第29話 もう二度と違わぬ誓い①

* * *


 どこからか不自然に視界を塞ぐように立ち上がった炎の壁の向こうで声を聞く。

 今までの彼女との思い出をあぶり出すように思い起こしても、答えなんてない。だって、私はもう何かを間違えてしまったのだから。私はずっと、彼女を勘違いしてしまっていたみたいなのだから。


 朝にフェム様に偉そうに語った言葉が自分に突き刺さる。私たちはずっとこの魔物じみた見た目でこうだと決めつけられて排斥はいせきされた歴史があったというのに。私は勝手にセンサを自分の価値観でしか見れてなかった。


(……そう言えば、私はセンサと喧嘩したことがあっただろうか)


 私たちもフェム様やルル殿のように本音で言い合うような経験をしてれば、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。別にあんな風に傷付け合うことを美徳だとは言わない。でも、きっと私たちには必要だったことだ。


(今更だろうか……。でも)


 私は赤く揺れる炎を見つめる。その向こうにいるはずのセンサを見据えて、口を開く。


「ずっと……、そうだったのか、センサ!」


 センサが私にぶつけた言葉を受け止めて、私も彼女に言葉を投げる。


 喧嘩なんてしたいとは思わない。する理由がない。でも、私は彼女の行動と言葉に傷付いた。やるせない怒りだって抱えている。

 私もきっと彼女を傷付けていた。だからこんなことを言うのは理屈が通ってないかもしれない。だからと言って何も言い返さないのも、気を遣って優しく受け止めるのも違う。その行いは何も彼女を見れていないと思うから。


「何か言ったらどうだ! さっきまでの威勢はどうした? 私の代わりなんて誰も望んでいない! 私は私で、お前はお前だ。私にはお前が必要だと言ったこともあの誓いも全部忘れたのか、センサ!」


 私がそう炎の壁の向こうに吐き捨てた直後、鋭利な何かが炎を裂くように現れた。私はそれを反射的に手に持つ槍で振り払う。その動作で半身を向ける私に向かって炎の壁を突き破るようにセンサが身体を勢い良くぶつけてきた。

 体制を崩され倒れ込む私にセンサは槍を向ける。でも、それが直ぐに振り下ろされることはない。あまりにも不自然な間は私に反撃の隙を充分に与えてくれた。私は槍の柄の先を勢い良くセンサの腹に当てる。センサは軽い呻き声を出して一歩下がる。


「なぜ、そうやって私にだけ手を抜く?」


 直ぐに立ち上がり槍を構える私に対してセンサはただ強く私を睨むだけだった。


「……センサ。もう一度話そう。私はお前に頼ってばかりだった。お前の言葉を聞きたいんだ。ちゃんと、聞くから」


「必要ない」


 センサはただ短く感情を押し殺したような声で告げる。私を遠ざけるような冷たい声色で。でも私はその声を寂しそうだと感じた。それはセンサが……。


「センサ、ならばなぜそんな顔をしている?」


 炎の明かりはセンサの表情を鮮明に浮かべる。うるんだ瞳と下がり切った眉尻と口の端はまるで泣いているようにしか見えない。そんな表情で拒絶されても何も納得出来ない。


「うるさい……、黙れ! 黙って、戦え!」


「お前こそ、真面目に戦ったらどうだ!」


 そうしてお互いに槍を向け合った直後、私たち以外の声が介入した。それはセンサの紛い物とは違う冷め切った本物の声。


「カグ、もういいでしょ?」


 センサの背後からフェム様がゆっくりと現れた。何の感情も読み取れない無の表情を顔面に貼り付けたフェム様は、その大人びた顔立ちと相まって凄みを感じさせる。フェム様を信じていなかった訳ではないけれど、彼女が大多数の人間の上に立つ存在だということをただその威圧感だけで分からせられる。


「もう、待てない」


 フェム様はそう短く私に告げて、目の前のセンサを睨み付ける。


「……フェム様、私はっ……!」


 私がまだ少し待って欲しいと告げようとした時、フェム様が手をセンサに向けた。ただそれだけ、でもフェム様やセンサは私には計り知れない謎の力を行使している。だから、私はもう無意識に身体が動いた。フェム様からセンサを庇うように、身体をセンサの前に出した。


「……ッがぁ!」


 その瞬間、何か大きな力の塊が私の身体を打ち付けた。その大きな衝撃で全身の骨が軋む音が聞こえた気がした。何よりもその痛みの要因が何も目に見えないから、頭がその正体不明の感覚に慌てているように何も考えることが出来ない。私は全身に感じる痛みよりも恐怖が打ち勝ってしまった。全身が震えて力が入らない。


「……カグ」


 ただ私の視界に直ぐセンサの心配そうな顔が見えた。その久しぶりに見た気がするいつもの表情に少し安心してしまう。


「なに、してるの……」


 いつも通りの柔らかなセンサの声が耳に届く。私の良く知るセンサで、私の理想だったセンサで、私の知らないセンサだ。センサは心配そうに私の手を握っている。それだけで不思議と痛みも震えもどこかに消えていく。


「……お前の言う通りだ、センサ。私は強くなんてなりたくなかった。ここにいる奴らも嫌いだと思っているよ。でも、お前が居たんだセンサ。お前が、居たんだよ……」


 視界が大きく歪む。火で囲まれているからか目頭が暑い。こんな恥ずかしい姿をセンサにさらして嫌われないだろうか。こんな弱い私と彼女は居てくれるだろうか。


「……カグ、退いて。わたし、もう余裕なんてないから。火がここまで来てる。早くセンサを片付けて、わたしはルルを助けに行きたいの」


 フェム様が私に忠告をしている。きっと彼女は本気だ。フェム様はルル殿をとても大切にしている。私と一緒だ。だからフェム様だってもう分かっているはずだ。


「……私は、お前だけが居てくれたら良かったんだ。だから、もう過去の私なんて要らない」


 私は弱さに憧れた。それは人間の寄り添い合う生き方を羨ましいと思ったから。その姿に私たちを重ねて希望を見たから。


「カグ、あいつの相手は私だ。だから———」


「……お前のように、強くなりたいよ」


 弱さに憧れていた自分が憎くて仕方がない。お前を大切にしていた気になって、何も見れていなかった自分を恨む。本当は少し分かっていたのに、何も見ようとしなかった私が嫌いだ。今は心の底から思う。強くなりたいと。


「カグ、これが最後だよ。退いて」


 人間じゃなくて良かった。こんなぼろぼろでもまだ立ち上がれる。


「退きません。センサは私の全てだから」


「……ちゃんと言ったからね」


「カグ!」


 フェム様が私に手のひらを向ける。またあの正体不明の攻撃が来る。目の前が真っ白になって、声が聞こえた。センサの声だけど少し幼く聞こえる。


『センサの夢はなんだ?』


『私は……、今以上のことは望んでないかな』


『ん? どういうことだ?』


『カグが居てくれたら良いってこと』


『お前は……、ここに居たいのか?』


『ううん、どこでも良い。でも、カグのその夢は素敵だと思う。カグらしくて、素敵』


 幼いセンサが私が作った不器用な装飾品を嬉しそうに見つめる姿が目に浮かぶ。


(私の求めていたものは違ったな。弱さなんて、お前の為に何にもならない。私は人間ではなくお前みたいになりたかったんだ、センサ)


 目の前から大きな気配を感じる。それは途方もない大きさで全体なんて見える気もしない程だ。センサはこれに立ち向かっていたのだと私は知る。大きな気配の塊が私に触れた瞬間、大きく弾けた。


「カグ……?」


「カグ、それ……」


 視界に映るのは炎で揺らめく森と目を見開くフェム様とセンサの姿。だけど違うことがある。辺りから何かの気配を感じる。それはそこら中からで、フェム様を見てその正体を何となく察する。


「……フェム様。お手をわずらわせて申し訳ない。私はもう弱くはありません。センサは私に任せて貰えますか?」


「……ちゃんと出来るの?」


「はい。それでもセンサに何かしようとするなら私が立ち塞がります」


 私はそう言って途方もない気配を携えるフェム様を見据える。フェム様は少し逡巡しゅんじゅんする素振りを見せるも直ぐに私を見つめ返す。


「……分かった。こんな馬鹿なこと、直ぐにやめさせて」


 フェム様は私にそう言うと一直線に山を駆け上がって行った。

 その姿を見送って私は改めてセンサと向き合う。


「私たちはこんなことをしたことなかったな」


「何がだ、カグ」


「互いに言いたいことがあるだろう。今からするのは決闘なんかじゃない、ただの喧嘩だ」


 私はそう言って手に持っていた槍を手放す。


「カグ、何を……?」


「ただの喧嘩にこんな物は要らないだろう、センサ!」


 そう吐き捨てて直ぐに困惑するセンサに駆け出す。まだ私はこの魔法という力を何も理解なんてしていない。そもそもする必要なんてない。今からするのはただの喧嘩だから。

 私は何の躊躇ちゅうちょもせずセンサの顔面を殴り飛ばす。私の拳がセンサに当たった瞬間、何故か弾かれたように腕全体が大きく後方によろけた。その反応に一瞬何が起きたのか考えてしまうが直ぐに思考を止める。今はそんなことはどうでも良い。


「私の代わりをすると言ったな! この行いのどこが私の代わりだ。お前も私のことなんて何も分かっていないじゃないか!」


 私は何度もセンサに殴り掛かる。その度に私もセンサも不思議な力に弾かれて何度も地面に倒れる。立ち上がって殴って倒れての繰り返し。センサはまだ何も言って来ない。


「なぜ私にだけ手を抜いた? ここまでのことをやったお前の決意はこんなものか! お前が———」


「うるさい! カグこそ、私のことなんて何も分かっていない!」


 センサがそう叫んで私を殴る。すると私も殴ったセンサも大きく吹き飛んでしまう。


「そうだな。お前がこんな馬鹿なことをしでかすなんて思いもしなかった。お前はもっと大人しい子だとな! まさか、こんな馬鹿げたことをするなんて……」


「馬鹿馬鹿……うるさい!」


 センサが離れた距離から凄まじい速さで私の元へ駆け寄り殴り付ける。殴られた私は近くの木に大きく身体を打ち付けられ、センサは遠くまで吹き飛んで行った。そのあまりにも現実味のない光景に何だか可笑し過ぎて思わず笑みが溢れてしまう。


「何……笑ってるの? 馬鹿なんじゃない」


 センサがそう言いながら常人離れの速さでやって来て子供じみた罵倒ばとうを溢す。本当にこれじゃあただの喧嘩だ。きっと今にも村の奴らやフェム様たちが大変な目に合っているのに、私たちは何をやっているのだろう。


「そうだな。馬鹿なのは私だ。ずっとお前を勘違いしていた」


「……私をどう思ってたの?」


 センサはそう呟いて地面に座り込んでしまう。もう先ほどまでの敵意など削ぎ落ちたように力なく座る姿を私は見下ろす。


「人間のことが大好きで、村の奴らにしいたげられてきたからこそ他人を思い遣れる心優しい子だと……な」


「誰? それ……」


 センサはうつむいたままで力なく話す。その声色がいつもより柔らかくて、少し笑っているようにも聞こえて、私はセンサの表情を見たくて同じように座り込む。


「……さぁ、誰だったのだろうな」


 センサが私を見る。そのすっかり険の抜けた顔がもう見知ったいつものセンサで。背後の赤い景色があの日と被る。


「センサ、人間は好きか?」


 あの日、祈るように問い掛けた言葉をもう一度彼女に問う。答えは分かり切っているけれど、それでもちゃんと彼女の口から聞きたいと思って。


「……嫌い。大嫌い」


「……そうか」


 そのセンサの言葉を聞いてもう一度センサを見遣る。そこには申し訳なさそうに目を伏せるセンサが居て、でもただそれだけだ。私の中のセンサは何も変わらない。


「……カグ。私、言えなかった夢があったの」


 センサはそう言ってゆっくりと顔を上げる。そしてセンサは微笑を携えて続ける。


「人間のように綺麗に着飾った貴方を見ること」


「それは……」


「本当、何をやっているんだろうね。私たち」


「お前が言うな」


「……後悔はしてないよ。私はずっとこうしたかった。カグを閉じ込めるこんな狭い世界を壊したかった」


 それはさっきもセンサが言っていたこと。センサは言った。全部燃えてなくなれと。


「……それは、お前自身もか?」


「うん。私が居るから貴方はこの村に居るしかなかった。私のせいで貴方は好きだった人間を傷付けることになったから……」


「そんなこと……」


「貴方を誰よりもここに縛り付けていたのは私。だから、私なんて———」


「馬鹿なことを言うな! お前は私の光だ。私の世界には、お前しか居ない。センサの居ない世界なんて、……私には、堪えられないよ……」


 私はそう叫んでまるで親に泣き付く子供みたいにセンサを抱き締める。馬鹿みたいなことをしでかして、馬鹿みたいなことを言うから不安になる。今にも消えそうなくらい弱々しく見えたから、もう離すものかと強く抱き締める。


「カグ……、ごめんね。私、馬鹿でごめんね……」


 耳元でセンサの声が聞こえる。優しくて柔らかなセンサの声に、私はあの日こう言えば良かったと後悔していた言葉を告げる。今度こそちゃんと、彼女に届くようにしっかりと顔を見つめる。


「助けよう、みんなを。まだ間に合うはずだ。そして、二人で一からやり直せばいい」


「でも……、私は」


「誓いを忘れたか? センサ。やってしまった罪は消えない。でも、それを抱えながら何かを残すことは出来るんだ。私たちの狭い世界はお前が壊してくれた。だから行こう、一緒に」


 私はセンサの手を取り立ち上がる。もう眼前は火の海に囲われて逃げ場なんてどこにもない。でもその炎の先にまだ逃げ惑う人々の気配が分かる。何かをしようと気配を一段と高める二人の存在も分かる。まだ私たちは何かを出来るから。


「まだ動けるか、センサ?」


「……うん、大丈夫。カグ」

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