、わたしが部屋を出ると後ろに着いて来た。そして部屋を出ると、そこには……。


(……ここ、どこ? なに……?)


 目に映った景色はまるで別世界のようだった。巨大な建造物が所狭しと建ち並び、なのに地面は綺麗に整備されている。車輪が二つの奇妙な小さな乗り物や大きな音を立てる箱が馬もなしに走っている。

 ルルードゥナの神秘的な景色と違い、これはなにか異質だ。目に映るもの全てが奇妙で見たことがない。どこか大きな建造物に入ったわたしの目の前に、今まで見たものとは段違いな大きさの長い箱の乗り物が現れる。異質な音を奏で独りでに開く扉に、わたしはなんの躊躇ちゅうちょもなく乗り込む。


『これ、ヤバくない?』

『集団幻覚とか?』

『でも、世界中でだよ? 意味わかんな過ぎて、ウイルスより怖いんだけど』

『関係ないよ。どうせ仕事休めないんだしさ』


 周囲の人々がそんな不安に満ちた声をささやいている。でも、わたしはそれ以上に目に入る凄まじい速さで移り行く景色に見入ってしまう。


(今わたし、魔法とか使っていないのに……)


『なんか怖いよ……』


 隣に立つ女の子がわたしにそう呟くと、わたしの口はまた勝手に動き出す。


「僕は今日のテストの方が怖いかな」


『大丈夫だよ。ガリ勉くんでしょ?』


 女の子がわたしに微笑みかけると、また扉が開き出し人々が大勢乗り込んで来る。その中に一人、こちらに手を振って歩み寄って来る人がいた。


『ねぇ、愛祈あき勇人ゆうと。ニュース見た? ヤバいことになってるよ!』


(愛祈って……)


 謎の声から散々言われた名前にわたしはずっと側にいた女の子を見る。その瞬間、世界は暗転した。先程までいた光景は様変わりしていく。その過程で再び謎の声がわたしに届く。


『この日から、我々の日常は少しずつ壊れていったのです』


 そしてわたしの目にはまた先程の部屋が映る。なにか大きな四角の箱に絵が映る。その絵はどうなっているのか動き出し、声すらも発している。


『アメリカの大統領———が演説中に死亡した事件について、アメリカ政府は———』

『現在様々な国で起きる著名人の怪死事件について専門家は———』

『中国〇〇市にて注目を浴びた超能力のような現象が世界各地でも見られ、』


 次々と場面が移り変わり、なにかの情報をわたしに伝えていく。正直なに一つ理解が出来ないけど、わたしの心臓は大きく脈を打つ。それは興奮や緊張ではなく、不安だと感じた。底知れない漠然としたなにかがわたしの心臓を動かしている。


 そしてまた世界は暗転する。暗闇中、愛祈と呼ばれた女の子が現れてわたしに尋ねる。


『大学、休校だって……』


「……うん」


『……どう、なっちゃうのかな?』


 世界はまたさっきの部屋に戻り、外からはなにかうーうー、というけたたましい音が鳴り響いている。


「愛祈も、出来る?」


 わたしの口は女の子にそう告げる。


『……うん。もう、出来ない人なんて居ないよ』


 女の子はそう呟いて右手を差し伸べるように出す。そして、その右手から小さな火が灯る。


(……魔法だ)


「これってさ、……魔法、みたいだよね」


 わたしの心の声を読んだように、わたしの口もそう声を発した。でも女の子は睨み付けるような厳しい目をわたしに向ける。


『……違うよ。わたし、ここに来る途中に見たよ。倒れてる人やそれに……。もう警察も追いついていないって……。みんな怖がってる。そう喜んでた人なんて最初だけだよ!』


「……うん。こんなもの、魔法なんかじゃない。こんな、血塗られたもの……」


 わたしがそんな言葉を発した瞬間また世界は暗転し、そしてわたしの目には元の光景が広がっていた。わたしはそのままなにかを待っていてももう謎の声も聞こえてこなくて、わたしはなにも分からなかった。ただでさえ分からなかった自分自身が、もっとあやふやになったようで叫んでしまう。


「……ねぇ、今の話はなに? 答えてよ!」


 そしてわたしは再び、自分が盛大に破壊した所から大樹の中を伺う。中はまだ雨水なのか水が残っているけど、前よりは鮮明にその姿を知れた。

 大樹の大きな空洞の中に、大きく歪みねじれ合った大きな太い木があった。人が数十人くらいの太さの木は、この前わたしが触れたようにつるつるとしたおかしな感触をしている。ざらざらとした見た目なのに滑らかで、ふと間近に目を近付けると……。


「え……? うわぁ!?」


 なにかと目が合った気がして思わず仰け反ってしまう。


(中に……、なにかいる?)


 わたしはそこでふと冷静になって、ここに来た目的を思い出す。


「ねぇ、聞こえてるでしょ! 貴方でしょ? センサになにかしたのは!」


 センサやカグが魔法を使えるようになったことになにか外的要因があったのなら、わたしにはこの謎の存在にしか思えない。


「ねぇ、聞こえてるでしょ!」


『……愛祈様。私は何もしていません』


 するとわたしの叫び声に応じるようにどこからか声が聞こえた。わたしはその声に問い掛ける。


「じゃあ、なんでセンサやカグは突然魔法を使えるようになったの? 貴方以外に誰がいるの?」


『彼女たちが自ら望んだことです。愛祈……いえフェム様だったかの。魔法は本来、みなが使えたもの』


「説明になってない! それじゃあ、わたしたち以外が使えていないのは———」


『感情です、フェム様。我々の施した魔法は不完全だったのです。だから、貴方様がいたというのに……。貴方は私にしたように、全てを壊すつもりですか? もしも、今起きていることに責任を問うなら、私は貴方様を———』


 すると不意にそこで声が途切れてしまった。


「待って! センサがもう……」


 わたしがもう一度謎の声に聞こうと声を出した時、遠くで大きな生命力マナの気配を察知した。それはみるみると拡大していき、その様子に幾つかの言葉が脳裏を過ぎる。

 それはナラさんがわたしに教えてくれたことと先程謎の声が言ったこと。魔法は何でも出来る、わたしが何度もルルに言い否定されて来た言葉がなにかの警鐘を鳴らす。


「……ダメっ! センサ!」

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